大竹まこと(タレント) ・〔師匠を語る〕 上岡龍太郎
コメディアン、、俳優、ラジオ パーソナリティとして、NKHの「チコちゃんに叱られる」では容赦なく突っ込む好敵手として、独特の存在感を示してます。 大竹まことさんが師と仰ぐのは2000年に芸能界を引退した上岡龍太郎さんです。
上岡龍太郎さんを師匠と思っているのは、私が勝手に思っているだけです。 「火垂るの墓」というものを上岡さんが30~40分舞台の上で朗読して、それが物凄かったんです。 自分で最初の10行を読んだら涙が出てしまって、読めないような本なんです。 感情移入して高ぶってやられても、聞いている方は意外と入ってこないことが多いと思いますが、あの人は元々クールな方だけど、距離の取り方が ・・・?というところに入り込むような朗読になっていて、また、関西でもお世話になることがあって、私が勝手に師匠と思っているだけです。
上岡龍太郎さんは1942年京都生まれ、18歳で漫才師の横山ノックさんと出会い、「漫画トリオ」結成、横山パンチの芸名でデビューしました。 1968年に横山ノックさんが参議院選挙に出馬したのをきっかけに、「漫画トリオ」は活動を休止します。 個人での仕事を開始した上岡龍太郎さんは、テレビ司会者としてブレーク、大阪だけではなく東京のテレビ局でも多くの冠番組を抱え、全国区の人気者になります。 活躍はテレビ、ラジオだけではなく、立川流の立川右太衛門を名乗り講談や落語を披露したほか、上岡龍太郎劇団を旗揚げ、上岡龍太郎独演会では「火垂るの墓」「「宮本武蔵」「忠臣蔵」などの小説を舞台で語りました。 49歳でランニングを始めフルマラソンだけではなく、100kmのウルトラマラソンも完走、2000年芸能界を引退した後は、プロゴルファーになると宣言して、アメリカにゴルフ留学もしています。
上岡さんが司会をしている関西の番組に呼ばれて、「どう思いますか」とか、関西では司会者が振らないんです。 最後の最後に多くの人が共感する方に合わせた話をして番組は終わりました。 後で上岡さんがきて、「君は卑怯だ」と言っていなくなりました。 関西のルールを知りませんでした。 呼ばれないと思っていたら、1~2か月して又その番組からその話が来ました。 2回目はしゃべってやろうと決めて、行ったら関西の重鎮の人たちがきていましたが、ことあるごとにしゃべりました。 後になって上岡さんが来て「しゃべり過ぎだ」と言われてしまいました。 その後関西の番組には呼ばれるようになりました。 その後上岡さんとは公私にわたり勉強させてもらいました。
「しゃべり過ぎだ」と言われた時には、目が笑っていました。 イッセー尾形はお笑いスター誕生の同期ですが、こいつはちょっとあるやつだという人の後に俺がやるわけです。 どうしたらいいかわからないまま、参加しました。 そのうちヒール?という冠が私についた様です。 上岡さんは辛辣な人なんです。 自分と同じような危なっかしい男がいるぞという事を思ってくれたのかなあと思います。 よく使って頂いたことは確かですね。 上岡さんからは「芸人は物事の核心を掴め」と言われました。 「芯を掴んだら中心に行かないで、その周りをぶんぶん飛んでいればいいんだ」と言われました。 芯を掴む努力、芯は何なのかを見極めるようとはしました。 どういう風にひっくり返せば面白くなるのか、という事も考えました。
大坂から東京に来る芸人は沢山いますが、東京から大阪に行く芸人はそんなにいないんです。 16年ぐらいは関西でやりました。 スマートさをかなんぐり捨てたかもしれません。 上岡さんはスポーツは大嫌いでした。 何故かマラソンを始めて、番組でもホノルルに行くんだと言っていました。 クイズに負けるとホノルルを走らなければいけないというルールがあったようです。 僕も連れていかれる羽目になりました。僕は42,195kmを歩きました。 ゴルフもなぜなのか判りません。 歳を取っても意見は変わるものだと思いました。 変わらないよりも変わる方が凄いですよね。 僕はゴルフはこの歳まで続けられるようになりました。
上岡さんは劇団の旗揚げ、1992年からは独演会を開きました。 暗記力はとってもたけている方でした。 朗読の技術はどこで覚えたのか知りません。 台本を頂いて真似をしたかったが出来ませんでした。 語りの方です、上岡語り。 引退の話を聞いたのは絶頂期でした。 芸人は自分のことをなかなか決められないものですが。 上岡流の美学を持っていたのかも知れません。 いつかは戻ってくると思っていましたが。
好奇心はたくさん持っていて、フィンランドに行った時に夜7,8時にゴルフに行こうと言って10時ごろまで(日本と違ってまだ明るい)二人でゴルフをやっていました。 しゃべっていないと死んじゃうような人でした。 しゃべることがなくなるとフィンランドの読めない看板を読み出すんです。
上岡龍太郎さんへの手紙
「・・・私は今も師匠から受け継いだもの、かけてくださった言葉を頼りに、この業界の端っこを、泥水や土くれにまみれながら生きております。 ・・・ 何十年も前の師匠の言葉「大竹、芸人はどうすればよいか知っとるか。」私は不思議な顔で聞いていました。 「芸人はなあ、物事の核心を掴むことだ。 物事の芯を掴んだら、後は蠅みたいにぶんぶんその周りを飛んでいればいいんじゃ。」・・・それは確信に変わり今日まで守って来ました。・・・幾度となく谷に落ちかけました。・・・誰かが師匠の様に手を差し延べてくれたのでしょう。・・・今年74歳になります。 今、今 ここにおります。・・・ 師匠お会いしたいです。(涙ぐんで語る。)」