八木波奈子(元ガーデニング雑誌編集長) ・【心に花を咲かせて】ガーデニングブームを起こして25年
八木さんは元々花やガーデニングに詳しいというわけではなかったといいます。 なぜガーデニング誌を創刊されたのでしょうか、そして25年でその雑誌は幕を閉じましたが、それはなぜなんでしょうか。 ガーデニングブームを牽引し、人気雑誌を作ってこられた八木さんにガーデニング誌に込めた思いや、読者の反応で気付いたこと、ガーデニングで伝えたかった事はなんだったのか、25年を振り返っていただくとともに今後について伺いました。
ガーデニング誌を創刊したのは1992年、インテリアの雑誌をリニューアルさせたもの。 ガーデニングという言葉も知られていませんでした。 どうしても自分で新領域の雑誌を創刊したいとこだわっていました。 何をやったらいいか3年ぐらい探して、イギリスにたどり着いて、ガーデニング雑誌を創刊しようというきっかけがありました。 オープンガーデンのシステムがあり、入場料をチャリティーマネーとして集めて大きく社会貢献してるという話でした。 ガーデンが組織化されていることに吃驚しました。 ガーデニングが趣味ではなくて社会性を持っているという事に凄くピンと来て、新しい雑誌のテーマはガーデンとガーデニングにしようと思いました。
1997年にはガーデニングが流行語大賞になりました。
1992年の5月にアメリカで世界的な読者をもつ雑誌がガーデニング特集をやっていました。 アメリカでもガーデニングがブームになっていました。 創刊した年でもあり、これは行けるかもしれないと思いました。 インテリアの雑誌に取り込みましたが、80%は怒りましたね。 引き返せなかったが、段々ガーデンの素晴らしいお宅が出てきて、すこしづつ増えていきました。 モネの庭を特集してモネを表紙にしました。 モネが自分で作り上げた庭で、大変な感動と驚きでした。
私もガーデンデザイナーになりたいという人が続々と出てきました。
退屈しない日々の種を沢山雑誌の中にはらんでいるのがいいかなというのが、私の雑誌作りの基本があります。 ガーデニングには変化があり発見があります。 自己表現の場としてガーデンというところを使って、自分を投影させる人が意外と多いという感じです。
イギリスの憧れの庭を雑誌に取り入れていきました。 周りの人が言う花咲く野原というテーマが頭から離れなかった。
時代によってこれはすごかったというのがあり、素晴らしい庭園として世界中に知られたものとして、シシングハースト・カースル・ガーデン(イギリス、ケント州にある庭園)は白い花だけで一区画纏めています。 庭を作った人に興味を持ちました。 雑誌が全国区で知られるようになったきっかけはチャールズ皇太子の庭についての特集、連載をやりました。 無農薬有機栽培についても取り上げて欲しいという事もありました。
トロントミュージックガーデンができてトロントという街がどんどん変わっていきました。 市民の皆さんの生活の中に沁み込んでいって、市民の人もボランティアで庭を維持、手入れをしていて、凄いなと思いました。
生きていく上での人間の本質的な処に深く関わって行く庭に段々気付いてこれは凄いなと思いました。
1997年にはガーデニングが流行語大賞になりましたが、一過性のものではなくひっそりと静かに深く大きく育てていきたいと思っていたので、ここで注目しないで欲しいという気持ちはありました。 オープンガーデンの関心が高まって組織が出来上がっていきました。
東日本大震災が起きたときに、私はガーデンチャリティーをやったんですが、50団体ぐらいオープンガーデンがありましたが、皆さん一斉に立ち上がりました。 日本のみなさんは納得できる目的があったときには、一致団結して立ち上がる力は凄いなと思います。 花の癒しは感動できたと思いました。 ガーデンセラピーが一つの雑誌テーマとして誕生していきました。 リハリビと庭は素晴らしいと思いましたが、まだまだ少ないです。
雑誌を閉じることになりましたが、ガーデン、ガーデニングは小さなマーケットで、なかなか収支が難しい。 25年を区切りとして終わることになりました。 これから先はどうなるかわからないので、手掛かりが無くて今年1年で何か見つけたいと思っています。