秋川リサ(モデル/女優) ・〔わたし終いの極意〕 センスのいいおばあちゃんに
秋川さんは15歳でモデルとしてデビューし、その後テレビや舞台に活躍の場を広げました。 ビーズ刺繍作家としても顔も持っています。 プライベートではシングルマザーとして2人の子どもを育て上げ、認知症の母を看取りました。 その母の壮絶な介護経験が自身の老後について考えるきっかけになったといいます。 現在72歳の秋川リサさんに伺いました。
7年前に母親を亡くしています。(2016年) 介護の間は人生観を変えるような出来事がありました。 母は好きな男性がいないと安定しないというようなタイプという感じです。 結婚生活を望むのかというとそうではなく、私は婚外子、結婚もせず私を生んで未婚の母として私を育ててきました。 その後も私も何人かお父さんと呼んでみなさいと言う人を紹介されましたが、割とそのペースが速かったです。 私を親の様に育ててくれたのは祖母です。 祖母は明治生まれの元芸者でしたが、割と母よりも現代的な考え方をしていました。 非常に厳しい反面、これからの女性の生き方みたいなものを持っていて、結婚が全てでもないし、子供を持つ事だけが幸せではないし、自分で自立して働いた女性になりなさいと言う教育をした人です。 私が外国人の血が入っているという事も含めて、祖母としては将来を心配して、もしかして結婚は出来ないかもしれないので、自立した女になりなさいという教育だったのかもしれません。 「手に職を持て」と言っていました。 ほとんど祖母との時間でした。
母は78歳で彼氏が出来て、家を出て82歳で帰って来てそれから認知症になりました。 認知症になって彼とうまくいかなくなったのかもしれません。 戻って来て「私のお金がなくなった。」とか「盗まれた。」とか言っていました。 段々ひどくなってきて、買い物をしてもお金を払わずに持って帰ってきてしまい、商店街の方にご迷惑を掛ける状態になったり、犬の散歩に行って2時間半帰ってこないというようになりました。 自由奔放に生きてきた母が認知症になるとは想像していませんでしたが、どうしたらいいのか何も考えられませんでした。
商店街の人の中にケアマネの資格を持っている人がいて、「ケアマネさんを付けたのか?」と言われて、ケアマネさんを付けた方がいいということから、その方からいろいろ伝授していただいて、最終的に介護施設を捜すまでに至りました。 在宅2年で、4年ぐらいが施設です。 2014年「母の日記」という本にまとめる。 日記だと判っていたら開けませんでした。 16歳から仕事を始めて、経済的な事は母に任せていました。 自分で管理しなければと思うようになった時に、通帳と一緒に大学ノートが何冊か出てきました。(家計簿かなと思った。) それが日記帳でした。 母が60代のちょっと前のものでした。 「産まなければよかった。」とかいろいろ書いてあり、こんなことを毎日思って暮らしていたんだと思いました。 当時は私が大黒柱で、家を建てたりもして、「なのに」という気持ちになりました。 早く施設に入れた方がいいという覚悟が出来ました。
怒り、悲しみ以上のものを感じる自分が厭になりました。 私が築いたであろう財産がすってんてんになっていました。 「やって呉れちゃいましたね。」と、どういうわけか思わず笑ってしまいました。 私も60歳になるような年代でした。 本を出した後も借金とかいろいろ出てきました。 施設に預けるようになって精神的には楽になりました。 母親が亡くなった時には正直ほっとしました。 面会に行くと「あんた誰」とか孫とは判らなくなり、会話もままならなくなっていました。 私なりに出来る限りのことはしたので「行ってらっしゃい。」という感じでした。 「来世も貴方の様な子供を産みたい。」ともしも言ってら、私は丁重にお断りしようと思います。 「私にも母を選ぶ権利はあるでしょう。」、と言いたいです。
母は10代の多感な時に戦争を経験して、恋愛をしたいときには男性は戦争にとられていないので、恋愛対象が外国人となってしまったことも何となくわかるような気もします。 母も戦争で傷ついた一人なのかもしれません。 母が亡くなって、次は私の番かと思いました。 子ども二人を生んでますが、その父親とは別れてます。 終活の取材が多いんですが、それは失礼だと思います。 早く死ねと言われているみたいで凄く嫌です。 順番が来るんだという事は思います。 日記とかは書かないし、ラブレターとかは全部焼きました。 家とかは生前に、息子、娘に分けました。 二人の私に対する役割分担は出来ています。 施設に入ることに関しては、施設でアルバイトをしたことがあるので、不満を聞く機会がありましたが、やっぱりどこかで子供に捨てられた感とか、裏切られた感を持つ方がいらっしゃるんですね。 娘からママはそうならないか、と言われたら微妙かなと思います。 頭がしっかりしている時に、死について話せる事は良いことだと思っています。
子どもは家を出ていて、母は施設に入って、家にいるのは私と犬だけでした。 1階、2階は子供たちと母のスぺースで、私が3,4階を使う設計になっていて、何部屋かが空きました。 シェアハウスがいいんじゃないのと言われて、外国の方もOKというシェアハウスにしました。 今は4人います。 (日本人2人、トルコ、中国が1人) 以前は一緒に食事したりしましたが、今はプライバシーを守る時代になりました。
今は着物に凝っていて、アフリカの生地で一重の着物を縫ったり、帯を縫ったり、ビーズ刺繍を織り込んだりしています。 日本の着物にビーズを施したりしています。 孫にも作ってやったりしています。 人間に大切なことは、読解力と想像力だと思います。 生き方を含めて「センスがいいね」、という生き方がいいと思います。