頭木弘樹(文学紹介者) ・【絶望名言】ひきこもりの絶望名言
「家に引き籠ることは一番面倒がないし、何の勇気もいらない。 それ以外のことをやろうとするとどうしてもおかしなことになってしまうのだ。」 フランツ・カフカ
頭木:持病があるので2月からほとんど8か月引きこもり状態です。 20歳で難病になり13年間は引きこもりをしていました。 退院しても感染症にならないように、なかなか外に出られませんでした。
ずーっと引きこもっていると、外に出るとなんかうまくいかないので、又引きこもってしまう。
「僕は一人で部屋にいなければならない。 床の上に寝ていればベッドから落ちることがないのと同じように、一人でいれば何事も起こらない。」 フランツ・カフカ
「どれほど期待されたものであっても訪問はいざとなると予想外で、ほとんど常に歓迎されぬものとなる。」 ハロルド・ピンター
約束していた訪問日が近づくと段々嫌になって会う事を辞めてしまう。
「一人でいられれば僕だって生きていけます。 でも誰か訪ねてくるとその人は僕を殺すようなものです。」 フランツ・カフカ
「今日はお客があった。 とても感じのいい興味深い人にあったが不意打ちだ。 予告された訪問であっても十分に不意打ちなのだ。 こうしたことに僕は対応できない。 フランツ・カフカ
「一人の男が部屋の中にいる。 やがて彼のところには訪問者がやってくるであろう。 部屋の中にいて訪問を受ける男はこの訪問によって何かを悟る、あるいはなにもわからなくておびえるかするだろう。 男が一人きりで部屋の中にいたという元の状態はある変化を被ったことになるだろう。 どれほど期待されたものであっても訪問はいざとなると予想外で、ほとんど常に歓迎されぬものとなる。」 ハロルド・ピンター
誰かがやってくることはドラマチックなことで、何も起きなかったとしても訪問は気持ちがかき乱されてしまう。
「世の中に客ほどうるさきものはない、とはいふもののお前ではなし」 玄関に張り紙がしてあった。 内田百閒
頭木:人に会うのは好きです。 長く入院しているとお見舞い客しかいないので、いろんな人に会いたいと思いました。 しかし13年も引きこもっていると段々人に会うのも怖くなる。
「渇き行く足裏優し一匹の蟻すらかつて踏まざるごとく。」 中條ふみ子
(戦後活躍した代表的な女性歌人の一人で、寺山修司とともに現代短歌の出発点であると言われている。)
中城さんは病気で長く入院していました。 足の裏が蟻一匹踏んだことがないようにやさしいというのは、ずーっとベッドの上にいて歩いていないので、足の裏が柔らかくなって何も踏んだことがないような感じになったというような事ではないかと思います。
引きこもっていると足の裏が柔らかくなって綺麗になって行く。
「人は私に問うた。 2か月も病床にいたらどんなに退屈で困ったろうと。 しかるに私は反対だった。 病気中私はすこしも退屈を知らなかった。 天井にいる一匹のハエを観ているだけでも、または給食の菜を想像しているだけでも十分に一日を過ごす興味があった。 健康の時いつもあんなに自分を苦しめた退屈感が病臥してから不思議にどこかへいってしまった。 この2か月の間私は毎日なすこともなく朝から晩まで無為に横臥していたにも拘わらずまるで退屈という間を知らずにしまった。 私は天井に止まるハエを1時間も面白く眺めていた、 床に差した山吹の花を終日飽きずに眺めていた。 実に詰まらないこと平凡無為なくだらないことがすべて興味や私情を誘惑する。」 萩原朔太郎 (「病床生活からの一発見」という随筆の一節)
(大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。)
出られないと観念してしまうと段々心境が変化してくる。 なんで退屈しなくなってゆくかというと、段々観察が細やかになって行く。 ずーっといた部屋なのに見ていないところはあるものだと思います。 引きこもることによって感覚の鋭い人になって行く。
何でもない平凡なことでもじっくり観察すると、無限と言っていいほど興味深いことが沢山ある。 萩原朔太郎は正岡子規の平凡な句を理解できなかったが、2か月病気をしたことで理解できるようになった。
「私は引きこもっています。 そうしたかったわけではなくそんな生き方は想像したこともなかったのに。 囚人を地下牢に入れるように私は自分自身を部屋に閉じ込めてしまいました。 いまではもうどうやって部屋から出たらいいのか判りません。 例えドアが開いていても外に出るのが怖いのです。」
知り合いに書いた手紙の一節 ナサニエル・ホーソーン
ナサニエル・ホーソーンは大学卒業後12年間部屋にこもった。 たまには叔父さんと遠出したりしたことがあったが。
引きこもるのには多くの場合理由があるが、理由が無くなれば喜んで外に出そうだが、長くひきこもるとそうではない。 心身ともに部屋の中に適応してしまって外に出るのが怖くなってしまう。
理由が無くなっても無理やり外に連れ出すのではなくて、すこしずつ慣らしていかないといけない。 (大江健三郎 「鳥」 短編小説 引きこもりの青年を騙して外に連れ出す。外でも無理だし、部屋の中の生活も無理になってしまう。)
「僕はしばしば考えました。 閉ざされた地下室の一番奥の部屋にいることが僕にとって一番いい生活だろうと。 誰かが食事を持ってきて僕の部屋から離れた地下室の一番外のドアの内側においてくれるのです。 部屋着で地下室の丸天井の下を通って食事を取りに行く道が僕の唯一の散歩なのです。 それから僕は自分の部屋に帰ってゆっくり慎重に食事をとるのです。」 フランツ・カフカ