2021年2月11日木曜日

吉見俊哉(東京大学大学院教授)     ・街歩きを通して都市の再生を考える

吉見俊哉(東京大学大学院教授)     ・街歩きを通して都市の再生を考える 

吉見さんは1957年東京生まれ、東京大学教養学部に進学、教養学科相関社会科学分科を卒業後、同大学大学院社会学研究科で学ぶ。 東京大学副学長、東京大学総合教育研究センター長などを歴任しました。  専門は社会学、都市論、メディア論で「東京文化資源区」構想の中心ンメンバーです。  吉見さんは2019年に出版社の編集部員たちとチームを組んで東京都心北部を対象に7日間の街歩き観光をしました。   去年8月にはその記録を纏め、「東京裏返し社会学的街歩きガイド」と題して出版しました。   街歩きのエリアに選んだのは、上野、秋葉原、本郷、湯島などかつては文化的中心地でしたが、戦後の高度成長期、特に1964年の東京オリンピック前後になされた都市改造で周辺化された地域です。   吉見さんは早い、高い、大きいを追求してきた東京に再び人間的時間を取り戻す必要があると考え、東京再生の提案書も提示しています。  ドイツの作家ミヒャエル・エンデによる児童文学「モモ」の中で示した時間論ゆっくり移動する価値を復権させたい思いも述べています。   

昨年10月に多様な宗教が集まって考えるという「崖東夜話」というイベントをやり、寛永寺、神田明神、湯島天満宮、ニコライ堂、湯島聖堂、アッサラームファンデーション(イスラム教のモスクが御徒町にある)、6つの異なる宗教の社寺会堂が集まって一つのイベントをやりました。   崖東はとても意味があり、東京都市はとても凹凸が多い、武蔵野台地が東に張り出してきて、東京湾と接するところに形成された都市なんです。   崖東の崖というのは武蔵野台地の一番東の突端の部分で、社寺会堂が集結している。  非常に異なる宗教を一つに繋いでイベントをやろうという事でやって大変面白かったです。

宗教という観点からみると、キリスト教、仏教、神道、イスラム教、儒教もある。 仲良く狭いところに密集してあるのは東京しかない。   今の世界は分断と対立にあふれているが、東京では仲良くやっている、いっしょにイベントも出来るよという事を世界に発信することはとても意味があるものと思って、準備期間を5年かけてやりました。  3つのパートにわけて、第一のパートが音の響き、第二が魂の形、第三が全員集まってラウンドテーブルで、音の響きはそれぞれが伝統的な音楽をパフォーマンスでやってもらい、そこにとどまらないで、神田明神にいた方がニコライ堂に行くとか、それぞれのなかで街を移動してゆくという事をやりました。  人々が動くことによって違う宗教を繋いでいこうという事を狙ったわけです。  今編集していてインターネットを使って発信していきたいと思っています。

バスツアー型の観光と街歩きは全く違うと思います。  バスツアー型の観光は点と点を結んでいるだけで、中間は飛ばされてしまう。  街歩きは点と点を結ぶルートをゆっくり歩くという事に醍醐味があり、それは時間旅行になるわけです。   日本の土地は凹凸がとても多い。   歴史のある都市は凹凸がある。  異なる時代相のものが共存して残るので違う時間に遭遇する。    

世田谷区と大田区の境目ぐらいのところに生まれました。  多摩川に遊びに行ったりしていました。   東京大学の理科1類に進みましたが、理系の授業がつまらなくて、文系の授業が面白くて演劇にかぶれました。   近くに駒場小劇場がありました。  同じセリフで同じ舞台で、お客さんだけ違って、ドラマは変わって生き物のように変わってゆく、こういうことをもっと考えたいと思って、勉強したいと思って、本を真剣に読み出しました。 教養学部教養学科に相関社会科学という新しい学科ができて、そこの第一期生になりました。 社会学という事以上に都市が大切で、都市以上に人と人との出会いでドラマが生まれてくる。  そのことをもっと深く考えようとしました。  1987年に『都市のドラマトゥルギー――東京・盛り場の社会史』を出版、修士論文を本にしたものです。   盛り場の歴史的分析です。   盛り場は都市の中の劇場みたいな場所で、そこにはドラマがありドラマを分析しようと思いました。 

