小石原将夫(丹後ちりめん織元) ・藤布を後世に
小石原将夫さんは藤の木の繊維で作った藤布の作り方(藤織り)を学んで、現代に製品として世に出す活動を続けています。 昭和23年、明治から続く織元の家に生まれた小石原さんは,すでに絶えてなくなったという藤布が同じ丹後半島の宮津市上世屋の集落に残ってることを知って、お年寄りに聞き取りをしながら作り方を学びました。 小石原さんと一緒に藤布を学んだ人たちが作った丹後藤織保存会では、一般の人向けに藤の蔓から糸を生み出す体験会で知ってもらってその技術を伝える活動を続けています。
藤布はごわっとしているように思いますが、手を当ててみると優しい風合いがあります。 繊維の太さはほかのものより太いです。 縄文時代から作られたとも言われています。 木綿が入って来て摘みやすくて軽くて暖かくて大量に栽培出来て、どんどん広がって、藤布は難しいので段々となくなって行ってしまいました。 藤布は全然知らなかったです。 30歳を過ぎてから丹後半島の上世屋の小さな集落に残っていることを知りました。 藤から布が出来るという事は何という事なんだろうと思いました。 行ってみましたが、知らないというような返事ばかりでした。 気になるので合間を見て車で1時間ぐらいなので行っていたりしていました。(昭和50年代後半) そうこうするうちに5年が過ぎてしまいました。 技術講習会があることを新聞で見て、申し込みをしました。 見よう見まねでやって行って4年後ぐらいに藤織保存会が出来ました。 無形文化財に指定される保存会になっていきました。 教えてくれるのは地元のためさん、ツヤさんのおばあさん2人だけでした。
まず山に行って藤を取って来ますが、右巻きの藤がいいと言われています。 見分けが難しいところもあります。 赤藤がいいという事で探し回って、おばさんに確認してもらいました。 太さが2cm程度のものです。 やっていると織物の原点ではないかなあと思いました。
明治から続く織元の家に生まれ、長男なので継ぐように言われていましたが、家を出たいとは思っていました。 結局後を継ぐことにしました。 そんな中で藤布との出会いがあり興味を持ちました。 ずーっとやってゆくためには商品作りをして、販売につなげてゆくことが必要なんだろうと思いました。 人間は着ることによって命が繋がってゆく、それが毛皮から織物に変ってゆく。 そんな織物の原点が藤布だと思っています。 いろんな繊維の中でも一番先に消えてしまって行ったのが藤布でした。 藤の蔓は花が咲くころから初夏がベターだと思います。(水を一杯吸い上げている時期)
外側の皮と芯との間にある繊維を叩いて取り出すのですが、まず皮をはいで木と皮とに分けます。 中側と外側を鎌などで剥がしていきます。 剥いた皮を水につけて柔らかくして、煮ます。 沸騰して2時間、天地ひっくり返して又2時間が基本です。 川に行って洗ってさらします。 持ち帰って水道水で洗って、米ぬかをお湯にといでその中に繊維をくぐらせます。 それが乾燥したら、藤績に入ります。 それが一番時間が掛かります。繊維をつなげてゆくのに、撚り方に特徴があります。 左撚りにして合わせて右撚りにしていきます。 コツをつかむのが難しいです。 上世屋集落に残っていたのが凄い財産だと思います。 織る時の感触も全然違います。 太いし、糸が切れたりするので難しいです。 布地は織物にすると強くなります。 藤布は麻の布よりも吸湿性は優れています。 最初はごわごわしているが、そのうちに柔らかくなります。
絹で帯を織っていたりしていたので、絹の中に藤を織り込むことでさらに締めやすい、表現力も多様に出来るので、こんな帯を締めたいと思ってもらえるような帯を作りたいと思っています。 横糸が絹(動物繊維)で横糸が藤(植物繊維)といったものが作れます。 帯以外も作っていきたいです。 藤布作りで思っていなかったなことも起きて、その延長線で皆さんに喜んでもらえるようなものを作っていきたいです。