2018年9月22日土曜日

平野暁臣(岡本太郎記念館館長)      ・ベラボーなものを作る

平野暁臣(岡本太郎記念館館長)・ベラボーなものを作る~太陽の塔 誕生物語~
芸術家岡本太郎の代表作で1970年の国際博覧会大阪万博のシンボル「太陽の塔」が耐震工事と塔内の修復を終えて、今年の春からおよそ半世紀ぶりに内部が一般公開されて、毎日多くの見学者が訪れています。
塔の高さは約70m、塔の中にはダイナミックに枝を広げる、高さ41mのオブジェ生命の木があり、緑色の幹から延びるオレンジや、青、黄色の枝に、古代から生息するアメーバーやクラゲ、三葉虫、恐竜、ゴリラ、クロマニヨン人等、183体の生物模型が下から上に進化を辿るように、取りつけられています。
来場者は周囲に設置された階段を昇りながら鑑賞します。
岡本太郎は平成8年(1996年)に84歳で亡くなりました。
岡本太郎のパートナーであった岡本敏子さんの甥で、この再生プロジェクトの指揮をとった岡本太郎記念館館長の平野暁臣さんに、太陽の塔はどのような経緯で作られ、岡本太郎はなにを伝えたかったのか伺いました。

大阪万博はおよそ6400万人の来場者が来ました。
当時小学校6年生で万博が見られたのはクラスで3~4人位でした。
当時万博一色でした。
これまで大阪万博を越える興奮、感動は味わったことは無かったです。
目の前に広がってる景色がSFの世界でした。(宇宙船、コンピューター、レーザー光線、動く歩道、全天全周映像、月の石など)
太陽の塔を岡本太郎がアトリエで原形を作っているのを見ていました。
当時怪獣ブームが起こった時期でした。
太陽の塔は見るからに怪獣の様な感じがしました。
大人に伝えると同様に幼稚園の僕にきちんと対応してくれていましたが、僕には全く判らなかった。

塔の高さは約70m、腕の長さがおよそ25m、根元の直径が約20m。
中には生命の木が立っている。
中の壁が赤いが岡本太郎が決めた色です。。(炎、血)
太陽の中にあるものは、単なるディスプレイでは無くて、太陽の塔の内臓なんです。
赤は岡本太郎が一番好きでした。(岡本芸術の核心的な色)
基本的な修復の方針をどうするかを最初悩みました。
時代に合わせて再創造とか、その反対もあるが、基本的には70年当時に戻す、ただし今の技術でより前に進める事が出来るものは(照明、造形技術など)、そういうようにしようとしました。
当時目指していたことは躍動する生命感、吹きあげる生命のエネルギーとかを表現したかった。
単細胞から人に至るまで40億年に渡る命の歴史を貫いて、エネルギーが吹きあげているんだと、そういうことを表現したかったのですが、照明はいまいちでぼーっとした感じだった。
今は照明設備などが進んでいるので、当時やりたかったことを表現するためにできることは進めようと思いました。

生命の木には単細胞生物から人に至る33種類の生物が、一本の木に成っている訳です。
進化は段々上等になって行くと言う事だから、一番下が下等で上が上等になると思いたくなるが、実は逆なんです。
みんな一本の木に連なってるわけで、アメーバーも人間も同列同格で、人間の自分の根源、根っこを遡るとアメーバーになる。
みんな生き物は一体で上下関係はない。
人間の中には40億年の命の歴史が全部入っている、そういう訳なんです。
岡本太郎は「俺が一番表現したいのは、この単細胞なんだ」と言っています。
「アメーバーは自由自在に生きている、俺は単細胞になりたいんだ」と岡本太郎は言っています。

