2021年2月19日金曜日

渡部潤一(天文学者)          ・宇宙をみんなのものに

 渡部潤一(天文学者)          ・宇宙をみんなのものに

1960年福島県生まれ、1987年東京大学東京天文台に就職、1994年30代で宇宙の魅力を多くの人に知ってもらおうと、国立天文台に広報普及活動を専門に行う部署を立ち上げ様々な取り組みをされてきました。   宇宙をみんなのものに、と題して話を伺いました。

夜の空の光を観測していたデータ処理をする仕事でしたが、大きな望遠鏡を作るための連絡要員としてハワイで仕事もしていました。  帰国後、見学したいという高校生を守衛が追い返していたのをたまたま妻が見て、このままではいけないと思ったのが広報に踏み出すきっかけになりました。  自分の研究にはほとんど時間が取れなくなりました。  論文は圧倒的に少なく成りました。   一般の人向けの望遠鏡も作ることになりました。  1994年に広報室を立ち上げて室長に就任しました。  ある教授から貧乏くじを引かされたねと言われました。

質問電話を受ける人が数人と、望遠鏡担当とか、雑務を含めて一部屋で済んでいました。  大学院生も押し寄せてきて観望会の基本を作ってくれたり、webサイトのたちあげなどもしてくれました。   積極的な情報発信はそれまでしてきませんでしたのでそれを始めました。   1994年にシューメーカー・レヴィ第9彗星(木星衝突したことで有名な彗星)で世界的にも話題になりました。  赤外線を利用して観測して、畳の上で記者会見して、当時話題になりました。

1995年からは夏休みにスターウイークを実施、全国の施設の方々が集中してできる週間があればいいかなと思って、バードウイークに似せて、スターウイークを8月1日から一週間設定しました。   100以上の施設が一緒になって宣伝するいい仕組みだったと思います。今も継続してもらっています。

施設公開、三鷹では年に一回でしたが、常時公開という形にしました。

2009年の世界天文年(ガリレオ・ガリレイによる天体望遠鏡を用いた初めての天体観測から400年目であることを記念し、世界中の人々に天文学と宇宙への関心を持ってもらうことを目的とした企画)では海部宣男さんのもと、世界天文年2009日本委員会の企画委員会、企画委員長を務めました。100以上の国が参加してくれました。   本屋さんに天文の本の特設コーナーを設けていただいていい本を手に取ってもらうことなども行いました。

国際天文学連合の惑星定義委員会で冥王星を惑星から外して準惑星とするという風に決めたときにも参加しました。  2005年の秋に、議論したが惑星の定義がきめられないという事で、少人数でという事でアジアからは私が参加することになりました。  3分類することがいろいろ議論の焦点になり、丸さ、大きさ、軌道上の仲間がいるかいないか、という事で線を引いていきました。   第一次世界大戦が終わって国際天文学連合が創立されましたが、日本は創立メンバーの一つでメンバーをいくらでも出せたが、星座を88に決めるという委員会があったが、東洋から一人も出なかったために、88の星座は全て西洋星座になってしまいました。   

小学生の頃は理科少年でした。  アポロ11号とか、火星の大接近とかで段々天文に傾いていきました。  1972年10月8日にジャコビニ流星群騒動があり、校庭で見ようという事になり先生に話したら親が一緒ならばいいという事になり、6人ぐらいで寝転んで待っていましたが、まったくでなくてがっかりしましたが、それが大きなきっかけになりました。  流れ星の観測を一人でやるようになりました。   日本流星研究会があり、そこに送ると観測報告が載るのでうれしかったし面白くなりました。   やりたいことが3っつあって、漫才師、作家、天文物理学でした。   専門は太陽系及び彗星天文学です。

2011年3月11日の時は都心に向かう電車の中にいました。  大きな津波の被害を知って、翌日原発事故があり、科学者として見過ごしてきた部分があるのかなと思ったりして寝ることが出来なくなりました。   東京に避難してきた人たち、子供たちがいたので、望遠鏡を持っていって星を見せに行こうとか、星空教室をやろうという事で、やりました。   2011年に国際会議を日本に招致することになって、私が委員長として新潟でやる予定でした。   日本でやりたかったので2012年5月に行いました。  新しい小惑星に名前を付けるが、東日本大震災で傷ついた人が沢山いる地域、県の名前、岩手、宮城、千葉とつけましたが、福島県は(会津、仲通り、浜通り)を提案して、発見者はアメリカだったがこちらの提案に快く応じてくれて、付けることができました。  うつむいている人たちに空を見上げて、上を向いてもらうきっかけになってくれたらと思いました。

「第二の地球が見つかる日」を出版。  作家になる夢をかなえようと思いました。   宇宙、天文に興味がない人にどういう入り口があるかと考えたときに、小説からはいってもらうという事もあるのかなあと思いました。   

国際天文学連合では地域会議があり、アジアパシフィックの一回目は日本だったが、しばらくやっていないので、地元福島でやりたいと思って、名乗り上げているところです。

自分じゃないとできないことを社会にどう還元するか、という立ち位置で物事を考える様になったことは一番大きいと思います。  若い人が自由に研究できる環境整備は我々の役割かと思います。