2023年11月10日金曜日

舞香(舞台俳優)            ・〔人生のみちしるべ〕 「文化を作る"風"になる」

 舞香(舞台俳優)         ・〔人生のみちしるべ〕  「文化を作る"風"になる」

舞香さんは昭和56年生まれ(42歳)、東京都出身。 東京を拠点に演劇活動を続けてきましたが、7年前東京を離れ、今は長野県の阿智村で暮らしています。 舞香さんはアイヌの少女知里幸恵の一生を演じる舞台を作り、2009年から上映をしています。 知里幸恵さんはアイヌで初めてアイヌの物語を文字にして表した「アイヌ神謡集」の著者で19歳で亡くなっています。 今年は知里幸恵の生誕120年の節目の年と重なり、舞香さんは全国各地で舞台「神々の謡~知里幸恵の自ら歌った歌」を上演しています。 舞香さんにとってアイヌの少女知里幸恵との出会いは演劇人生を変えるきっかけになったと言います。 

今は長野県の阿智村で暮らしています。 人口6000人ほどの村です。 星がきれいな村です。 東京で笹塚ファクトリーという劇場を運営していましが、劇場も閉館になり、地域起こし協力隊に応募していきました。 今はキャンプ場、直売所で働きながら、御芝居の仕事が入るとお芝居の方に行くという生活をしています。  村民劇プロジェクトを立ち上げて、阿智村は満蒙開拓で沢山の人を送り出した村で、満蒙開拓に特化した記念館がある村でもあります。  テーマに満蒙開拓に選んで村民劇の作品を作って行きました。 私は演出をやりました。 4作品ができました。  30人ぐらいの方が参加してくれました。   子供たちが大きくなって、満蒙開拓の問題に触れた時に、後になって繋がってゆくものになってくれたらいいなあと思います。  

いま、一人芝居もやっています。  色々な場所でやらせてもらっています。 実家が劇場をやっていましたので、演劇が身近にありました。 父母は制作側の人間でした。 大学では演劇のサークルに入りました。 劇団を旗揚げした時には2人の劇団でした。  相方に子供ができて一人になって、一人芝居に変ってゆきます。  脚本、演出も自分でやります。  敗者の歴史、消されてしまった歴史の方に関心が行きました。  中原中也さんの一人芝居などもやりました。 金子みすゞさんの生涯も演じました。  人の心の闇の部分が好きなんで、そこの部分を描いたりしました。  お客さんは私を通して後ろにあるものを想像してくれるので、リアルな世界が広がっているのではないかと思います。 

2009年からアイヌの少女知里幸恵の一生を演じる舞台を作って各地で上演してきました。  今年は知里幸恵の生誕120年の節目の年となります。 知里幸恵が金田一京助の元で編んだ「アイヌ神謡集」の刊行から100年という節目の年になります。  「神々の謡~知里幸恵の自ら歌った歌」を2年間で30か所近く上演しました。  知里幸恵さんを調べて行った時に、19歳という若さで亡くなっていて、「アイヌ神謡集」の本の校正を終えたその日に亡くなっていて、或る意味面白いと思いました。 調べてゆくにしたがって、どこから手を付けていいのか、どうぶつかって行っていいのかもわからなかった。 本番の2週間前になっても本が書けないんです。  父が「お客さに謝って半年伸ばすか」と言われました。 

何とかしようと思って、アイヌの団体による「鹿狩りツアー」に音楽担当の岩崎京子さんと一緒に参加しました。(3月)   ハンターさんと山に行って、その場でさばいて、持って帰って食べて、カムイノミ(「カムイ(神)・ノミ(~に祈る)」、すなわち人々が生活する上で必要なさまざまなことを神に祈る儀式)をして、帰ってくるというのが一連のツアーでした。  目の前で命を絶たれ、さばいて行く美しさがあって、鹿の顔も物凄く綺麗なんです。 命を絶たれる罪悪感もありました。  カムイノミをした時に自分が救われました。そこで何かに触れられたことが大きかったです。  「知里幸恵さんのお芝居をやりたいと思っていますが、本が書けなくています」と言ったら、「思うようにやりなさい」と言ってくれました。 自分にしか見えない知里幸恵像があるんだと思ったら、吃驚するぐらいすらすら書けてきました。 

彼女が残してくれた日記とか、ノートに書かれている言葉というのが、凄い苦悩だったり、苦しんでいる言葉、自分自身を責める言葉だったり、そういったものに溢れていて、「あっ、同じ人間なんだ」と思って、「人間知里幸恵さんを描きなさい」と言って貰えました。

「アイヌ神謡集」の序文は美しい文章です。 「二人三人でも強いものが出て來たら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては來ませう。それはほんとうに私たちの切なる望み、明暮祈つてゐる事で御座います。 」 と言うところがありますが、自分達アイヌの人たちは立場が弱いけれども、未来は、一緒に歩んでいる未来があるかもしれないよね、というお互いを尊重しあって、認め合って一緒に歩いてゆく日が来るよ、とこんな優しい言葉を19歳の少女が投げかけてくれている。  知らないことは罪だなと思ったり、知らないことで人を傷つけてしまったり、でもそこを一回受け入れてくれる知里幸恵さんたちの優しさ、そこに甘えてしまわないで、反省したりして、次どうするのという風な未来に持って行かなければいけないのは、和人側の必要なこと、役割だと思います。

知里幸恵さんの言葉は救いであるとともに、自分への戒めでもあります。  お芝居、演劇は自分にとっては原点であり、未来であるように思います。  何かを言う前に相手の立場になって考えてみるというのが、それの繰り返しで演劇は成り立つので、ちょっと立ち止まる時間が出来たり、考える余裕があったり、という風になって行ってくれるといいのかなあと思います。 「「風土」という言葉は風と土と書く、その土地、土だけだったら風土にはならない、よそから風が来ることで初めて風土になるんだよ」と言われて、「私たちは風でいいんじゃあないかな」と言ってもらって、凄くスーッとしました。 自分にも役割があったのかと思いました。 どこまでも飛んでいきますので、知里幸恵さんと出会っていただけたらと思います。