2023年11月25日土曜日

龍田直樹(声優)            ・〔私の人生手帖〕

龍田直樹(声優)            ・〔私の人生手帖〕 

アニメーションは国内のみならず日本の魅力を代表するものの一つとして、海外でも高い人気を得ています。 アニメーションの世界で長年にわたって、高いクオリティーで幅広い役柄を演じてきた声優の龍田直樹さんです。 NHKでは毎週日曜夜7時30分からの「ダーウインが来た」生き物新伝説のヒゲじい、17年間の担当です。 藤子不二雄劇場「オバケのQ太郎」のキザオ、「ドラえもん」のスネ夫、長編アニメ―ショオン映画「となりのトトロ」ではねこバスを演じて、その名を一層高めました。 龍田さんは1950年和歌山県生まれ、幼いころからの映画好きが高じて、高校大学時代から役者を目指しましたが、1960年から声優として活動を始めるようになります。 人生の岐路には何があたのでしょうか。 これまでの声優人生を伺うとともに長く愛されてきたキャラクターの声はどのように生まれて、ともに歩んできたのでしょうか、お話を伺いました。

「となりのトトロ」で私がキャスティングされていたのは猫バスではないんです。 冒頭の軽三輪で引っ越す運転手の役だったんです。 収録の当日「これをやっといて」と言われたんです。 最後まで走っていました。  最初にアニメーションで役を貰った時に、気を付けるのはまずそのキャラクターがどんなイメージか、どんな声があっているのか、周りのキャラクターに対して自分のキャラクターはどの辺にいるのか、と言ったことを捜したうえで、役者同士で話し合う事があります。 

「ダーウインが来た」は今年で17年になります。 いい番組だと思っています。 スクープ君も11年やりました。  自分の地声と地声より高い声、低い声の3種類しかないわけです。  それに喉を詰めること、しわがれさせること、この組み合わせ、キャラクターの性格、年齢を入れることで作って行きます。  違うキャラクターの声をだしてしまうおとはまずないです。  いろんな動物をやらしてもらっていますが、会話をすると向こうも判ってくれる。 動物園にはよく行きました。 

最初は映画に関わる仕事をしたいと思っていました。 高校の時に演劇部に入っていて、学業がおろそかになり2浪しました。  2年間塾に行っていることにしてほとんど毎日映画を見ていました。  何とか大学に行きましたが、「男はつらいよ」が大好きで映画館に行きました。 当時500円。 「渥美清と山田洋次の世界」と言う雑誌があり、これも欲しいと思いました。  500円しかないので困っていると、浴衣姿の女性がふっと現れて、寅さんのチケットを呉れました。 映画を観て雑誌も買う事が出来ました。 雑誌には山田組の人たちが写っていて、そこに堺健一さんがいました。  先生に頼んで紹介してもらい、渥美清さんの演技も観る事が出来て大感動しました。 大学生で東京俳優学校にも行きました。 俳協の養成所へ行けと言われて、俳優を志してはいました。 

俳優では芽が出そうもないし、自分の武器は何かと思ったら声だと思いました。  声の仕事をし始めました。 人のやらないことをやろうと思いました。(競争率も低い)    そのうち人を楽しませたいという気持ちが強くなりました。  人間よりもゴミ箱とか、酷いものでは牛のふんをやりました。 面白いねと言われました。 

3年前ぐらいから歩いていると足がだるくなるんです。  病院に行ったら下肢拘束性静脈瘤と言われました。  膝の部分の血流が悪くなって末端までの血のまわりが悪くなる。 ヘビースモーカーでしたが、このまんまだと歩けなくなると言われ煙草は辞めました。   

進路を決める時には、父親からは声優、役者などは絶対やめろと言われました。 反発してやり始めました。 声優の若手を集めて「アタック」というグループを作りました。 いろいろ作って17年やりました。 解散して静かにしていましたが、「龍のとなり」を作りました。 「世相を切る」と言う番組があり、コロナで3年半ぶりに録音ができました。    異常気象で地球が壊れていっている様な感じだよね、という事と、人間は戦争をしたりして、自分たちのことばっかり考えて、もめごとばっかりやるんだろうとか、と言うようなことを話して、昔のことなども話題にします。  長く続けられればいいと思います。   ほっこりするようなアニメーションは中々なくて、そういたものをもうちょっと作ってくれると嬉しいです。 そういったものを書いてくれる作家さんも段々少なくなってきた。   自分のキャラクターを皆さんに可愛がってもらいたいと思います。  どんな役でもいいんですが、与えられた役を一番愛するというか、好きになりたい、出番を多くしてやりたい。