溝口勝(東京大学大学院教授) ・ドロえもん博士の震災復興
1960年生まれの63歳、専門は 農業工学の一分野である土壌物理学です。 「ドロえもん博士」を名乗って12年前から福島県飯館村に毎週末通い、東日本大震災からの農地復興に取り組んできました。 地元の農家の知恵にスマート農業と呼ばれる最新のICT情報通信技術を加え、新たな農業の展開を目指しています。
農学というと一般的には生物系だと思われていますが、物理を使った農学というのがあります。 実際にやっているのは土の中で、水分、養分、熱の動きを調べるというのが土壌物理学の基本的な内容になっています。 乾燥地帯の畑で、どれだけ水をやって作物を育てるかと言いう事を中心に土壌物理学は発展してきましたが、日本の場合はそれプラス水田農業のための土壌物理学が発展してきています。 最近は気候変動などがありますが、地球規模の水の動きも、シベリアの凍土の水がいつどれだけ溶けて、砂漠の水がどれだけ蒸発しているかという事が凄く関係していて、土の中の水の動き、熱の動きは結構重要で、さいきんでは農業のための基礎分野というより、地球規模でのそういうところにも絡んで、土壌物理学は重要になってきています。
子どもに夢を与えるような土に話をしてくれないかと頼まれました。 実際に土に触らせながら土のことを理解するようなことをやろうという話になりました。 「ドロえもんはどうですか」と言ったら、それは面白いという事で「ドロえもん」を使う事になりました。 イギリスでは子供のうちから、土に親しませるような教材も結構あって、日本でももっと積極的にやろうじゃないかと提案をしました。 バケツ稲を利用して、実際にバケツで稲を育てさせながら、土って何なんだろうという事を考えさせるという事で、小学校の先生と協力してそういう教材を作って来ました。
栃木県大田原市の米農家の出身、3町半ぐらいの米農家の次男として生まれました。 1960年生まれですが、小学校1,2年生ぐらいから新しいものがどんどん入ってきました。 最初に耕運機が入りました。 農業機械がいっぱい入って来て農業は楽しそうだと思いました。 今は兄がJAの職員をしながら農業をやっています。 高校に入って数学、物理学が好きでしたが、結局農学部に行くことになりました。 農業工学科は 忠犬ハチ公の飼い主であった東京帝国大学農学部の上野英三郎教授が作った学問です。 上野先生が1905年耕地整理学をやって、いろんな形をしていた田んぼを牛や馬が動きやすいように整備しようとしました。 それが農業工学の始まりです。 米などの育成の条件(土、水など)、農業基盤を作るというのが農業工学の一番の役割になっています。 これからはそこに情報の基盤も一緒に導入しないと、これからの農業はやって行けないので、何とかならないのか、ここ数年農水産省にかけあっています。
大学に入って農民のための学問だと思っていたら、農業基盤を整備する人々のための学問、つまりお役人などに対する学問です。 1年で興味が薄れてしまいました。 部活でやり投げ、円盤投げなどをやっているうちに十種競技をやるようになりました。 卒論で土の熱の伝えやすさの研究で、土の深さ方向の温度分布を12月ごろに調べていたら、地表面はマイナスの温度のままだけれど、0℃のまま一定を保つという現場に出っくわしました。 実はそれは霜柱が出来る瞬間でした。 それがきっかけで大学院では土が凍る研究をしたいと思って凍土の研究を始めました。
土のカラムを作って、土が凍ってゆく過程の温度を測り、24時間後に包丁で1~2cmごとに切り出して、その重さを測って土の中の水分量が決まります。 冷凍庫の中での作業をしていました。 凍土が出来る過程で何故水が移動するのか、土壌物理学の理屈を組み合わせて、モデルを作って、それをコンピューターシミュレーションで再現するので、ドクターを頂きました。 シベリアでも同様なことが起こるのではないかと思って観測艇に加わりました。 実際のフィールドは実験室とは違うんだという事を認識しました。 1年間のツンドラの中の温度変化を捉えようと記録装置をセットして、翌年データの回収に行きました。 最初の3日間のデータ以外は止まっていました。 遠くに居ながらにして現場の様子を見える化する、という事の必要性を感じました。 これからの新しい農業にも役に立つのではないかと思いました。 2000年中ごろ以降ずっと研究をしていました。
土壌物理学研究室よりも、もっと広くという事で、国際情報農学研究室へと移って行きました。 発展途上国の農業開発がメインテーマになって行って、違った条件の土を観る機会に恵まれました。 国際農業とその地域の文化はリンクしています。 その地域にあった農業にやり方、料理の仕方、考え方があります。
東日本大震災があって、原発事故も起こって、土に放射性物質がくっつくのが研究室では判っていたので、広範囲に放射性セシウムで農地が汚染されるとなると、大規模に取り除く作業が発生すると思いました。 農業工学のOBが協力して、この問題に当たらないといけないと思いました。 3月15日に福島復興農業工学会議を発足させました。 5月に現地に行きました。 7月に飯館村の測定データ、写真などを元にフォーラムで発表しました。 放射線計を設置して連続にデータを取りながら、山の中の放射線変化を追っていました。 農家の方から土が凍るという話を聞きました。 12月に田んぼの中に温度計を入れておいて測りました。 2012年1月凍っている土を剥がしたら、剥がした後の放射線量が1/10になっていました。 重機ではがしていったら簡単に除染が出来てしまいました。 それが凍土剥ぎ取り法という除染方法なんです。
凍っていない時には泥水にして5cm分の泥を集めればいいという事が判りました。 放射性セシウムに関する栽培実験も行いました。 その結果米ぬかにはセシウムは溜まっているが、精米したコメにはあんまり溜まっていないことが判りました。 もっと削ればよくなるという事で、大吟醸酒を作る話に繋がってゆきます。 悪条件を克服して美味しいお酒をこの土地からできました、というような戦略はありなのかと思います。
先端のスマート農業を展開して、不利だったところが逆転の農業をやってみたいと思っています。 こまわりのきいた スマート農業を研究開発して、そういうスマート農業化を図ってゆくのがいいと思います。 土つくりの過程でIOTのセンサーとかスマート農業的技術を導入して、情報を上手く拾って、たい肥つくりの役に立てないかなと思っています。 やり始めています。 農村部の通信のインフラ整備があればかなり違うと思います。 新しい農業のやり方を使って日本の農業のモデルが作れたらいいなあと思っています。 12年間福島に通っていますが、どこかで身を引く必要があると思います。 引き際のタイミングを考えています。