2019年2月14日木曜日

宮崎賢太郎(宗教学者・長崎純心大学客員教授)・"カクレキリシタン"の素顔

宮崎賢太郎(宗教学者・長崎純心大学客員教授)・"カクレキリシタン"の素顔
68歳、去年ユネスコの世界文化遺産に長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が登録されました。
宮崎さんの両親の祖先も江戸時代幕府が禁教令を布告して、キリスト教の弾圧をしたあとも、信仰を続けた潜伏キリシタンでした。
宮崎さんは35年に渡って長崎純心大学で教べんをとりながら、キリシタン研究を続ける中で今も潜伏時代の信仰を続ける、隠れキリシタンと呼ばれる人達がこれまで考えられていた、仏教や神道を隠れ蓑としてひそかにキリスト教の信仰を守り通しているのではなく、仏教や神道も大切にし、更に先祖から伝わる隠れの神様も祭る、日本独自の信仰の形があることを明らかにしました。

世界遺産の運動は長崎でも10年以上に渡って続いてきましたが、今回初めて念願がかなって非常にうれしいことだったと思います。
明治の初めになってキリスト教が弾圧から解放されて、その結果神道の人たちが頑張って作り上げた教会がたくさんあります。
潜伏キリシタン、今まで隠れキリシタンという言葉は1644年に厳しい弾圧があって、神道だけの時代が始まる、それが1644年ですが、キリスト教が再び自由になって復活するのが1873年(明治6年)です。
その後も江戸時代と同じように隠れ、様々な形、お寺にも行き、神社の氏子としての義務も果たし、その上に先祖が大事にしてきたキリシタンの神様も隠れたような形でキリシタンの神様も拝むと言うような、信仰を今に至るまで続けている人がいますが、隠れキリシタンという文字を使ってきた。

あたかも今現在も隠れてキリスト教の信仰をしている人が長崎にいるらしいということになる。
隠れキリシタンと言われる方々の調査研究を35年間続けて来ましたが、結論から言うと隠れキリシタンと言われる人たちは、隠れてもいなければキリスト教でもないということにたどり着きました。
江戸時代の隠さないとやっていけなかったキリシタンを潜伏キリシタンと呼んで、明治以降隠れる必要がないキリシタンを復活キリシタン、それが現在のカトリックの信者に繋がる訳です。
しかし、隠さなくてもいいのに、その後も江戸時代と同じように、お寺にもお世話になり神社のお祭りにも積極的に参加して、江戸時代からの伝わる隠れの神様も拝んでいるという人達がいまでもいますが、これを「隠れキリシタン」と呼びますが、私は「カクレキリシタン」と呼んでいます。

父方、母方も隠れキリシタンと呼ばれる人達の子孫に当たります。
父方は神ノ島という潜伏キリシタンの人達がたくさんいた地域が里になっています。
母方は家野町という神道が盛んな潜伏キリシタンでした。
私は生れて3日目に洗礼を受けました。
中学、高校は剣道部でしたが、高校時代読んだのが仏教の本でした。
大学への浪人時代があって、その時に遠藤周作の「沈黙」という本を読みました。
殉教がたくさんあるという歴史を知って吃驚しました。
そこまで信仰を強くさせたのは一体何だろうと、考えてみたいという思いでした。
文学部にいって、宗教の勉強の学科に入りました。
大学院の1年が終わった時に、原点の資料にあたるものを観たいと思って、イタリア等に一度行かなければいけないのかなと思いました。
剣道4段でしたので、イタリアに派遣してほしいという話があり、剣道をしながらイタリア語を勉強し、資料も集め勉強すると言う事でイタリアに行きました。
4年イタリアにいて、長崎からキリシタンの事を教えてほしいとの話があり、30歳で戻ってきて、キリシタンの事を教えることになりました。

フィールドワークが中心に成っています。
1500年、1600年代に日本に来た宣教師が書き送った手紙を解読して、知られていないことを読みだして、と言うような文献を中心に始めましたが、生の姿を見るのもいいと思って、本格的に始めたのが生月島でした。
当時は盛大にやる隠れキリシタンの行事が残っていて物凄く面白かったです。
行事には刺し身、魚、日本酒が100%出てきました。
神様にお供えして、「オラショ」というお祈りをして、神道でいう「直会 (なおらい)」と同じような神様からのお下がりを頂いて、飲んだり食べたりしました。
私も一緒に飲んだりして、隠れキリシタンの皆様に溶け込んで行きましたが、或る程度本音が話せるよう成るまでには10年以上かかりました。

