繁延あづさ(写真家) ・【ママ☆深夜便 ことばの贈りもの】"命"のもっと奥へ
1977年、昭和52年兵庫県姫路市生まれ、18歳で上京し桑沢デザイン研究所を卒業後、写真家への道を歩み始めます。 27歳で結婚3人の子供を育てながら仕事を続ける中で、出産の現場をライフワークとして撮影し、様々な家族の物語を見つめてきました。 繁延さんの新たなライフワークが狩猟の現場です。 狩猟を撮影する中で写真家として、母として感じたこと、その奥に見えてきたものとは何か、伺いました。
東京から長崎に移住して、10年になります。 山の上まで家が並んでいるのが凄くおかしく感じました。 中3、中1、の男の子と7歳の女の子がいます。 一番上の子が生まれたときに、子供を抱っこしてスーパーに行くか、児童館に行くか、公園に行くかそれだけの生活になった時には3km圏内での生活になりました。 自分の世界ががらりと変わってしまいました。 子供を産んだことから自分の目に違って映ってくるものが出てきて、半径3kmの中にあるもので、そういったものをもうちょっと見てみたいと思って、出産撮影を始めることにしました。 出産って感動的なものと思っていましたが、全然違って凄く疲れて、凄いうなり声をあげて、イメージが違っていました。 痛いのが最後まで行くと死んでしまうような、怖い感じがありました。 初めての出産する人に立ち会う時には、うらやましいと思っている自分があります。
「うまれるものがたり」を出版。 家族、おじいちゃん、おばあちゃんだとかが心配で緊張感だったり不安だったりしている顔が、そののちには抑えきれないような喜びの表情に変わってゆく感じが、感動します。 写真、文章が「生きていると感じるとき」というタイトルで中学生の道徳の教科書にも掲載されています。 命とは判らないが興味があります。
長崎に引っ越こした時に、細い道を通って帰るのですが、よけ合って帰るわけですが、或る猟師さんに出会って、おじさんがイノシシやシカの肉を持ってきてくれるようになりました。 それが生き物だったんだなあと思って、肉のその前を見たいという事を知りたくなりました。 頼んで見に行きました。 生き物が人間に殺されて肉になってゆくところですかね。 目の前で起こる展開が予測していなかったものばっかりで、イノシシの暴れる音、いななく声など圧倒されました。 槍みたいなもので心臓を一刺しで殺しましたが、物凄い音が響き渡っていたのに、イノシシの声も消えてバタンと倒れたのがすごく印象的でした。 魂が抜けるような感じでした。
「山と獣と肉と皮」を昨年出版しました。 自分の中にも残したいという思いがあり、写真だけでなくて言葉にもしておきたかった。 猟奇的とか思われるのも心配で慎重に文章を選びました。 何度も山に行っていると、人の世界が違って見えてきたりして、自分の感覚が変化していっているので、その感覚を残したかった。 その現場を見たあと「絶対おいしく食べてやる」と強く思うようになりました。 イノシシが山で死んでゆくときには「これは若いオスだ」と言われたときに、息子のことを思い浮かべでしまって、可哀想、悲しくて、いろいろ想像してしまって、「絶対に美味しくする」と関係しているのかもしれません。 命というものの端っこにやっとたどり着いたというか、山に行くと判ることの一部かと思います。 腐乱死体を見たことがありますが、腐臭が立ち込めていて、見てはいけないような感じで怖い風景でしたが、おぞましい感じがして、頭の中に残っていて、骨だけのものも見たりしていて、ゴミがないんだなという風に、風景が段々違って思えてきて、人間の世界との違いみたいなものも見えてきてハッとさせられました。
イノシシの腹を開いて内臓を取り除いて、アバラ骨見える状態で干している状態の表紙の写真は結構反対が多くて、帯で下半分が隠れるような形になりました。 帯に俵万智さんの短歌を載せてあります。 「イノシシの命輝くししむらの死体となりて肉となるまで」私の表したかった部分になると思います。
夫も私も無職で長崎に移住したようなものだったので、状況的にはピンチでした。 移住する理由は特になかったんですが、地方に移住したいという事があり、大震災があったり、真ん中の子がアトピーで住んでいる処では光化学スモックが多く発令されて、そういったことがいろいろ関係したと思います。
「肉はなにからできてるの」と娘から言われてハッとして、大人になっているほうの自分の気持ちに気づかなかったりするんだろうなあと思います。
主人がコロナで失業してしまって、振出しに戻っているので、これからどうやって生きていこうかなというところにいる感じです。