福井烈(日本テニス協会専務理事) ・【2020に託すもの】日本テニス100年の夢
今年の日本のテニス界は大坂なおみ選手の全豪オープン優勝という大きなニュースで幕を開けました。
このニュースはとっても嬉しいです。
昨年全米で優勝して多くのトップ選手が大坂選手の分析をしてきたと思います。
それを打ち勝って優勝したことは本当に大きいと思います。
我々も子供達にテニスの出来る環境を整えてゆく事が我々の仕事だと思います。
彼女は自然から出てくる言葉なのでチャーミングだと思います。
昨年の全豪の前は彼女は72位でしたが、僅かな期間で1位となってしまいました。
まだまだ秘めた能力があると思います。
強くなると過密なスケジュールになるので、怪我のないようにやっていってほしいと思います。
日本テニス協会専務理事、選手強化本部の副本部長、東京オリンピックに向けては戦略特別専門部会長、JSCの副センター長、スポーツ庁の参与など担当。
東京オリンピックに向けて他の競技団体との情報交換などもやって強化への役立てを行っています。
選手選考などもありこれからも大変です。
暴力、パワハラの問題など色々ありましたが、時代が変わったので指導者もアスリートも変わっていかなければいけない。
しっかりとコミュニケーションを取っていかないといけないと思います。
1957年福岡県北九州市出身。
テニスは小学校5年生で始めて、中学2年生で中学日本一、高校は強豪の柳川商業高校(現・柳川高校)に進学、高校ではインターハイ3連覇を含む「169連勝」という記録を達成した。
アメリカにテニス留学をした後、中央大学に進学し、学生タイトルを総なめにした後、1977年に当時史上最年少の20歳で全日本テニス選手権を制覇した。その後1979年まで全日本3連覇を達成し、同年プロデビューした。
全日本選手権シングルス優勝7回の史上最多記録、1979年から1987年まで、9年連続全日本ランキングシングルス1位を維持、1992年から1996年までデビスカップ監督、1992年バルセロナ五輪日本代表監督、1996年アトランタ五輪のヘッドコーチ、2000年シドニー五輪の日本代表監督を務めた。
最初は壁を相手にして一生懸命3か月位やっているうちに、大人の仲間などに入れてもらって、偶然元全日本チャンピオンの女性の方(木全豊子さん)がその地区にテニスショップを開いていてその方に教えていただきました。
基本をしっかり教えていただいたのは良かったことだと思います。
ボールとの距離感がうまく保てるかどうか、そのためには速く動くこと、それが基本の基本でした。
現役を終わって指導者の勉強をしっかりしていない時に、全日本の監督になったので準備ができていませんでしたので、物凄く困りました。
できれば5年間ぐらい勉強したかったです。
オリンピックで日本選手団初めてのメダルは、実はテニスで1920年(大正9年)のアントワープ五輪で熊谷一弥選手が男子シングルス、ダブルスともに銀メダルを獲得し、2016年に錦織圭選手が96年ぶりに銅メダルを取ってくれました。
2020年は100年目になる訳で金メダルを取って欲しいと思っています。
私はアメリカに行ってどれだけ通用するのか試したいと思いました。
言葉では苦しみました。
アメリカでは上には上がいると思いました。
日本に戻ってから、日本で半分、海外で半分試合をしましたが、海外での挫折感がありました。
神和住純さん、坂井利彰さん達は私たちにとってはアイドルでした。
テニスブームが来てボルグ、マッケンロー等が来ました。
我々の時代は国内が主体になっていたので、もう少し海外での試合を中心にしていたならばと悔いが残る所はあります。
指導者のレベルアップなくしてチーム、個人のレベルアップは絶対ないと思っています。
指導者が学ぶことを辞めたら、教えることを辞めなければいけないと言う事を頭に置いて指導に当たらなければいけないと感じています。
指導者としてはマネージメント、コーチング、コミュニケーション、この3つは絶対に必要です。
大坂なおみ選手に向かって、同じ目線で寄り添って、コーチが膝をついて同じ目線で語りかけている、それが彼女に合っていたんです。
錦織圭選手とマイケル・チャンコーチとの間も似たようなことが言えると思います。
マネージメント、コーチング、コミュニケーションが繋がっているのがトップコーチだと思います。
「情熱を持って」、「人間力なくして競技力向上なし」、という事で人間力豊かなアスリート、人間力豊かな指導者になろう、という事が今の第一の目標です。
オリンピックを通してスポーツの力、オリンピックの素晴らしさを発信していかなくてはいけないので、華やかな栄光よりベストを尽くす姿に感動があり、勝負も言葉も国境を越えたものがある。
メダルの色は本当に些細な違いである、オリンピックには人や社会を育む力があるので、こういったことを発信していかなければいけない使命があると思います。