2019年2月6日水曜日

小宮輝之(上野動物園元園長)       ・動物を育て 育てられ

小宮輝之(上野動物園元園長)       ・動物を育て 育てられ
71歳、動物が好きだった小宮さんは、幼いころから上野動物園に通い詰め、大学卒業後は東京都の職員になりました。
希望通り多摩動物公園の飼育係としてスタートした小宮さんは、上野動物園の飼育課長などを経て、2004年飼育係の出身者としては初めて上野動物園の園長に就任、自らのアイディアで世界で初めて冬眠するクマの展示に成功しました。
園長をやめた後は動物に関する本を書いているほか、講演も続けています。
動物好きな少年が60年以上に渡ってたどった歩みを伺いました。

足拓、動物の足の裏に墨を塗ってどんな足の裏をしているかとる方法で、足拓墨師という肩書を名刺に入れてます。
足拓は1000種類以上あります。
種ごとの特徴もあり、役に立つこともあります。
講演も結構やっています。
1949年(昭和24年)上野動物園にインドのネール首相から象のインディラが送られた年で、その時2歳でしたが上野動物園に行きましたが記憶はないです。
小学校に入ってから5年生の時に飼育委員会に入って鳩の担当になり、持ち帰って家から飛ばしたり、6年生の時には遠足先の川崎の自動車工場に鳩を持って行って飛ばしたりしました。
鳩が戻ってくるのは、地球の磁場説、目で見て景色で判るとか色んな説がありますが、今でもはっきりとはわかっていないです。
中学に入ると自転車で上野迄いけるし、動物愛好会に入って月一回講演会がありそれを聞きに行くのが楽しみでした。
南極観測隊、アフリカへ行った人の講演などが面白かったです。

大学は農学部に進み畜産職に関する勉強をしました。
野鳥研究会のサークルがあり、全国を旅して鳥を見て歩きました。
動物園に行きたい一心で畜産職の試験を受けて入りました。
東京都の公務員という事で、僕は多摩動物公園に配属になりました。
最初は実習を色々やりました。
日本の動物、家畜を担当して、上司から好きなように飼っていいよと言われて、色んな事をして腕を磨くことができました。
出産があり、死があり色んな経験をしました。
ツキノワグマ、ヒグマ、キツネ、シカ、イノシシ、ヤギ、ロバ、ヤク(チベットの牛)等です。
宿直もあり、いろいろ為になりました。
宿直は全部の動物を見て回らなくてはいけないので勉強になりました。
昼間はじっとしているような動物も、朝夕は動物は一番活発になるので一番いいところを見られました。

動物は死ぬのはしょうがないが、飼育係にとって一番恥なのは逃がすことだと言う事を上司から言われましたが、私もヤクを逃がしてしまったことがあります。
公園内を歩いていましたが、お客さんが来る前に収容できました。
飼育課長の時にクジャクが逃げ出して、京王線の線路で羽を広げてしまって、電車が止まってしまって電車が遅れてしまったという事もありました。
管理職になると直接接することはできなくなりましたが、アイディアを出してみんなにやらないかと図って実現したこともありました。
モグラプロジェクトチームを作ってモグラを展示しようと言う事でやりましたが、モグラの生態を知らないといけない。
空中に金網を作って見せるというやり方をしました。

2004年上野動物園の園長に就任。
飼育係出身では初めてで、それまで獣医が園長になるのが多かった。
上野はかつては国立動物園だったが、関東大震災の後に東京市に宮内庁から下賜されて、その後都立になったが、ゾウ、パンダ等国が関わることがあり、親善動物に関する配慮も必要になりました。
希少動物は世界で一緒に管理する形で売り買いはしない、丹頂鶴、こうのとりの国際登録もやっていてこちらから指導もします。
飼育係の人とも色々話をします、日本で初めて飼うような時に飼育係と話をしていないと駄目で、人と動物との組み合わせも大事なことです。
入場者数が旭山動物園に抜かれると言う事が就任早々にありました。
当時の旭山動物園の園長の小菅さん、阿部さんとは20代から付き合っていました。
入場者数が少なくて苦しい時代を知っていましたから、増えたことは嬉しいと思っていましたが、報道関係者から旭山動物園に抜かれたことに関して問われた時には困りました。

就任時パンダがリンリン(オス)が一頭になっていた時で、所有権が中国以外にあったのはリンリンとメキシコのメス3頭で、そんな中で増やしたいという事でリンリンがメキシコに3回も行っています。
期待しましたが、残念ながら子は出来ませんでした。
2008年にリンリンが死亡して3年位いない時代がありました。
胡錦涛主席が日本に来た時に亡くなって、又送ると言うことになって交渉して入ってくることになります。
クマは冬眠するが冬でも起きているクマはおかしいんじゃないかと思って、新しい部屋ではマイナス5度まで下げられる部屋をつくって、冬眠の洞窟のようなブースを作りましたが一番のポイントは餌でした。
餌を切って4日目から冬眠することができました。
冬眠明けには2割ぐらい体重が減ります。
動物園のクマがメタボなのは、本来3か月位は食べない期間に餌を与えてしまうからだと思ってます。
寒い部屋で餌を与えないのは残酷だと言う人もいますが、冬眠できないクマの方が残酷だと思いました。
2年目に冬眠中にクマは出産しますが、寝ぼけたような状況で子供がおっぱいに吸いついて育ちます。
冬眠中に伸びやあくびもするし、体温が下がっても32度位です。
新しい機器を使って心拍数、呼吸数なども取ることができました。
クマの冬眠は3ついい事があります。 
①お客さんに真実を伝える。
②クマにとっても幸せ。
③上野動物園の技術が物凄くアップして、クマに育てられたという事があったと思います。