2019年2月16日土曜日

上田假奈代(ココルーム 代表)      ・"釜ヶ崎"で表現を学ぶ

上田假奈代NPO法人こえとことばとこころの部屋・ココルーム 代表)・"釜ヶ崎"で表現を学ぶ
49歳、日雇労働者の町として知られる大阪市西成区あいりん地区、通称釜ヶ崎の商店街に上田さんのNPOが運営する「ゲストハウスとカフェと庭、ココルーム」があります。
オープンは2008年、地元でおっちゃん達と呼ばれる日雇労働者の高齢化と孤立化が進んだ時期でした。
2012年には十分な教育が受けられなかったおっちゃん達と一緒に表現を学ぶ市民大学、釜ヶ崎芸術大学、釜芸を開講、これまでに延べ6000人が受講し、上田さんは2015年に第65回文化庁芸術選奨芸術振興部門新人賞を受賞しました。
どんな活動をしているのか、伺いました。

沢山の労働者が肩をぶつけ合いながら歩いていた商店街でした。
この5年ですっかり風景が変わって、中国人がカラオケ居酒屋をして凄くこの町は変わりめをむかえているところです。
1960年代から高度成長経済を支えてきた街です。
全国から若い人たちが働きに来てその数は3,4万人いたと言われました。
劣悪な労働環境の為に暴動といった形で現れて、そのためにイメージは怖い街と言うふうに思われているかもしれないが、バブル崩壊後仕事がなくなり、その時に集められた労働者はおじいちゃんに成っています。
仕事がなくなって路上に押し出されて、ホームレスの状態の方が多かったが、生活保護を受けている方が多くて、ドヤはアパートに変わってきて、若い外国人の旅行者も増えたので、おじいさんたちが亡くなって空き部屋となり、それがホテルに転換されている、非常に借り住まいの街と言われるかもしれない。
色んな人が行きかう街になっています。

「ゲストハウスとカフェと庭、ココルーム」では天井にびっしりと習字が一杯貼られている。
祭りで書道のブースを設けて、思い付くことを書いてほしいという事で集めたものです。
話好きの75歳のおじいさんは、昔は病院の事務長さんをしていて立派な仕事をされていた方です。
今は事情があって一人でこの町で暮らしています。
引きこもっていたがある人が2月前にここに引っ張り出してきました。
2008年には駅の近くでスナックを借りて運営していましたが、2016年にこちらに引っ越してきました。
鉄筋コンクリートの3階建です。
ゲストハウスは35ベット、部屋は相部屋からシングルまでいろいろあります。
釜ヶ崎のおじさんが描いた絵で埋まっている部屋とか、谷川俊太郎さんを閉じ込めて詩を書いてもらってそこにノートとが置いてあり続きを書いてもらったりする部屋、美術家森村泰昌さんの作品と、釜ヶ崎のおじさんの不思議な言葉とのコラボといった部屋などがあります

今日も釜ヶ崎のおじさんが一人亡くなりましたが、谷川俊太郎さんが来てインタビューして詩を作ってもらっていました。
葬式に谷川さんが作った詩を朗読している映像を流してお見送りして来ました。
海外の旅行者の方も泊まっていきます。
74歳のおじいさんが毎日一単語を覚えたいとノートに書いて、その後「Happy New Year」と書いたんです。
「釜芸」この町は人生を学ぶには凄くいい場所です。
やっている講座は詩、哲学、天文学、音楽、ジェンダー、ガムラン、サウンドスケープ、狂言、語学だったり多種多様です。
会場はいろんな場所を借りて、一流の先生に来てもらってやっています。
先生を質問攻めにします。
この大学も6年になります。
狂言はこの間襲名された茂山千之丞さんが来ました。
創作狂言で能衣装をつけて能舞台で発表したこともあります。
みんなが腹を抱えて笑いました。