隠れキリシタンを辞めたという人の家に、隠れキリシタンの方々が大事にしている「お水瓶」という聖なる水として考えられている瓶がありますが、辞めると不要になる。
それは御神体であり、悪い事をすると「バチ」が当たると言う事が宗教の根底にあり、粗末にしない方法として、今も現役でやっている人に一緒に祭ってもらえないかと相談がありました。
私がお預かりしますと言うことになったら、「お魂抜き」をしますと言うことになり、魂を抜く儀式を行い、魂を抜けた瓶を貰うことになりました。(穢れとたたりの問題)
奥には彼等自身も気が付いていない、辞めたら何か悪い事が起きるかもしれない、「たたり」があるかもしれないという、これが本音ではないかもしれない。
日本人の宗教の根本に「たたり」に対する畏れがあり、隠れキリシタンの中にも一番根本にはそういう物があると言う事が段々見えてきました。
「お水瓶」ひとつにしても、そういった「たたり」がないようにという願い、「たたり」信仰が彼等の心の深く重要なところに潜んでいるという事が見えてきました。

隠れキリシタンの根本にあるのは何なのか。
大本はキリスト教と言われてきたが、彼等が行っている宗教的な行事にはキリスト教と見てもいいものが結構残っている、「オラショ」などがそうですが。
一部しか理解できないような祈りもあります。
天草の潜伏キリシタンが唱えているものの一節。
「あんじひのひめよりんじゃ様に頼みます。 あんめんぜんす、まるや様」
「慈悲深いひめよりんじゃと言う名前の神様にお願いします。
アーメン イエズス マリア様」 というキリスト教から来ていると思われるが意味としては判らない。
鬼が嫌う豆をまいて家から鬼を追い出すという節分がありますが、今も結構続いている潜伏キリシタン版があるんです。
たぶん自分たちで作ったんでしょうね。
「ゼウスの御前に参り候。 ほんたを取り上げてふざもじき、天に向かいて手を合わせ
とがのおんゆるし下さるように、肉親のとが、日に1070度のとが、におちいる。
ゼウスのくりきをもって、のがしたまえ。 あんぜんせんす、あんめんぜんす」
ところどころにキリスト教の言葉が入っている。
全体的にはどう解釈していいか判らない、という「オラショ」です。

少ない宣教師が日本人の沢山の信者にキリスト教の内容を深く教えると言う事は不可能だったし、当時の宣教師はほとんど日本語が出来なかった。
正しくキリスト教の中身、教えを理解して洗礼をうけた人は極めて少なかったのではないかと思います。
仏教や神道を否定して、唯一のキリスト教だけを心の中で守ってきたというような構造ではなかったと思う。
ガラシャ夫人、キリシタン大名の高山右近の様にキリスト教をきちんろ理解して、信じていた人達も居たことも否定すべきではないが。
一般民衆への宣教師の数および日本語の能力と、日本人の理解能力を考えると民衆層にはあまり浸透していなかったんだと思います。
そんな中で230年間自分たちだけで伝えてきて幕末に復活した時に、キリスト教に信仰をどんな弾圧にも仏教徒の振りをしながら、キリスト教の信仰を守り通してきたと言われているが、それはちょっと成り立たないと思う。

昔からのこれもご利益があり捨てる必要も無いので、今まで通り拝み、御利益があるかもしれない新しい神様も拝んでみようかな、という事は出来たと思う。
隠れキリシタンの調査をしていると、彼等は熱心な仏教徒、神道の氏子、先祖の神様も拝むと言う、今説明した構図が、今の隠れキリシタンの方々の信仰ともぴったり一致している。
キリスト教という外来の宗教が多神教の世界に入った来た時に共存できる事は、一神教なので多神教と対立して、勝負をつけようと言うようなことだと排除されると思う。
フィリピンでは90%がカトリック信者といわれるが、土着の精霊信仰は今でも生きている。
キリスト教が普及した世界各地でも同様な事が言えると思う。
メキシコや中南米、韓国、アフリカ、ヨーロッパなどでも同じ様に融合しているという事があると思う。