西原春夫(早稲田大学名誉教授) ・長老の知恵を今こそ!
1928年東京生まれ、父親が教員をしていた成蹊学園で高等学校まで過ごし、1949年に早稲田大学第一法学部に入学、その後大学院に入学して刑法の研究者としての道を歩みます。 1969年に早稲田大学の法学部教授となり、その後法学部長を経て1982年に第12代早稲田大学総長に就任しました。 そのころから日本と中国の刑法学を中心とする学術交流にたずさわり、近年は特にアジアの平和と発展に関心を寄せ、去年少なくとも東アジアを戦争の無い地域にという、西原さんを代表とする各界の長老たちからの提言を発表しました。
2022年2月22日22時22分22秒に東アジアの各国の首脳がもう戦争はしないという宣言を出そう、そんな呼びかけをする東アジア不戦プロジェクトが動き出しています。 一昨年2019年に設立された東アジア不戦推進機構の代表を務めています。 85歳以上の各界の著名人です。(戦争を知っている人達) 私の弟は86歳で、当時小学校の4年生で疎開していろいろ苦労しました。 一番上の方例えば特攻隊の生き残りという事で戦場にはいっていないけれども戦争体験を直接している。 戦争はどんなに悲惨かどんなに愚劣なことか身に沁みて考えている。 一番説得力があると思ってそういう人たちに提言していただこうと思いました。
戦争体験があり、1945年に戦いが終わって、いままで正しいと言っていたことが間違っていて、間違っていたという事が正しかったという大転換が、私の人生にとって大変大きな影響を及ぼして、それが今日の企画につながった。 小さい時から線の細い多情多感な文学少年だった。 父が国語の先生で家中に本が埋まっているような中で育ちました。 ヘルマン・ヘッセなどドイツ文学が入っていて、ドイツ文学の有名な翻訳者だった高橋健二先生の仲人を父がやって、小学校4年生の時に「車輪の下」を読んで、ドイツ文学にのめり込みました。
大学院に入ったときにドイツ語がは抜群によかったらしくて、刑法をやるにはドイツ語が必要で恩師がいつの間にか門下生にしました。 刑法の研究者になりました。 総長になりましたが、考えてみると戦争は犯罪の親分で、戦争と平和を考えて、それやるのが年寄りの仕事ではないかと変わっていって、それが今回の企画に繋がるわけです。
刑法は一番人間臭いんです、犯罪は欲望の産物で、人間がどういう欲望を持っているかがよく判る。 文学の世界で生きるはずだったが、国が破れて、国を興さなくてはいけない、その中心は法律ではないかという事で法律学を学びました。 それが刑法になり戦争と平和を考える様になりました。
私は愛国少年でした。 軍国主義の影響を受けて、小学校1年生の時に2・26事件が起きて、姉の同級生の父親、陸軍教育総監渡辺丈太郎が射殺されました。 娘さんの渡辺和子さんと姉は同級生でした。
*https://asuhenokotoba.blogspot.com/2013/03/83.htmlを参照ください。
大変な事件だという事を体験しました。 終戦になって今まで正しいと言っていたことが正しくない。 そこからいろんな教えが生まれてきて、戦争は絶対いけないんだ、誰もが正しいという事にはどっか胡散臭いところがあると思えという事を思うわけです。 そういったことがその後の私の生き方になります。 国と国が戦争するには名目があるが、被害を受けたのは外国の国民なので、償いをしなければいけないんじゃないか、という風に思いました。 中国の大学と提携を結ぶとか、日中刑事法学学術交流を行ったりしました。 韓国とも学術交流をやってきました。 そういったことが今回の企画につながっていきました。
中国は1949年に国を作ったが、毛沢東の考え方は人民の道徳心、社会主義倫理が秩序を支えるべきだという事で刑法は10年、20年なかった。 文化大革命が起こって人権侵害が起きて法律がいるという事で、1978年文化大革命が終わるや否や、刑法の制定、刑事訴訟法の制定ができた。 北京大学と早稲田大学の調停に調印しました、それが1982年です。日中刑事法学術交流を始めようとしたら、人権の問題、死刑の問題とか難しい問題をはらんでいるがやろうという事になりました。 それが今日までずーっと続いてきた。 中国の立場を考えて議論して信頼感が出てきた一つの根拠になっていると思います。 アジアの老子だと言われました。
神経過敏な文学少年だったので、喧嘩が嫌いなんです。 対立が嫌で、鎮める、収める役をやるようになって、水泳部の組織のリーダーとしてやってきて、早稲田大学の教員としてやっているうちに大学紛争が起きて、法学部の学部長の補佐役の学生担当教務主任となり、大変な苦労を重ねましたが、勉強の種になり成長の種になり、能力を身に付けて法学部長,総長になりました。 最近きな臭くなって、国が強調されるようになり、国の独自性が強くなると国と国の対立が強くなって戦争に至る可能性がある。 対立には手を付けないで、対立している二つに共通のものがあるだろうと、共通の利益があれば対立が収まるのではないかと思って、それを調克(調整して克服する)の理論と呼んでいます。 コロナは人類共通の敵です。 戦争もそうです、その表れとして不戦宣言を出そうという事になってきました。
2022年2月22日22時22分22秒 2が12繋がるのは1000年に一遍しかないので宣言を出してほしいという事で日本の長老がやろうという事になりました。 東アジアに対しての責務があるのではないかと思うわけです。 ヨーロッパでは戦争ばっかりやってきましたが、EUができる。 アメリカ大陸ではアメリカが音頭をとってカナダ、ブラジル、メキシコなどと提携をしてきた、アメリカ大陸では戦争は起きません、と言ったら凄いと思う。 東アジアの共同宣言は世界的な影響を受ける運動になると思うわけです。
対立はつきもので、日韓の問題、日中の問題 アセアン諸国をめぐる領土の対立は大変なもので、戦争というものはたった一発の弾丸で戦争になる、そういう性格を持っている。
共通の利益を見つけ出せば対立は防げる。 防衛の基礎は敵が攻めてきたらどうやって国を守るかが安全保障の基本だと誰もが思っているが、それは敵を前提にする。 敵を返って敵を追い込んでゆく可能性もある。 軍拡競争にもなる。 しかし、敵が攻めてこないようにする、どこの国も攻めてこないようにするというのが、本来は外交、国際政治の本筋ではなかと思うが難しい。 しかしそれが本来の安全保障のあり方なんだと協調する流れがあってもいいんではないかと思う。 それが一種の調克理論だと思う。 後1年の期間中に理解を広めていけたらいいなあと考えています。
国という立場にすると難しいが、民という事になると友達がいっぱいいる。 民の立場に立つと国境を超える。