2019年2月28日木曜日

池田あきこ(絵本作家)          ・猫を描き続けて35年

池田あきこ(絵本作家)          ・猫を描き続けて35年
池田さんは東京生まれ、短大を卒業してから 2年ほどOL生活を送り結婚、お母さんが革工芸教室を始めたきっかけで自らも革工芸を始め、いつしか教室が工房となり、1976年には会社を設立しました。
1983年に直営店を作った時に、看板や包装用紙に使うマークとして誕生したのが猫のダヤン、去年がちょうど35年と記念の年となりました。
絵本のダヤンがうまれたのが5年後の1988年、以来画集、長編物語、旅のスケッチ紀行など多方面に作品を発表してきました。
また一方では、会社社長として社員30人、パート社員100人を抱えるまでに会社を成長させて来ました。
現在社長を一人娘に譲り、御自身は製作活動を中心にボルネオの森の保全活動に取り組む等幅広く活動しています。

35年を振り返って永かった様な気もしますし、あっという間の気もします。
私の中に架空の国があって、それをつくって行くのにダヤンという強い猫が出て、主人公にピッタリでした。
国をしっかりとして行けた様な気がしました。
これからどういう形で世界をもっと広げて行くかは、これからかもしれません。
地球とは違った場所にある時空の世界での物語が紡がれてきた。
物凄く動物が出てきます。
ゆっくりとした時の流れと豊かな自然、そこに住むのは妖精と動物ばかりです。
TVアニメにもなりましたり、長編映画化の話もあり製作も進んでいます。

1976年に皮の工場をやっていて、自分のオリジナルの皮の商品を作っていて、キーショップみたいなものを自由が丘に作ろうろして、そのシンボルとして生れたのが猫のダヤンです。
皮には可塑性があり水を含むと膨らんで、乾いてもそのままの形になったままになります。
それに凹凸で柄を出してそれに染めを掛けて行くと言うので商品を作り、皮の可塑性を利用して動物たちや妖精を作っていました。
小さいころから物語は好きでした。
当時絵本はそんなになくて読み物で育ちました。
西洋の童話が好きでした。(不条理とか変な話)
身体が弱くて学校も休みがちで、体育は休んで図書館に行って感想文を書くように言われていました。
図書館はジャンルも多岐にわたっていて、見たことのない国に飛んで行って登場人物の国を探検して行くと言う感じでした。
父は国鉄に務めていたので引っ越しが多かったです。

母は手先が器用で姉妹に色んな衣類を作ってくれました。
短大を卒業してからOLになりました。
務めることは向かなかったです。
時間を縛られていることが苦痛でした。
その間、夜にデザイン学校に行きましたが、習うのも苦手でした。
21歳で結婚して会社も辞めました。
当時母が皮細工の教室をやっていました。(趣味に目が行くようになった時代)
皮で自分の好きなように色んなものを作って、駅や商店街の大道で売っていました。
或る日新聞に皮細工募集という記事が出ていて、自分が作ったものを持って売り込みに行ったら、物凄く気に入ってくれました。
おかあさんと組んで工房をやらないかと言われました。
話をしたら母も大喜びでした。
生徒さんはパートになってもらいましたが、お金がもらえるしその人達も大喜びでした。

母と私と妹で、問屋街に行ったり、ギフトショーに出たり、小売店に営業に行ったりとかは全部やっていました。
その後母は亡くなりましたが。
ダヤンが生れてポスターを描こうと思いました。
話の種が既に一杯転がっていました。
絵本作家の道を歩み始めました。
絵本のダミーを作って、出版社に電話をして面会しました。
稟議にかけると言う事で、直ぐ絵本を出したかったので自分で出そうと思いました。
バースデーブックを作って、沢山売ることができました。
私は新しいものをやることが好きでした。
娘が出来て保育園には凄く助かりました。

夫も私もオートバイが好きでツーリングを趣味にしていました。
10年ぐらい前にボルネオ縦断ツーリング(2000km)に行きました。(6日間)
マレーシア、ブルネイ、インドネシアの3国に行き赤道まで行きました。
そこで見た光景がパームヤシのプランテーションが増えていて、どこまでもパームヤシのプランテーションでした。
原生林がパームヤシのプランテーションにとってかわり、そこに住む動物たちの住む場所が無くなってしまう訳です。
帰ってきてなんとか森を守りたいと思って、ボルネオ保全トラスト(緑の開放計画)をやっていて、川沿いに土地を買って行って、そこを売られないようにしてつないでいって動物たちが行き来できるようにすると言う事でしたが、全く進んでいなくて売り上げの一部を寄付したいと思いました。
ダヤンの森としました。(看板があるわけではない 絵の売り上げの一部を寄付)
2回目は30周年の原画展の時の寄付、オークションで得たお金)
現在3回目を計画しています。
架空の世界「わちふぃーるど」は、地球からもらったもので架空の国を創造し、地球に何か自分でも役に立ちたいと思っていました。
なんでボルネオなのかといわれるが、ジャングルの実情を知ってそれを守りたいと思いました、それしかないと思っています。