宮本亞門(演出家) ・みんなにエールを送りたい
1958年東京生まれ、劇場の前にある喫茶店の息子としてダンサーだったお母さんの影響もあり小さいころからいろいろな芸事に親しんできました。 高校生の頃周囲とうまくやっていけず、引きこもった時期もありましたが、そのころからミュージカルの演出家になりたいという夢を抱き紆余曲折の末、29歳の時に『アイ・ガット・マーマン』という作品でデビュー、今ではミュージカルだけでなくオペラや歌舞伎の演出など国内外で手掛けています。 2019年TV番組がきっかけに前立腺がんが見つかり手術、復帰後名前の「亜」の字を旧字体の「亞」に変えています。
コロナ禍の中、皆さんに頑張ってもらおうという思いでミュージカルの曲をと思ったのですが、「上を向いて歩こう」をネットで発信したりしてきました。 20代演出家になりたかったが、回りからはなれないと言われていました。 今回のネット配信に関しては一緒作ってくれたのは5人です、送られてきたのが著名人が30人ぐらい、一般の方が600人以上でした。
一昨年がんになり、21歳の時に母が突然亡くなり、直ぐ後に舞台の初日をあけてそういったことから原点はいつでも死が訪れるという思いがあり、その時生きている間に何ができるか、生きていることは素敵だという事から、こういう活動をしてしまうんですね。 母は喫茶店のオーナーで、おやじは企業に勤めていて、母と駆け落ちをして、私が生まれたときに母が輸血をしてその時に輸血で肝炎、肝硬変になってしまいました。 「私は生きるの、生きるの」というのをずーっと見ていたので、それはすさまじかったです。 「一秒でも長く生きたい」と言っていました。
20代は悩みながら、自分に対して、人に対しても、社会に対しても「畜生」と思っていました。
29歳の時にオリジナルミュージカル『アイ・ガット・マーマン』で演出家とし、小さな劇場でやって3日間の公演をしました。 段々話題になりました。
出生名は「宮本亮次」でしたが、演出家になるタイミングで名前を変えようと思って、3つ提示されたがその中から「亜門」という名前にしました。
「上を向いて生きる」という本を出版した。 TVの中の健康診断で前立腺がんが見つかり、がんの本を書こうと思っていたら、コロナ禍もあり、生きていることに焦点を当てて元気でいて欲しいという思いで本を書きました。 母が私のために残してくれていたお金を父が使ってしまって、その時に事務所の社長さんから「親と縁を切るか、お金をとるか」と言われたときに、「やっぱり、親だよね。」という風にその本にも書いています。 沖縄に家を建てるという時に母が残してくれたお金を頼りにと思っていましたが。 冷静に思うほど僕はおやじが好きでした。 年齢を越えてゆくとどこかで親と子は逆転するんですね。 客観的に思うと凸凹のどうしようもないおやじが可愛くなってきたんです。 縁を切るなんてありえないと思って、これをプラスに変えようと思いました。 演劇とか舞台をやっていると人を客観的にみるんです。 人にはそうなるそれぞれの理由があるわけです。 折角生きているのに時間がもったいないよねと思うようになりました。
黒澤明監督の名作映画を世界で初めてミュージカル化した『生きる』を演出することになりました。 米・映画「チョコレードドーナツ」をミュージカル化した作品、ダウン症のある子供、実際に演じている子二人もダウン症のある方です。 スケジュールのリスクがありましたが頑張りました。 ダウン症に関することだけではなくて、いろんなことを気付かせてくれるけいこ場でした。
コロナ過で巨大なブレーキがかかり、皆さんにいろんなことを思い出させてくれた。 原点だとか、人を愛するとは、生きるって何だろうか、差別って何だろうか、これから地球はどうなっていけばいいのかとか、いろいろなことをあぶりだしてくれた。
演出家宮本亞門って名前は自分でも重いなと思っています。 歳を重ねると自分が生きてきた物差しで過去を見るので、いつの間にかこれが正しいんだとか、こうするべきだという風になって、慢心になる可能性があるので、警笛を鳴らしてと思っていますが、そうなっているところもあると思います。 死ぬ瞬間まで悟るはずもないし悟りたくもありません。 ワクワクしたりよかったと思ってもらえるものを広げてやって行きたいです。