福本清三(俳優) ・【人ありて、街は生き】「斬られ役で半世紀」
先月77歳で亡くなった俳優福本さん、兵庫県香住町の出身、15歳で東映京都撮影所に入り、大部屋俳優一筋、数えきれないほどの映画やTVの時代劇に出演して日本一の斬られ役5万回切られた男の異名を持っています。 そんな斬られ役人生のハイライトが2003年公開のハリウッド映画「ラスト サムライ」で、主演のトム・クルーズさんの警護役兼見張り役の寡黙な侍を演じました。 2014年、56年の役者人生で初めての主演映画が製作上映されました。 タイトルはは「太秦ライムライト」、この映画の制作委員会には京都で働いてきた映画監督、俳優、京都市も加わって寄付を募って制作費の一部に当てました。(【人ありて、街は生き】の2014年6月7日放送の再放送)
3階の支度部屋で大部屋で20~30年入っていました。 5m×10mぐらいで、一番の全盛期は男女合わせて400~500名ぐらいいました。 2階は片岡千恵蔵先生、市川歌右衛門先生とか、中村錦之助先生、大川橋蔵先生とかの方々がいました。
本名は橋本ですが、先輩にも橋本がいて、名を変えろということで福本にしました。 生まれが昭和18年2月3日、兵庫県の香住町。 中学を卒業後京都に出て、親戚の米屋に入りました。 「まいどおおきに」というのが恥ずかしくて、或るきっかけで映画会社に入ることになりました。 大部屋に入って先輩に怒られながら、メーキャップなどを習っていました。 初めて現場に出たのが、東千代乃介さんと美空ひばりさんの「鞍馬天狗」だったと思います。 火祭りの行列の中の一人で松明をもって歩きました。
時代劇で斬られ役は僕らにとっては夢の夢でした。 技術的にもいろいろあるし、怖くて大変です。 斬られて死んでいる死骸役などもやってきました。 「旗本退屈男」(市川歌右衛門)で初めて斬られ役をやることになりました。 迫力があり本番では吃驚してしまいました。 「宮本武蔵」(萬屋錦之助)は記憶に残るものの一つで陽が上がる瞬間の1時間ぐらいの撮影で、1週間ぐらい田んぼの中でやりました。 「目に力がはいっておらん」とか怒鳴られました。 「主役だけが主役ではない、画面に出るものがみんな主役だ」という事も言われました。 海老反り、後ろ向きで倒れて行く斬られる姿を自分なりに考案しました。 摺り傷、ねん挫などしょっちゅうやっていました。 忍者の役の下役で初めて台詞を言う役をやりましたが、練習をしていったんですが、レンズが目の前に来て台詞を言えませんでした。
映画が下火になった時には姉に食わしてもらったりしてきました。 そのころ皆辞めてしまいました。 川谷拓三は同期でした。 二人で同居していた時代もありました。2003年ハリウッド映画「ラストサムライ」で主演のトム・クルーズさんの警護役兼見張り役に出演、嬉しかったです。 スケールから段違いでした。 資料も凄くて日本人より侍のことを良く知っていました。 月代を実際に剃って半分かつらという風にやりました。トム・クルーズさん、トップスターが最後に大勢のアルバイトの日本兵に演説して、「あなた方のお陰でいい映像が撮れました、この映画を絶対成功させたい、有り難う」と言ってくれました。 ケーキとメッセージとデジカメをトム・クルーズさんから頂きました。
映画『太秦ライムライト』では「斬られ役一筋のベテラン俳優」役で初主演を務める。 この話をいただいた時には僕が主演で商売になるわけがないし、お金が集まるわけがないと思いました。 老いた斬られ役と殺陣を教えて欲しいという新人女優との交流を軸にした映画で、新人女優は山本千尋さんで、武術が得意です。(武術太極拳選手として世界ジュニア武術選手権大会で金メダルを2度獲得した後、女優へ転身)
最後のシーン、桜吹雪の中で斬られての死にざまは、斬られ役冥利に尽きるなと思います。 映画,TVでも時代劇が減ってきて、時代劇をもう一度思い出してくれたらいいなあと思います。 若い人に僕らの立ち回りを継承して欲しいとは思っていますが、なかなかそういうわけにはいきません。