藤竜也(俳優) ・芸能生活60年を超えて
2年前、朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」に出演。 主人公清原果耶さんのおじいさん役の牡蠣棚を作っている漁師役でした。 牡蠣棚の作業は現地の人に教わりましたが、大変な作業でした。 現地の方とはいろいろお話をさせていただきました。 東日本大震災のことは控えました。 表向きには快活にやってらっしゃるのは伺えました。 妻は芦川いづみです。 夫婦円満のコツはやはり「ありがとう」と「すみません」じゃないですかね。 寝る前には以前は握手をしていましたが、コロナ過ではグータッチでした。 「明日も元気に顔を合わせましょう」という事です。 亭主関白とは思っていません。 趣味はと聞かれると、「ご飯を作る事です」と答えています。 買い物も調理もできるだけ私がやるようにしています。 手作りベーコンを今やっています。
結婚当初は妻は看板女優で、私はどこの馬の骨なのかわからないような存在でした。 頑張らなければいけないと責任を感じ、原動力にもなりました。 昨年がデビュー60年です。(今年82歳) 父の任地が北京の支店でそこで生まれました。 終戦前に日本に戻って来ました。 父は出征してその後戻って来て交通事故で若くして亡くなりました。 小学校は5回転校しています。 横浜だったので漠然と船乗りになりたいと思っていました。 友達が誘ってくれて、日劇で宝塚の或る人の引退公演を観に行くという事になり、友人を待っている間に、「俳優にならないか」と声をかけられ、なってしまいました。 日本大学芸術学部演劇学科には在籍はしていましたが、最初のころはどうやったらいいのか迷いました。
他人の芝居は良く観ました。 役を貰うと、その背景などをいろいろ調べるようになりました。 「野獣を消せ」という映画があり、その時になんとかやって行けるのではないかと掴めました。 結構ハードな場面があったりするので、撮影所の道場で身体を鍛えました。 『愛のコリーダ』(1976年)の作品には感謝しています。 引き受ける時に直感的にやばい仕事だとは思いました。 逡巡はありましたが、引き受けることにしました。 こういう切り口のラブストーリーがあるんだと思いました。 私の大事な作品になりました。 わいせつか否かの裁判を8年やり勝訴しました。 妻は作品に対しては何も言いませんでした。
100本以上の映画に出演。 最近では「それゆけゲートボールさくら組」という作品があります。 ゲートボールはやったことはないですが、面白そうです。 元ラグビー部のメンバーが再結集してゲートボールのチームを作って、認知症の元ラグビー部のマネージャーを助けるというスタイルです。 認知症を明るく捉えている。 三遊亭円楽師匠がこの映画の最後の出演という事になってしまいました。 非常に面白い映画です。
大きな抱負などは特になくて、一日一日を楽しく、有難く生きていくだけで、仕事を頂くのが一つの励みになっています。