2020年10月31日土曜日

若山三千彦(社会福祉法人理事長)    ・最期まで"自分らしく楽しく"

若山三千彦(社会福祉法人理事長)    ・最期まで"自分らしく楽しく" 

若山さんが運営する施設の中には、全国でも珍しいペットと一緒に暮らせる特別養護老人ホームがあります。  ホームの犬や猫の多くは入居者が自宅で飼っていたペットです。 若山さんが施設を運営することで大切にしているのは「諦めない福祉」、ペットと暮らせる施設も「諦めない福祉」から生まれました。   入居者の願いに寄り添い最後までその人らしく楽しく暮らしてほしいという若山さんに伺いました。

自分の愛犬、愛猫と一緒に暮らせるというのは本当の安心になっていると思います。    今施設では犬猫10匹づついます。  保護犬、保護猫もいます。  嫌いな方もいますので4階建てになっている2階だけを犬猫の飼えるようになっています。  3,4階には犬猫は入らないようにしています。  2階には40名の人が暮らしています。

特別養護老人ホームとしては全国的にも特別です。 見学にも全国から来ます。      訓練を受けたアニマルセラピーとは違います。

高齢になって介護が必要になるといろんなことを諦めなければいけない、代表例がお風呂に入ることです。  又外出で旅行に参加することも出来なくなる。

介護の役割は本人ができなくなったこと、諦めていることを我々がサポートすることによってもう一度できる事になる、それをサポートすることが介護の役割だと思っています。  それが私たちの「諦めない福祉」なんです。

福祉の役割は生きる事の助け、最低限の生活を保障することだといわれるが、生活の質を高める事、楽しい暮らしをサポートすることも福祉にも必要だと考えています。      料理の質には非常に力を入れています。  今だとマツタケも出したりもします。    ドクターストップが無ければ毎日酒を飲む人もいます。

今年はコロナで駄目ですが、昨年までは毎月のようにいろんな外出行事をやっていました。

ペットを受け入れるようなきっかけになったのは、このホームの建設を計画し始めたころで、在宅介護の分野で10年間在宅ケアをしていた80代の男性がいます。   その男性はミニチュアダックスフンドを飼っていました。  身寄りもなくワンちゃんとは一心同体の様な暮らしをしていました。  老人ホームに入ることになり、ペットを連れていかれないという事で泣く泣く保健所に連れて行くことになってしまいました。  伺うと毎日泣いていて「俺は家族を自分で殺したんだ」と自分を責めて、生きる気力をなくして半年しないうちに亡くなってしまいました。  

このことがあってペットと一緒に暮らせる養護老人ホームにしようと思いました。

ホームを開設してから8年半になります。

犬や猫と一緒に暮らせることがとても大きな力になっていると思います。  末期がんで余命3か月で愛犬と一緒に入ってきた方がいますが、片時もなく一緒にいて、医師の予想をはるかに超えて長生きして愛犬に看取られて亡くなりました。

入院をきっかけに認知症になり、退院後愛犬ココ君のことはわからなくなっていたが、又一緒に暮らすようになってからそのうちにココ君のことが判るようになりました。 認知症の改善になり、ご家族も驚いていました。

高齢者を幸せにするには伴侶である犬や猫と一緒に暮らすことがその方の幸せになる、それを「伴侶動物福祉」と言っています。

「文福」という保護犬ですが、一緒に暮らしているユニットの人が老衰で亡くなるのを察知して寄り添って看取るという活動をします。  亡くなる少し前になるとベッドにあがってその方に寄り添って枕もとで看取ってゆくんです。    もうこれまでに10人以上の方を看取ってきました。  誰も教えてはいないんですが。  普段は明るい犬です。

なかなか外出できない方がいましたが、その方は漁師をしていてその港に行きたいという話をしていて、亡くなるのも近いという事でなんとか思い出の港に連れて行かないかを考えて、「文福」が一緒に行くことでそれが可能になりました。 帰ってきたときには血中酸素濃度が向上するなど体調がよくなっていました。  ご家族はよかったと涙を流していました。

「文福」のことですが、保健所では1日ごとに犬たちが入っている壁が移動して隣の部屋へと追いやられて行って7日目の部屋が殺処分される部屋で、「文福」は殺処分される前日までの部屋に行ってしまっていました。   壁の向こうからは命を失う犬の悲痛な叫び声が聞こえてきたんです。  そういったところから助け出されたので、想像ですが、「文福」は死という事に敏感になって一人で死んでゆく恐怖を体験したので、入居者が一人で死ぬことが無いようにと看取っているんじゃないかなと思います。 「文福」は最初にうちに来た時からはじけるような生命力を感じました。

両親がボランティアが趣味で幼いころから福祉施設でボランティアをやっていて、自分たちの理想の福祉施設を作りたいという事で夢を持っていました。  父が定年をきっかけに全財産を掛けて社会福祉法人作っていいか聞いてきたので、私も働いていたので、賛成しました。

両親は負荷も多くなってSOSを求めて来ましたが、先生の職を辞めるわけにはいきませんでした。   しかし高校3年生の担任をしていましたが、生徒が交通事故で亡くなってしまって、大きなショックを受けました。  クラスメートが亡くなった生徒の分まで自分たちも頑張ろうと、学校の了解を得て夜9時まで教室に残って生徒が一丸となって受験勉強をし、私も一緒にサポートしました。  当時30代でしたが、教師としてやり切ったという感じになり、両親の夢を手助けしようという思いになり福祉施設へと向かいました。

高齢者のデーサービスセンターを作りましたが、見学先で高齢者がデーサービスセンターで介護を受けることはわかるんですが、何をして楽しむのかという事の回答が返ってきませんでした。

そこで「諦めない福祉」、「高齢者が楽しく生きるための福祉」を思いついたんです。  将来自分が入りたい施設、自分の親を入れたい施設を目指しています。