2020年10月20日火曜日

赤塚りえ子(現代美術家・プロダクション代表 ) ・笑いはパパの生きる表現~これでいいのだ!

赤塚りえ子(現代美術家・プロダクション代表 赤塚りえ子)・笑いはパパの生きる表現~これでいいのだ! 

日本を代表するギャグ漫画の巨匠と言えば赤塚不二夫さんです。  「おそ松くん」、「ひみつのアッコちゃん」、「天才バカボン」などの大ヒット作を生み出しましたが、2008年肺炎で72歳の生涯に幕を下ろしました。   今月「おそ松くん」が原作のTVアニメおそ松さんの第三期も始まってます。  赤塚不二夫さんの一人娘赤塚理恵子さんは赤塚さんの作品に関する著作権の管理などを行うプロダクションの社長として15年間赤塚イズムを伝えてきました。 りえ子さんが父から受け継いだものは何だったのか伺いました。

もしコロナ禍であっても、父はどんな状況下でも必ず面白いことを見つけて前向きに楽しむという毎日を過ごすと思います。

父はとにかく笑うという事、笑うという事は父の表現なんだと感じています。

父に怒られたことは全くなくてよく遊んでくれました。  褒め言葉が「バーカ」と言って、嬉しそうに愛情をこめて「バーカ」というんです。

アシスタント、編集者を交えてアイディアを出し合ってギャグを纏めてゆくやり方で父が指揮をしていきました。  面白いものはみんなが全部出しあいました。

自分が一番劣っていると思えば人の言葉が耳に入ってくるし、人は何でも言ってくれるよと言っていました。

「俺は笑われながら死にたい」ふっと言った事があります。 それが気になっていました。

笑われると笑わせるの違いは何だろうと思いました。  笑わせるは力が働くと思って、父は自然に場が笑っているみたいな、自分が下になって笑われたい、というのが父が目指していたのかなあと思いました。

8歳の時に両親が離婚しました。  6歳ごろには父は家にはいませんでした。

父は大好きでした。  中学生の時に父と会うことができました。  何も言えなくてただ泣きじゃくるだけでした。

18歳から20歳ごろはかなり頻繁に会っていました。  父の勧めで20歳の時にヌードになることになりました。  「いやだ」と言ったら「お前は赤塚不二夫の娘だろう、つまんねえな」といったんです、そうしたら「つまんねえな」が気になって、父をがっかりさせたくないと思って家に帰って母(2番目の母、眞知子)に相談したら、「有名な写真家の方に撮ってもらうんでいいんじゃない」と言われてやってみることにしました。

29歳の時にイギリスに行くことにしました。  イギリスの音楽が好きなこと、エレクトロダンスミュージックが大好きで、アートを勉強したいと思っていきました。

イギリスでは自由奔放にやれてよかったと思います。

2002年父が脳内出血で倒れてしまったと電話がかかってきました。 ショックですぐに戻りました。  一ヵ月ICUにいてその後普通の病棟に戻ってきましたが、コミュニケーションが取れない状態になっていて、目がこっちを見ないし重度の後遺症が残りました。

周りが父についのことを話し始めて、それを聞いてゆくうちに父は凄い人なんだと思うようになりました。

母(眞知子)は介護をしながら社長の仕事をこなしていって大変だったと思います。

私はイギリスに戻って、2006年の時に母(眞知子)がくも膜下出血になったという連絡が入りました。意識がなくなり、何時なくなるかわからないという状態で、すぐに日本に戻ってきました。 現実ではない感覚でした。  会社を継ぐという事にという話もありました。

12年間イギリスに住んでいましたが、夫は仕事があるので私だけ帰りました。

母(眞知子)は10日目に亡くなり、会社のことは全く分からないまま社長の仕事をやることになってしまいました。極限状態を支えてくれたのは大好きな父への気持ちなのかなあと思いました。

父とはコミュニケーションが取れないのですが、耳元で愚痴を言っていたら、いきなり目が私のほうを向いて、口をもぐもぐし始めて、「馬鹿野郎」といったんだと思いました。 最後の親子喧嘩だったと思います。

実母(登茂子)が子宮がんの末期だということが判って、実母(登茂子)とはなんでも話をしていたので、号泣してしまいました。  病院に着いたら意識がなくなっていました。 68歳でした。

実母(登茂子)が亡くなった3日後に父が亡くなりました。  手を握って「パパを愛しているよ パパ、パパ」と言ったらほとんど心拍数がなかったが、ぱっと戻って聞こえているんだと思いました。  そのまま亡くなりました。 72歳でした。 何が何だか分からないような状態でした。  私は栄養ドリンクも飲めないような状態まで衰弱してしまいました。

祭壇から離れられなくて泣いていたら、発売された「鉄腕アトムなのだ」という父の本がそこにあり、読み始めたらあまりにもくだらなくて、面白くて気が付いたらお腹から笑っていたんです、その時に笑うって凄いなという感覚と、悲しみの底をガーンと足で蹴って浮上した感覚がありました。  笑うって生きるエネルギーなんだという事を体感して、こんな悲しい状況でも人間って笑えるんだと思って、その時にパパってこれがしたかったんじゃないかと思いました。

過去、未来からも解放された瞬間という感じがしました。 笑う事がものすごく大切なんだという事を実感しました。

父の作品を通して皆さんに一人でも多くの人が楽しい気持ちになっていただければ嬉しいなあと思います。  どんな悲しい時でも人は笑えるんだと私は実感で思いました。