村山貢司(元・NHK気象解説者) ・〔私の人生手帖〕
6月1日は気象記念日です。 1875年(明治8年)6月1日に気象庁の前身東京気象台で、気象業務が開始された事を記念して制定されました。 長年テレビやラジオで気象解説を務めた村山貢司さんです。 村山さんは1949年東京生まれ、1972年に財団法人日本気象協会に入社、1996年には気象予報士試験で第一期の合格者となりました。 判りやすく丁寧な解説で定評のあった村山さんですが、一方で80年代から社会問題となってきた花粉症の対策として、花粉情報システムを開発、環境省自動観測システムはなこさんを設定するなど様々な健康情報のシステムを開発し、現在も国や東京都の花粉症に対する調査、研究を続けています。 花粉症の季節は一年中と言っても過言ではないと言っています。 花粉情報システムについて、また気象予報の醍醐味、難しさ、何故気象の道に進んだのか、など伺いました。
今やっているのは環境省とか東京都の花粉症に関する調査、研究の仕事です。 ライフワークみたいになっています。(35年以上) NHKだけで1987年から21年間、その前に民放で10年ぐらいやっていました。 「モーニングワイド」「おはよう日本」「ニュース7」「ニュース9」など。 不規則な勤務をやっていました。 一番印象に残っているのが、東京都内で大雪があった時で、私が住んでいるのは多摩地区で、多摩地区は降らないだろうと思っていて、朝全く雪がなかった。 杉並、世田谷に来る頃は雪が数センチになっていて、チェーンは付けてなくてあっという間に前の車が止まってしまった。放送時間に間に合わないと思って、京王線の駅まで走って行って、井の頭線から渋谷に出て、渋谷からNHK迄走って行って、下半身は泥んこでした。 着いたのは放送の12,3分前でした。 慌てて着替えて下半身は映さないようにしてもらって、ぎりぎり間に合いました。
台風に関する放送をしていたら、モニターテレビの画面の台風の右のほうにヤモリがへばりついていました。 台風と一緒にヤモリが北上していって、大笑いするところでした。 他にもいろいろ一杯ありました。 天気予報の面白いのは結果がすぐに出るんです。 予報が大きく外れた場合にはクレームの手紙、電話が結構来ます。 その場合は謝ります。 気を付けていた言葉に「あいにくの雨」は使わないようにしました。 農家にとって「あいにくの雨」はないんです。 「恵みの雨」なんです。
NHKの仕事を始めたのが1987年で、その数年前から花粉の調査を始めていました。 これは予報が出来るのではないかと思いました。 とりあえず関東周辺を対象にスギ花粉の飛散の予報を始めました。 妻がかなりひどい花粉症でした。 花粉情報でいかに身体に取り込む花粉を減らすか、という事が出来れば症状は緩和出来るだろうと思いました。 80年年代半ばごろから花粉の数が凄く増えてきて、花粉症の人も凄く増えました。 花粉情報も全国に広がりました。 その前に紫外線情報も作りました。 でもその当時が小麦色の肌が一般的でした。(紫外線を多く浴びるのは良くないとは思っていたが。) 花粉情報がブレークしたその夏に、沖縄、九州から引き合いが出てきて、紫外線情報も役に立つようになりました。 今は時代がガラッと変わって紫外線カットです。
今は10人のうち4人ぐらいが花粉症です。 スギが2月から4月、ヒノキが3月から5月中旬、それからイネ科の花粉が出てきます。 8月からブタクサの花粉症が出てヨモギの花粉症がでて、11月から12月にかけて、またスギの花粉がちょっと出てきます。(桜の狂い咲きと同じような現象がある)
生まれは八王子市で父親が山菜、キノコを採るのを趣味にしていました。 父親と一緒に行っているうちに、生き物に興味が出てきて、科学部の生物系のサンショウウオの調査をしていました。 高尾山の水のある地域は全部歩きました。 ザイルの使い方とかを教える方がいて山に行くようになりました。 高校では山岳部に入って全気象図をかけるようになれと言われて、気象への道に入って行きました。 大学に時には4,5日吹雪で閉じ込められました。(計算済みではあった) 2007年3月でNHKを辞めて4月から70歳になる直前まで山岳ツアーのガイドをやっていました。 多い時には年間50日ぐらいです。
一般の方はふもとの天気と山の天気は全く一緒ではないという事の知識がないです。 プロのガイドさんにもない方がいます。 風と雨、雪で体温が奪われるのでそういう時には歩いてはいけない。 気象予報を365日やっていたので、山に対しての気象にはすごくよかったです。 実際行ってみると雲の状況、風向きが違うという事になると考え直さないといけない。
今年の春に品川区ではスギ、ヒノキ花粉が1平方センチ当たり8000個近く観測されました。(1平方メートル当たりでは8000万個) ワセリンを塗ったガラスについた花粉の数を顕微鏡で数えます。 データを集めてゆき、10年分ぐらい集まると予測が出来る様になります。 東京都内だけで13か所置いてあります。 最初に花粉が見つかった日と見つからなくなった日の10年分の平均を取ると、だいたい予測がつきます。 こういう気温の天気の時にはどのぐらい飛ぶかという事も予測できます。 1月1日からの最高気温の積算温度が400℃から440℃ぐらいになると1平方センチ1個以上の状態になる。 飛んでいる花粉の大きさは30ミクロンぐらいです。 機械でも観測は出来るが、花粉なのかゴミなのか、黄砂なのかはわからない。 顕微鏡で花粉の形を確認するしかない。 35年経ちますが、やっていることは当時と全く変わらないです。
東京への花粉がどこから飛んでくるのか、どのぐらい多いのか、統計的な推定は出来る。 実際に花が一杯ついているところを見ておかないといけない。 気象庁の天気予報のデータとを勘案して、どの地域でどの時間に花粉が多いのか計算できます。 大気の安定度、上昇気流、下降気流、水平方向の風、三次元の風を考えている。 気温なども関係します。 大気汚染の予測が出来るのなら花粉の予測もできると思いました。 10kmのメッシュでどこに杉林がどの程度あるか、全国データも作りました。 このメッシュ部分にどれぐらい花がついているか、を調べてゆくとどこへ飛んでゆくかという事は計算できます。
日本の2割ぐらいが、スギとヒノキの林です。 花をたくさんつけるスギのところから効率的に切って、少しでも花粉を減らす。 私たちがスギ、ヒノキ材をもっと使わなくてはいけない。 そういった取り組みもしています。 気象情報をうまく提供してあげれば、もっと、物流、経済などの効果が良くなるかもしれない。 農業、林業、漁業とか物凄く広い分野に広がりがあるので、もっと専門的なテーマとして、世の中、他の業界に役に立つような情報を作れる余地がいっぱいあると思います。 日本は地形的な面で言うと予報が難しいですが、逆に面白いという事もあります。 予報は時には外れるぐらいがいいのではないか、100%当たったらつまらない。(いろいろな面で) 災害はこれからひどくなっていくと思うので、食料の備蓄をはじめいろいろなことを考えておかないといけないと思います。