2023年5月5日金曜日

山本東次郎(能楽師・大蔵流狂言方)   ・86歳、“老後の初心”

 山本東次郎(能楽師・大蔵流狂言方)   ・86歳、“老後の初心”

老いてゆくことってあまり実感がないんですが。   いろいろと悪くなってきたこととか、痛いところがあったりしますが、舞台に立つと別のスイッチが入って、余り老いを感じてないので、まだ明日があるような感じがしています。    60歳のころはもう少し頑張ればもぅちょっと良くなるんじゃないかという気がありました。  もっと集中しなければいけないと思って、そのころからより集中するようになりました。   身体に負担がかかるようなものも平気でやっていました。  座右の銘をいろいろ持っていますが、「師の後を求めず、師の求めたるところを求めよ」という事があります。 

私が27歳のころに父が64歳で亡くなっています。   父親を越えてみると、父親が何を求めたのか、狂言の理想って何だろという事を一生懸命考える様になりました。    ガンジーの言葉だと思いますが「明日死ぬと思って生きろ、永遠に生きると思って学べ」とありますが、そんな思いで学んでいますし、明日死んでも悔いのないような生き方をしたいと心底そう思いました。  それから20何年経っていますが、辛いのは少年のころ楽屋友達だった人たちが逝ってしまいました。  

能のほうは、老いてゆくことの悲しさ、不可能になってゆくことをひしひしと感じながらですが、狂言の場合は、逆に老いてもいつも希望を持たせる曲ばかりなんですね。  100歳になって或る少女を恋したりして、それが悲恋に終わるのではなくて、老いの絶望が描かれていないんです。   それがまた人間の愚かしさに繋がっているんですが、でも元気で生きているというようなテーマですから、深刻に老いを感じさせない芸だと思っています。 86歳になりますが、これからも続けてゆけそうに思います。  70代で転んで頭を打ってくも膜下出血で手術をして、次は前立腺がんになって、脊柱管狭窄症になりましたが、良い先生に助けてもらいました。   前立腺がんは親友の医師がいて検査を薦められて、早期発見ができました。   

若い者に経験させたいのと、自分がやりたい曲をずらっと並べて12番選んで、ひと月ごとに12回行いました。  81歳から82歳にかけて12番務めました。  最初は「三番叟」でやって下さいと言われて、国立能楽堂の5周年の時に行いました。  以前体力があったころで、鎧を着てやることになって、本物の鎧で凄く重かったんですが、これで踊れる充実感があり嬉しかったです。  今回は流石に動けないと思って、ほとんど本物に近い鎧を作っていただいて、やりました。  35年前が50kgの鎧、4年前には20kgの鎧でした。  前回は兜が7kgでしたが、今回は烏帽子でやりました。  

山が好きで北アルプスはほとんど登りつくしました。  それが足腰の筋肉をつけたものと思います。  子供のころからすり足、立っている時の姿勢などでも鍛えられました。  若いころは狂言は能に比べて低く観られていて、自分がそれを一生の仕事にするのは厭だという思いがありました。    父に対して厭だといったんですが、父は芸養子で入ってきた人間で、「自分には権限がないから、ご先祖様のところに行って聞いて来い」と言われました。   墓場に行ってしばらく考えて、ご先祖のいろいろな名前を見ているうちに、狂言という厄介なものを背負って一生を終わったと思うと、逃げてしまうと申し訳ないと思ったら、涙が出てきました。  自分も狂言に関わらなければいけないと思いました。   

一生懸命見つめているうちに、こう意味でこの曲を解釈すれば、ここが何だという事が、点が線に繋がって来るんです。  それが増えて行って面白くなりました。   父親に質問するとほとんど跳ね返されてしまいました。   そのうちに狂言というのは、人間の持っている愚かさを描くものなんだという事が判って来ました。  人間、自分が愚かしいと思うと、尊大になったり、不遜になったりはしないと思います。  一人一人が全部そうなると、平和な世の中が出来る、それを多分願っていたのではないかと思いました。     それを笑いにくるんで演じる。  能は人間の悲しさ、儚さ、美しさ、恐ろしさなどを描いているものに対して、狂言は人間は愚かだけれども、愚かなことを否定していない。   でも人生っていいものなんだよと言い続けて居る。  大蔵流の200番の中にはそれがちりばめられている。  そんなことで一生かけても良かったと思っています。

父が死んで、当時では私はひよっこでしたが、周りの父と同年代の人が本当に温かかったです。  いろいろアドバイスを頂き嬉しかったです。  昭和47年東次郎を襲名することになりました。  実は本名でもあります。  『獅子聟』を演じました。       昨年が東次郎襲名から50年になりました。  獅子が子供を千尋の谷に蹴落として、その勇気を見る、根性を試すものですが、それが婿入りと重なって他人同士の婿と姑が厳しい付き合いだけれども、真の信頼を得るというそういう方が付いているんです。  そういう曲として私は捉えています。   教えてもらったものを忘れると、ひっぱたかれるんです、この世界は忘れるという事が最も悪いことなんです。   何度も引っ叩かれたことが、 国立能楽堂が出来た時に役立ちました。  国立能楽堂には400回ぐらい出演して最多となりました。   今年9月に国立能楽堂が40周年記念で『獅子聟』を舞台にかけます。   婿は弟の孫(林太郎)が演じます。            深いもの真剣なものを嫌う風潮の中で、舞台に流れる精神性がどこまで次の方たち伝えられるか、継承者たちにどこまで真摯に身体の中に入って行ってもらえるか、危惧がありますが、何とか伝えていきたい。