和歌山大学の尾久土 正己(おきゅうど まさみ)先生、天文学と釜ヶ崎は遠い様な感じがすると思うがそうではなくて、時間を飛び越えてみんなが生きて行く事をしっかり感じるそういう講座を作ってくださいます。
ビールのアルミ缶を使って釜ヶ崎のおじさんが独学で、通天閣が酔っぱらってビールを飲み続けるからくり人形を作ったんです。
彼はアルコールで人生を台無しにした方ですが、その酒でみんなを楽しませるのが大好きでこれを預かっています。
2014年には横浜のアトリエ内にいろいろ展示しました。
これまでに延べ6000人ぐらいが受講しました。
2015年に第65回文化庁芸術選奨芸術振興部門新人賞を受賞しました。
2008年に喫茶店を始めた時に安藤さんという方が毎日来ました。
隣りの人をつねったり泥棒扱いしたりして困っていました。
何かあった時には外に連れ出して話を聞くと言う事を1年半ぐらいやっていました。
手紙を書く会というワークショップをやろうとしていた時に、声を掛けたら珍しくやってみると行って手紙を書き始めました。

「き」ってどう書くのと言われて、安藤さんが字を書けないという事を想像したことがありませんでした。
1年半のやり取りの中で、自分が字が書けないという事がばれても笑ったり馬鹿にしない所だという事を、安藤さん自身が心から思ったんだと思いました。
表現することが大事だと思っていたが実は表現するよりも、表現できる場をつくるのが本当に大事なんだと言う事を安藤さんから教わりました。
釜ヶ崎ワークショップを開催するが、月に一回9カ月行うがすべてに参加してくれた坂下という方がいました。
彼もアルコールがとても問題でした。
「酒を止めるのに薬で止めるんでは無くて、人生の楽しみでやめるんや」と言ってくれました。
生活のリズムになるような講座の開催という事で、釜ヶ崎芸術大学プロジェクトとして最初に考えました。
人生出会いで変わります、出会いの場を作りたいと思っています。

奈良県吉野郡生まれ,
父親は銀行員、母親は詩人であり、3歳のころから母親とともに詩作を始めました。
高校時代から朗読を始めました。
京都芸術短期大学ビジュアルデザイン科に入学、卒業後はコピーライターになる。
詩を声にして読んで、それを世界が見つけてくれるんで声は凄く不思議なものだと思っていました。
20歳代になって舞台に上げてみようと思って朗読を始めました。
継続的に朗読のできる場を作りました。
お互いの人生に凄く影響を及ぶんじゃないかと思いました。
声を掛け合う事が人生を大きく変えて行くと言う事は、出会ったり声にしたり応答すると言う事を仕事にしたい、それこそ詩の仕事ではないかと思いました。
そこには和を作って、素直に自分の気持ちを表せて、それを聞ける人がいて、そんな場を仕事場にできたらいいなあと思って16年になります。

2003年に詩を仕事にしようと色んなアーティストに声を掛けて仕事をした時に直ぐ近くが釜ヶ崎でした。
色んなおじさんを見かけましたが、私がこの街から表現の芸術の源泉を学べるのではないかと直観しました。
何を思ってどんなふうに生きてきたのか、という事が次の社会を考える時の手がかりになるのではないかと思って、それを聞いてみたいと思いました。
自分の言葉が追い付かないという事で、心の種としてお互いに取材をして聞いたことを詩にする方法を考えました。
おじさんが若者と10分間見つめあった時におじさんが作った詩
「お前の瞳は真っ直ぐをむいてみ開いている。 
どんなに目を細めても、眉間に皺をよせてみてみても悪党の目には見えない。
あだなはニャンニャンだけど猫目ではないようだ。
26歳の輝きを放っている。
前を向きながらハヤブサの光にも似た綺麗な瞳だ」

おじさん同士が話をして作った詩
「花見は季節になると自転車で見ています。
中の島の川口桜が一番綺麗です、だとおもいます。
空を見あげることはない。
大阪の空はあまり見ない、お星さんぐらいです。
桜さくさく花の季節です」

「教室」という題で合作俳句も作っています。
ココルーム こうした場が日本や世界に沢山増えたらいいなあと思っていますが、運営資金が大変なところもあります。