2020年10月6日火曜日

内田洋子(ジャーナリスト)       ・私とイタリアの40年、そしてこれから

 内田洋子(ジャーナリスト)       ・私とイタリアの40年、そしてこれから

内田さんは神戸市生まれ、、イタリア在住のジャーナリストです。  東京外国大学イタリア語学科に進み、卒業前にはイタリアのナポリ東洋大学におよそ1年間留学、卒業後しばらくして、イタリアのニュースや写真を日本のマスコミに配信する通信社をおこしました。   その一方イタリア各地で出会った人々とその暮らしを描いたエッセー集を執筆、2011年に「ジーノの家イタリア10景」で日本エッセーイストクラブ賞と講談社エッセー賞のダブル受賞しました。  2019年には長年イタリアの魅力を海外に広めた功績が認められイタリアの「ウンベルト・アニエッリ記念 ジャーナリスト賞」を受賞、最近では「金の籠賞」を外国人では初めて受賞しました。  この6月にはエッセー集「サルデーニャの蜜蜂」を出版する一方、出版社のウエブサイトで「デカメロン2020」と題してイタリアの若者たちの心情を伝える連載をこの春から続けていました。  イタリアにかかわって40年の内田さんにイタリアの魅力、エッセーなどに込めた思い、これからの活動など伺いました。

元々外国語を勉強したいという気持ちがあり、英語が主流でしたが、イタリア映画が好きでイタリア語を勉強することになりました。  現地に行ってみないと分からないのでナポリに留学することになりました。(1981年)

1980年11月に大震災があり街中が壊滅状態でした。 大学も閉鎖状態で最初大学にも行けませんでした。  紹介していただいた個人の家に宿泊しました。  1年弱いました。

28歳ごろにイタリアのニュースや写真を日本のマスコミに配信する通信社をおこしました。 デザイン、建築、ファッション、アニメーション、映画、文化イベントの企画などお手伝いしました。

イタリアの日本文化びいきの人たちはすべてアニメーションがきっかけになってるといいと思います。

通信社は今も続いています。

各地に散らばっている記者、カメラマンなどのネットワークがいろいろなニュースが上がってきますので、私の通信社の名前で日本のマスコミ各社に送っています。

イタリアの案内を書いてほしいという事でガイドブック的なことをなぞって、普通の生活を見るという本にしてみようと思ってエッセー集の本を書きました。

エッセー集は短編小説のような感じになっています。 その人の心の中に入る、その人の立場で起こっていることを書いてゆくとなると一つの物語になります。  色々お付き合いをしている人が対象になっています。

2011年に「ジーノの家イタリア10景」で日本エッセーイストクラブ賞と講談社エッセー賞のダブル受賞しましたが、取ろうと思って書くのではないので、驚きましたが結果的にはよかったと思いました。  

イタリアの人は凄く感情が豊かで表現する方法に長けていて、ダイレクトな人と人のつながりが日本よりも良いのではないかという事が一つと、何か問題に直面した時にどう乗り越えるのかを個人個人で解決方法を持っている。  コロナでロックダウンの隔離の政策に入ったが、首相令を発動するときに、疫病に病んでゆくと心も病んでゆくので、そうならないように心を守ろうと、コンテ首相が発明した言葉です。

経済を優先してはいけない、経済も大事だが先ずは人間の健康を守って生きて残ろうという言葉が印象的でした。 

「金の籠賞」 イタリアの本屋さんが作った知られていないが、その賞をいただきました。 1953年にできた賞です。  イタリア以外の外国人では初めてです。

コロナでは知人友人を含めて5人亡くなりました。 通信社としては暗いものを扱わないようにと思っていましたが、今度ばかりは扱わざるを得なかった。

出版社のウエブサイトで「デカメロン2020」を連載。  デカメロンは男性3人女性7人がペストの危機の時にフェレンツエから郊外に逃れて一人10編、全部で100編の話をする前提で、疫病文学の一番最初の原点になり、そういうカテゴリーができた。  前書きでは詳しく感染がどうやって広がり人心がどうやって乱れていくか克明に描かれている。

イタリアの若者24人に元気なことを報告してほしいという事で、原稿、写真、動画などで3か月間毎日行って来ました。  いったん画面は打ち切りにしましたが、彼らとは打ち切らずにしていて、返事を書くような感じで纏めてみようと思ったのが「デカメロン2020を待ちながら」というタイトルで書きました。

最近「イタリアの引き出し」という本、作家ジャンニ・ロダーリさんの児童書の翻訳、などを手掛けています。