橋本しをり(日本山岳会会長) ・誰もが登山を楽しめる環境をつくるために
橋本さんは1952年神奈川県生まれで現在71歳。 幼少期から山に親しみ、医師を目指して進学した東京女子医科大学で山岳部に所属し、本格的な登山を始めました。 卒業した後は一旦山から離れたものの医療担当として登山を再開し、1988年に女子登山隊の隊長としてパキスタンにある8000mを越える山の登頂に成功しました。 そうした経験を生かし、2001年からはがん体験者と共に登山をする取り組みを続け、今年国内でも最も歴史のある日本山岳会の第27代会長に就任しました。 多くの人に山の魅力を伝えたいという橋本さんにお話を伺いました。
前期は副会長だったんですが、今度会長になり気負いがあるのかと言われれば、意識しているところはあるとは思います。 一人でも多くの人に山の魅力を伝えたいと思っています。 日本山岳会には33の支部があります。 参加して支部が活動の原点だとは思いました。 本部でどういう方針を立ててゆくか、新しい理事と共にやって行っています。
「フロントランナーズ・クライミング・クラブ」は元々は日常の雑事を離れて、自然の中で山を歩くことで、自分を見つめる時間が持てるという事があって、楽しく山を登ることを目的に作られたがん体験者の登山サークルです。 1988年から96年までアメリカに留学していて、知り合ったドイツの研究員のところに遊びに行ったことがありました。 ドイツではがん患者だった人が一日自分が願った人(例えばプロテニスのグラフ)と過ごすと言ったことが行われていて、凄く喜んでいていいことだと思っていました。 1998年に新聞の片隅に日本とアメリカの癌の患者さんが2000年に富士山に登るという企画があって、ボランティアを募集しているという事でした。 応募したらすぐに実行委員会に入りませんかと言う連絡がありました。 それで活動を始めました。 がん克服日米合同登山と言うのは、日本で生き甲斐療法をしている伊丹仁朗先生が、アメリカの乳がん財団の会長と会ったことで、日本でも山登りで交流しましょうという事で始まったものです。 合計450名ぐらいで富士登山を行いました。 その後山登りを行う会を作ることを決心しました。
癌体験者のQOL(生活の質)の研究が始まるところでした。 がん患者さんの登山前後でのQOL(生活の質)スコアーの変化を調査しました。 精神的面、身体の調子も良いことが判りました。 定期的な活動という事で「フロントランナーズ・クライミング・クラブ」ができて発展してきました。 がん患者さん、医療サポーター、山岳部の学生も参加しています。 この間栃木県の大平山に行って来て、259回目の山行でした。 毎月一回行っています。 「フロントランナーズ」はトップではなく、面でみんなで行きましょうという意味合いで付けました。 患者さんの病歴は私だけしか知らないことになっていますが、了解のもとにサポーターさんにも関わってもらったりしています。 今年日米の方たちと40名で富士山に登りました。 厳しい時には山岳サポーターが荷物をもって降りてきたりします。 サポーターの人も登山を楽しんでいると思います。癌は慢性的な病気だと言う事でそのたびに治療すればいいと言っていたアメリカの方の言葉が印象的でした。
父が結核療養所に勤めていて、山あいのところでした。 中学の時に燕岳から槍ヶ岳までのコースに参加しました。 山の魅力を感じました。 大学に入って山岳部に入った時から本格的に山登りを始めました。 卒業したら一旦辞めたんですが、「山と渓谷」と言う雑誌を観たら、ブータンへの登山行があり、参加して再開しました。 山での自律神経の研究などをやって面白いという一面もありました。 山と医療の両輪で進めてきました。 毎年海外の高い山への挑戦はしていきました。 一人でも頂上に立つと登頂したことになりますが、多くの人が頂上に登れればいいと思いました。
冬山にはまだ登りたいと思っていて、高尾山などへのトレーニングはしています。 日本山岳会は2025年に120周年を迎えます。 古道をみんなが登れるようにしたり、いくつかのプロジェクトがあります。 人生100年時代の安全登山と言うようなテーマで、登っていた方たちからエッセンスを聞いて回るとこことを120周年の記念行事としてやろという事でやり始めています。 登れる秘訣は仲間がいるという事だと思います。 日本山岳会にも女性は22%ぐらいいますが、役員へのなり手がなかなかいなくて、リーダーを育てていきたいと思います。