ユニークな塔が大阪万博のシンボルとなっているが、そういう思いでは無かった。
丹下さんが作った大屋根の中にテーマ展示空間を作ってくれと頼まれただけだった。
太陽の塔の案がでてきて一番驚いたのが岡本太郎に発注した万博協会の人々でした。
あのプランは岡本太郎が構想したものです。
屋根の下に納めろという様な意見もあったが、丹下健三さんがそれを許したのが凄かったと思います。
あれは上下交通の縦シャフトでもあるわけです。
地下と空中を両方とも使いたかったと考えたわけです。(機能を最初から考えていた)
全体のテーマは「人類の進歩と調和」で、普通に考えれば進歩は先端技術を考えるが、岡本太郎はそもそも人類は進歩なんかしていないと考えていたわけです。
岡本太郎は本当の調和は、全く対局的な意見がぶつかりあった先に開けるものであると、言うようなことを言う訳です。

岡本太郎が一番力点を置いたのが地下展示でした。
3つのゾーンがあって①命、②人、③祈り。
①命では、我々の命を作っている物質 タンパク質、DNAとかRNAとかを 5億倍に引き延ばされていて、その中に観客が包まれる空間があって、中央に受精卵のような卵があり、色んな生き物が生まれるシーンが映される。
②人、狩猟採集時代に自然と闘いながら溶け込みながら舞台の様に広がっている。
自然と闘いながら狩猟時代の生きざまが表現されている。
③祈り、世界から集めてきた仮面、神像等が空間一杯に吊られている。
神々の森と言った空間。
それを観終わると太陽の塔があって、そこには生命の木があり40億年の歴史がある。
それを抜けると、空中提示で大屋根の中に入って、未来をテーマにした展示ですが、色んな矛盾、原爆の問題、生と死、人間の抱えている矛盾、葛藤をさらけ出している。
「未来を考えるなら根源に立ち戻れ」と岡本は言っている訳です。

「進歩と調和」の本質は何なのか、岡本太郎は未来はそんなに明るいものだとは考えてはいなかった。
未来をテーマにした空中展示でさえ、貧困、原爆、色んな問題をそのまま見せているわけです。
大屋根は3ヘクタールを持っている床なんです、空中都市のプロトタイプだったんです。
新しい空中都市の提言だったんです。
大屋根に穴をあけて、未来財産とは全く逆のベクトルを向いたものを、どんと突き立てて浴びさせることで、次のものが待っている、それこそが調和なんだと、それが岡本太郎の思想で、それを訴えているのが太陽の塔です。
縄文時代の生き方、精神を思い出せ取り戻せと岡本太郎は言っている、それが太陽の塔の象徴だと思っています。
岡本太郎は縄文土器と出会って吃驚する。
縄文土器の造形の美しさもさることながら、そういうものを作った人達の精神、暮らしの中に根づいていた生活観、美意識、価値観、そういうものに感動するわけです。

孤独、恐怖、歓喜が表裏一体、そういう生き方こそ人間らしい生き方じゃないかと、岡本太郎は考える訳です。
弥生時代になり管理型の社会構造になって行く。
人間が機械のように、部品のように、奴隷のようになってしまったと太郎は考えた。
縄文精神が完全に無くなって、小市民的な管理社会になってしまって2000年続いている。
しかし我々のなかにはまだ縄文時代の精神、魂が刻まれていて、それを取り戻せと多分言いたかったと思う。
岡本太郎は太陽の塔の事を神像と呼んでいました。
万博を未来財産の産業展示会に終わらせずに、岡本太郎は人間本来の荘大な祭りにしたかった。
パビリオンは壊すことになったが、太陽の塔も撤去対象だったが、結局壊さなかった。
当時は世の中全体がはしゃいでいた、未来の技術の展示に対して、そんな時に命の根源、40億年の命の歴史、呪術的な世界、狩猟時代の精神とか、当時では響くわけがない。
当時はずれていたと思うが、でも今なら分かると思う。
命とは何か、人間らしい生き方とは、何が幸せなのかなど、自分で見付けていかなくてはいけない、今の我々にとっての課題だと思う。
技術の進歩は本当に人を幸せにするのか、このまま行っていいのだろうか。
岡本太郎は「未来を考えるのならば、生き物とは何か、我々の命とは何か、自分の根源にあるものはなにか、をもう一回見直せ」と言っているわけです。