2020年10月3日土曜日

藤原辰史(京都大学人文科学研究所 准教授)・「パンデミックの社会を生きる スペインかぜからの教訓」

 藤原辰史(京都大学人文科学研究所 准教授)・「パンデミックの社会を生きる スペインかぜからの教訓

新型コロナウイルスの感染が広がった今の社会の状況は、100年前に世界でスペイン風邪が大流行した時と似た状況にあるといいます。  スペイン風邪は1918年から1920年にかけて広まった新型インフルエンザでした。  世界中で4000万人から1億人が亡くなったとされています。  日本でもおよそ40万人、1/125人の割合で亡くなったという結果がありました。  私たちはこの100年前のスペイン風邪の大流行から何を学ぶことができるのか、新型コロナウイルスの感染とどう向き合えばいいのか伺いました。

当時第一次世界大戦があり、メディアも海上ケーブル等を通じて情報が繋がっているグローバルな状況の中で、パンデミックが世界中に広まったという意味ではとてもよく似ていると思います。

ウイルスが病原体で、非常に感染力が強いという事はとてもよく似ています。  船が世界中に運んだ、乗り物が媒体になったという事もおおきいし、有名人が亡くなってみんなが動揺することも似ています。 医者は対応もわからず、医療崩壊して困ったという資料も残っています。  デマが広がったという事も似ています。

第一次世界大戦が1914年から始まって1918年までありましたが、最終年では疲弊していて、ヨーロッパの植民地が東南アジアにあったので そこから多くの人や物がヨーロッパ大陸に移動していた。  兵士、労働者の移動が激しかった。  軍隊の移動も体調が悪くても命令に従わなければいけなかった。  女性、お年寄りも戦時下で低栄養化であり、免疫力も低下していた。

スペイン風邪と一般に言われるが、スペインは当時中立国で報道規制がなかったが交戦国では情報を統制していて、インフルエンザの感染が拡大したニュースがスペインでは一番早く伝わっただけで、実はアメリカが発生源と言われていた。

4800万人から1億人が亡くなっていて、世界の1/7~1/8の規模なので物凄い規模の人が亡くなった。  第一波が来て乗り越えて、第二派(第一波の10倍の致死率)、第三派が来て猛威を振るった。

人々の心理が大変な不安にからっれた。 健康な若者が多く亡くなっている。(戦争の影響)

日本でも感染が多く出た大学へのバッシング、医療従事者の子供への拒否、かかった人へのいわれなき誹謗中傷などいろんな不安と共に社会に渦巻くものがあります。

14世紀のペストの時にはユダヤ人が毒を入れたというようなデマが流れた。(ヨーロッパ)加害者がどういう心理で、どういう社会的背景でそのような行為に及んだかという事をちゃんと学んでいかないと、今回のようなことが何回も繰り返されてゆくのではないかと思って、そこが歴史を学ぶ意味だと思います。

今回も様々なデマがありましたが、100年前アメリカではドイツがばらまいたというデマが新聞に載って人々に広がった。 

ドイツで作られたアスピリン(熱さまし)に毒が仕組まれたのではないかというデマも流布され調べたが、問題はなかった。(医療行政が割かれて対応が遅れた。)

センセーショナルな方に気持ちを持っていかれるという癖があり今の時代でも変わらない。

今のようにマスク、防護服を着るという発想がなかったので医療従事者がバタバタ倒れて、病院自体が機能しなくなってしまった。

拍手で医療従事者、看護師への感謝とかあるが、医療従事者、看護師への給料が低くこれでいいのかというところまでいかないと、いけないと思う。 拍手だけでは何にも解決はしない。

医療従事者、看護師の感染リスクに対して、この100年間その人たちが生きていける社会を作っていたのか反省はいくらしてもし足りないと思っています。

ゴミ清掃、介護、看護師、交通機関の方がいなくなったら生活ができない。 そういった何かを保っている人たちに対する給与が低すぎると思うし、そういったことに気付くチャンスが到来していると思います。

当時のアメリカの大統領としてはフランス、イギリス、イタリアなどの首脳を会談していたが、ウイルソンアメリカの大統領が感染してしまった。  その間に動きがあり戦後処理とか、アメリカの大統領もインフルエンザにかかる前後で性格的なものも変わってしまって、戦後処理の対応など国際的な情勢まで変えてしまうような力があったのではないかと推測されている。

ドイツへ非常に懲罰的な流れになり、ドイツがピンチに追い込まれて、ヒットラーが出てくる基盤ができて、第二次世界大戦になって行くが、もう少し違うドイツへの接し方があったのではないかと、歴史から我々はすこし学んでいる。

歴史は偶然の積み重ねであり、偶然の一つは災害、戦争、感染症などであるが、どう歴史に影響するのか、歴史研究のだいご味でもある。

欧米ではマスクを忌避する傾向にある。

不安に置かれると人々は強い言葉に惹かれる傾向がある。  ヒットラー、ムッソリーニは簡潔でわかりやすく敵を明確にする言葉を使って、民衆の支持を獲得していった。

わかりやすい言葉は人々の心を捉えるが、チェックしなければいけないのは、その力強くて短い言葉からだれが排除されているのか、どういう事象が脇に追いやられて見えなくなっているか、危機の時にこそそういったダークサイドを見極める力を持たなければいけない。

「自分の国中心だ」という考えのリーダーが増えてきて、そのさなかにコロナウイルスが出ていたという事は本当に警戒しないといけない。

話し合いがチャンスだと思うが、どこがワクチンを先に出すのかとか、そういう状況はマイナスだと思います。

「私たちは歴史の女神に試されている。」 私たちは歴史から学ぶ力がないんじゃないか、繰り返しているじゃないか、そういうことを歴史の女神から突き付けられているような気がする。

本当の進歩は他人への想像力、一体どういう風なところにこの問題がしわ寄せされているのかという事を気付くことだと思います。 今まさにテストされていると思います。    歴史の本には戦争、虐殺が書いてないページはない、繰り返していることの愚かさを気付くべきです。

魔女狩りは暗黒時代と我々は教えられてきたが、ある特定の差別意識、SNSとかでの精神的な火あぶりが現在行われている。

パンデミック 多くのリーダーが戦争のメタファーでパンデミックと向き合って発言している。  勝ち負けで捉えてしまうと言う事は、今回の危機に対して脆いと思う。 終息後誰に一番負担が来るのだろうかという、アフターコロナ、ウイズコロナ、そこまで見通した考え方を持っておかないと、いけないと思う。  今回経済危機がセットなので、コロナ不況が長期間続いていく可能性があるわけなので、気を付けないといけない、勝ち負けという言葉で見えなくなってしまうほうを重視したいと思います。

危機の時代は楽観主義に捉われやすいが、歴史を参考にしながら、目の前のニュース、データから、批判力、疑う力、だまされない力が試されていると思います。