小野淳(NPO法人理事長) ・【"美味しい"仕事人】都市と農業の共生をめざす
東京都国立市は現在80軒に依る農家の野菜作りも盛んに行われています。
市民農園、貸農園も20余り運営されていて住民たちの野菜作りも盛んです。
NPO法人国立農園の会では、ただ区画農園を貸し出す農園ではなく、農のある街作りを子供達に引き継いでゆくことを目標に活動しています。
幼い子供から大人、外国の人達までが野菜作りを通じてコミュニケーションを深めています。
ヒツジ、ウコッケイ、ポニー等の動物がいます。
市民農園、例えば100区画があるとすると100家族が使っておしまいになってしまうが、もっと多くの方々が自由に出たり入ったりしながら街中にある畑を楽しめる場所を作りたかった。
国立も多摩川沿いには田んぼが残っています。
私自身は街中にある畑を活用したい、都市農業に注目が集まってきて、もっと住みやすい街にしたいとか、食に対しての関心を持とうと言った時に、近くにある畑をもっと生かせたらいいと思っている、個人団体などがあるが、法律、色々配慮することがあるのでそういったお手伝いをする仕事をしています。
市民農園は高齢者が多い、時間に余裕がないと畑の管理が難しい。
30歳代だと70%程度が農作業をしたいと答えている、次に20歳代、40歳代、50歳代となり60歳代以上は農作業したい願望は実は低い。
子育て時はいいものを食べたいと思う事がある。
食材とかいろいろ考えるのは実は30歳代だと思う。
農業で作られた食べ物を毎日食べてはいるが知識も低いし関心も低い。
都市と農業とは別の世界の様に感じるのがひとつの原因だと思う。
生き物を育ててそれを食べると言う事を捉え直したいと思いました。
最初に農業の世界に入りましたが、そこでは色々又課題がありました。
30歳まではサラリーマンをやっていましたが、会社を辞めて千葉県で農業法人で居酒屋で使う野菜を育てる有機農業をやっていました。
その後国立にきて、そこでは新しい農業法人が経ちあがっていました。
そこに入って、市民農園の高級バージョンを立ち上げると言う事を担当する事になりました。
2012年にTVで撮影したいという話があり、30秒で作られた世界が或る種の豊かな休日の過ごし方の象徴として農ライフが切り取られていて、これをやればいいんだと言うことに気づきました。
2013年にNPO法人国立農園の会がスタートしました。
今年間に5000人ぐらい居ると思います。
一日多い時には200名以上、平日は赤ちゃんづれのお母さんとか学校とかでにぎわっています。
畑の面積は300坪ぐらいあり、動物を飼っていて、ちいさな田んぼが30坪位あり、畑があり、なにも無い広場があり、かまど、土管などがあったりして色んな活動ができるようになっています。
子供が飽きないように、また行きたいと言うふうにしたかった。
そのためには動物、農業用水が流れているのでザリガニ、どじょう、めだかだとかがいて、広場では土管など遊べるようになっています。
子供達が楽しめる空間があると言うことです。
味噌作りもやっています。
大豆の種まきから始めます。
夏には枝豆を食べたり、秋には豆を収穫して味噌作りをして、できるのが夏になります。
1年でそれが繰り返されていきます。
害虫は排除しないといけないので、それも隠さずに子供達に見せます。
農業も自然を破壊してそこに種をまいて、育てそれを食べて生きてきているので、そういったことをやってきたからこそ、私たちは美味しいものを食べてきたし、元気に生きていくる事は伝えたいことの一つです。
毎月1回婚活の活動をやっていて6年になります。
男性も女性も野菜を収穫して料理を作ったりする時に、その人が持っている技術、気配りなどが試されると思う。
肩書き等はここでは役に立たない場だと思います。
最初大学の国際観光学科と組んで、ゼミの取り組みとしてイスラム教徒と一緒にラマダンにバーベキューをすると言う取り組みをしました。
夜の7時になれば食べてもいいことになっていますが、豚肉とアルコール、その加工物はだめです。
日本の畑の食べ物、和食は大丈夫で、これは面白いと思いました。
ゲストハウスの運営をするようになりました。
農家の庭先にあいているアパートがあり(6部屋)そこを改装して、一橋大学のあるサークルと一緒に運営してゆくというスタイルにしました。
韓国の留学生が日帰りと宿泊をあわせて50名ぐらいが来ました。
一橋大学のサークルの人と一緒に餅突きをしたり、街に行って街の事文化を紹介したりしました。
食堂の運営、子育て支援の為の食堂、夜は土曜日だけで変則的になっています。
田畑と繋がる子育て古民家と言っています。
農ライフの体験、食の体験、宿泊の体験と3つようやく整いました。
森の幼稚園、子育て支援の一環です。
うちのNPOは9名で女性が7名です。
大学時代探険部にいて、アマゾン等に行っていました。
そういう暮らしを続けたいと思ってTVの世界にはいりました。
世界の環境問題を取り上げる番組に配属されて何本か作りましたが、頭で判っていることと、現場のどうにもならないなと思うようなことがありました。
フィリピンは国土のほとんどが森林でしたが、私が行った時には360度見渡す限り全部はげ山というところがあり、人の住める空間ではないと思いました。
これを見て、今起こっていることを理解しているかというと全く理解していないのではないかと思いました。
30歳の時に、一回やってみようかと思って農業の世界に入りました。
知的好奇心、これはなんか面白いことに触れてしまったかも知れないというきっかけを、どれだけ沢山作れるかという方が、或る意味メディアとして力が強いと思います。
畑がメディアになった、そういう部分はあると思います。
都市の中に暮らしている人ほど農、環境の事について知って、だからこういう都市設計にして行くんだ言うふうにしないと、私たちはいい形で人間社会を引き継いでいけないのではないかと思います。