都市はいくつかの異なる時間の層が地層のように積み重なって出来上がっているもので、異民族とか異なる政治的勢力によってどんな都市でも繰り返されている。  東京は3度占領されれている。  最初は徳川の占領で江戸を作り大改造をしてゆく。  治水を徹底的に行い、お寺や神社のある、水と宗教の都市に変えて行く。   二番目の占領は薩長による占領、お寺や神社が否定される。   水と宗教の都市から軍隊と鉄道の都市、軍都に変わる。   三度目は1945年米軍による占領、日本軍の軍事施設は米軍施設に変わってゆき、やがて返還されてオリンピックが可能になる。

メキシコシティーの場合はスペイン人が来て、アステカ帝国の古い神殿とかを徹底的に壊して平らにして記憶を徹底的に抹消してしまって、その上にキリスト教の寺院をたてているわけです。  東京は凹凸があって先住民の痕跡を消せないし、徳川の痕跡を明治政府が完全に消せたわけではなく、米軍の占領によっても戦前の東京が全く消えてしまったわけではない。  違う時間を東京という都市の中に共存している。  寛永寺は東京の中でも最も重要なお寺だった。   いろんな施設が集中的に作られている。   上野の東照宮には見事な彫刻が残っていて、江戸時代に施設が結構残っている。   明治政府は上野の寛永寺を徹底的に弾圧して、受領地を取り上げて、博覧会場にして、博物館、美術館、動物園、大学を作って、西洋文明を知らしめるような、ある種のディスプレイ装置の様にする。  江戸の記憶を失わせることをする。  しかし街歩きをすると色々と層を見出せる。   

1964年東京オリンピックは最大の変化だったと思います。 「より早く、より高く、より強く」がオリンピックのスローガンでした。   それは経済成長でした。 運河の上に高速道路、都電を廃止して地下鉄網に変えていった。  失われたものも大変大きなものだった。  川辺、運河、路面電車、東京と地方のバランス等々。  これから目指すのは私は「より楽しく、よりしなやかに、より末永く」だと思っています。   何が一番重要な事かというと、スピードを落とすことだと思います。   路面電車を拡充してネットワークを作る、首都高の一部の撤去など「東京裏返し 社会学的街歩きガイド」の本の中では指摘しています。

路面電車は13,4km/Hです。  この速度は地上で歩いている人と乗り物に乗っている人が同じ空間の中にいることが出来るぎりぎりのスピードです。  路面電車はバリアーフリーです。荒川線を延長して環状線にしようとしています。   箕輪を延長させて南千住まで伸ばし、吉原から浅草まで行き、仏壇通りは交通量が少ないので一車線を路面電車用にして、上野まで行って、秋葉原、神保町から北上して水道橋、神田川沿いに飯田橋、早稲田(荒川線のもう一方の終点)とすることで環状線にすることが出来る。    山手線、大江戸線と共に環状線が3つ出来る。  これができると東京のイメージが変わると思います。

シアトルは最近都市部を走っていた高速道路を撤去しました。  都心部と海辺が分断されていたが、それを繋いでいます。  東京の首都高速道路は撤去できるところが何か所かあり、明らかに撤去できると思っているのが首都高1号上野線で、江戸橋インターから本町-上野-入谷とつながっているところです。   新しい秋葉原とか新しい上野とかが作れるわけです。

他の都市にも全く当てることが出来ると思います。  「日本裏返し」をしていかなければいけないと思います。 コロナ禍ですが街を歩いていくことはそんなにリスクはないと思います。   感染予防と経済再生を両立させる一つの方法は「裏返し」なんです。   道路から車を締め出して、道路にテーブル,椅子を出して道路で食べたり飲んだりする。  ヨーロッパの或る国では封鎖していて道路は歩いていないので、道路という空間を公共的なコミュニケーション空間に変えている。  これは道路を「裏返し」していることです。