2020年10月7日水曜日

伊藤裕作(作家・歌人)    ・寺山修司の背中を追って

 伊藤裕作(作家・歌人 伊藤裕作)    ・寺山修司の背中を追って

1950年三重県生まれ、寺山修司にあこがれて家出同然に上京、寺山修司と同じ早稲田大学教育学部に入学し短歌会にも入り寺山修司の様に行くことを決意、大学を7年かけて卒業、ルポライターとなり寺山修司のメッセージを自分なりに探ります。  55歳で大学院に社会人入学、2009年修士論文をまとめた著書「私は寺山修司・考 桃色編」を上梓し、同時に東京と故郷の津を行き来するハーフターンと名付けた生活を始めました。  以来10年にわたって故郷の再発見と地域おこしに取り組み、その中で近代である東京と前近代である地方との融合といわれた寺山線の世界とそのメッセージがはっきりしてきたといいます。  2018年にはその成果をまとめた著書「寺山修司という生き方望郷編」を、今年4月には歌集「心境短歌(わたくしたんか) 水、厳かに」を上梓、又大掛かりな野外劇を上演する劇団で役者としても活動しています。  いまだ寺山修司の背中を追い続けているという伊藤さんに伺いました。

僕が高校2年生(1967年)進路で悩んでいた時に、受験勉強をして深夜番組を見ていたら、天井桟敷の舞台が映っていてそれに凄い衝撃を受けました。 絶対に東京に行こうと思いました。  早稲田大学教育学部へ何とか入学できました。

芝居、短歌など文学的な部分もかじろうと思って、高校3年ぐらいから短歌も読み始めました。

大学に入ってアルバイトしながら劇団に行けるかどうか考えたときに、新聞配達で朝刊,夕刊もやらなければならず、それはできませんでした。  

1968、9年の4月に三重の実家に帰るが、その日が連続ピストル射殺事件の永山 則夫が捕まった日で、彼とは同年の人でした。

青森から出てきて東京で生きていくのにもがいている人間がいるんだなという思いを強くした事があります。  池袋のアパートに入って早稲田短歌会にも入って本格的に短歌を始めました。

早稲田祭で寺山修司さんは観客参加の芝居をするんだというような話をしていました。

寺山さんの芝居はアルバイトしながらずーとみていました。 

1970年代、ヨーロッパに行ったりした後の寺山さんの芝居は土着性が減っていって僕にとっては難しいという印象を受けました。

どちらかというと短歌を作る生活にのめり込んでいっていました。 

大学には7年いました。 日活が募集をしていて受けましたが、一次、二次が通って役員面接まで行きましたが振り落とされました。  「微笑」という雑誌の編集の人と知り合い週刊誌のデータマンとしてお世話になり、物書き修業が始まりました。

当時ネオジャーナリズム、沢木耕太郎さんがすごい勢いで書かれていましたが、僕自体はネオン街での女性たちの話を聞いてやっていたので、ネオンジャーナリストと名乗って、ネオン街の女性の声を拾い上げる仕事を始めました。

1988年歌集「シャボン玉伝説」を出す。その前年に俵真智さんが「サラダ記念日」という歌集を出して270万部売れる大ヒット作品になる。  それに触発されて100人のネオン街で働く女性の心情を歌にしました。  「ローションが体の奥に沁みてゆく膝肘心つるりつるつる」とか。

30年間ネオンジャーナリストをして、戦後の娼婦小説と寺山さんの娼婦観の違いを纏められないかなあと思って、55歳で法政大学大学院に社会人入学。 

大学院は4年かけて59歳の時に「戦後の娼婦小説の系譜と寺山修司の娼婦観」という修士論文を書きました。  博士課程は語学も必要という事で英語は苦手だったので諦めました。

地元の住職から浄土宗の法然さんは娼婦であっても南無阿弥陀仏を唱えれば救われるんだという話をしていただき、田舎のお寺が浄土真宗、親鸞さんのお寺なので同様であるという事で、僧侶になるための勉強をしようと思って、名古屋に同朋大学別科があり、2年間勉強しました。   

東京と三重を夜行バスで行ったり来たりする生活をハーフターンと名付けて、親鸞聖人の教えを学ぶと同時に、1974年に寺山さんが監督された「田園に死す」という映画のラストシーンと、このバスでの光景は同じではないかと思って、寺山修司の世界をより勉強しようという形で修行のような生活を始めました。

津では劇場を借りて、劇団の人の世話になって4回ぐらい公演をしました。 地元の人には聞いてもよくわからないといわれて、その後津市芸濃町の東日寺境内での「水族館劇場」(東京で親しくしていた野外劇をやっている)による小屋掛け芝居『この丗のような夢 パノラマ島綺譚外傳』を公演しました。

ハーフターンを10年ぐらい続けてきて、津と東京との生活の差があり、「故郷を出た人間は裏切り者であるという事を故郷の人達にはある」と寺山さんが書いていますが、もっともっと故郷にいる時間をもって、短歌を作ったり、親鸞の勉強をしながら、産土神(うぶすながみ)の神社にお参りしたりしていたが、もう少し故郷に帰る期間を多くしながら東京と故郷を行ったり来たりする生活をしたいと思っています。

「この世では産土神に守られて弥陀の光に乗ってあの世へ」    伊藤裕作

神と仏に守られて故郷からあの世へ行ければいいかなあとは思っていますが、どうなるかわかりません。