2021年2月10日水曜日

天満敦子(バイオリニスト)       ・鎮魂の思いで弾き続けた10年

天満敦子(バイオリニスト)       ・鎮魂の思いで弾き続けた10年 

天満さんは6歳からヴァイオリンを始め、小学校6年生の時にNHKのヴァイオリンの稽古で講師の江藤俊哉さんに才能を見出されます。  東京芸術大学に進み卒業後、大学院に進みそこも終了、在学中に日本音楽コンクール第一位、ロン=ティボー国際コンクールで特別銀賞を受賞。1993年にルーマニア出身の薄幸の作曲家チプリアン・ポルムベスクの「望郷のバラード」を日本に紹介して、ライブCDが大ヒットしてクラシック界の話題になりました。   天満さんはこれまで東欧や日本でのボランティア演奏にも積極的に取り組んで2011年の東日本の大震災以降は定期的に東北を訪れて、演奏活動を行ってきました。  今年は大震災から10年目、その3月11には震災が起きたその時間に鎮魂の思いを込めて舞台で演奏することで、今年の演奏で御自身の体験にも一区切りをつけたいとおしゃっています。  

去年は90%がキャンセルになりました。   ヴァイオリンは1週間ぐらい弾かなかったことが何回かありました。   しんどかったです。 

3月11日の慰霊祭に伺って演奏をしてきましたが、去年はできませんでした。  会場はいろいろなところでやります。  母の里の相馬でも4人流されてしまいました。  亡くなった叔母は母が体が弱かったので子供の頃一緒に住んで私を育ててくれました。

日本の歌曲が好きで「叱られて」、「ふるさと」 とか急に親近感をもって、アレンジしないで原譜のまま弾きました。  

母が物凄く音痴で子守り歌など一曲も聞いていないです。  

使用楽器はストラディバリウス、弓はウジェーヌ・イザイの遺品を愛用している。  ゆっくりゆっくりストラディバリウスは「ふるさと」など弾いてくれます。

日本の曲を2,3分弾くわけですが、お互いによりあったんじゃないかと思います。   「望郷のバラード」もちょっとそういうタイプの曲なので、そういっものが温められて、残念な機会でしたが、そういう日本のものに目も耳も身体も向いたんじゃないかと思ました。自分でも予想もしないことでした。   

陸前高田でのコンサートの後、おじいさんが「あんたの『ジュピター』よかったべー」と「この曲聞くと元気が出んだよなー」言って消えていきましたが、それを聞いて強烈に耳に残ってしまいました。   それまではいつも静かに閉じたかったので「望郷のバラード」だったんですが、次のコンサートから全部『ジュピター』になりました、今でも続いています。

*『ジュピター』  ヴァイオリン:天満敦子  パイプオルガン:小林英之

今年3月11日に紀尾井ホールでコンサートができます。   偶然に空いていました。 願いがかなったというしかありません。   区切りというか、自分のなかで何かの手ごたえがあったら、プロブラムの最後が「望郷のバラード」に戻るかもしれません、そういうことを願ってはいます。

去年で65歳になり、変化を楽しんでいます。  日本のものを弾いている時のいい気持といい時間を、ここに来るための私だったんじゃないかと思えるぐらい、「望郷のバラード」は何万回と弾いてきて又「望郷のバラード」ねと思ったことは無くて、それと同じ気持ちが日本の曲にあるものですから、今結構幸せです。

*「アベマリア」  ピアノ:岡田博美  ヴァイオリン:天満敦子