2018年9月5日水曜日

蜂谷久美子(シベリア抑留者の娘)     ・2人の妻と生きた父

蜂谷久美子(シベリア抑留者の娘)     ・2人の妻と生きた父
73歳、終戦の年現在のピョンヤンで生まれました。
その一年後に父弥三郎さんが家に突然乗り込んできた旧ソ連兵に連行されてしまいます。
「何も悪いことはしていないから直ぐ戻る」、そう言い残した父弥三郎さんはついに家に帰って来ませんでした。
弥三郎さんはスパイ容疑をかけられ、シベリアの強制収容所に抑留され過酷な日々を過ごすことになります。
久美子さんと母の久子さんは戦後の混乱期を必死に乗り切り、シベリア抑留から引き上げてくる人の情報を探し続けました。
しかし、消息はつかめないままでした。
ところが終戦から50年が経ったある日、弥三郎さんがロシアで生存しているという情報が突然と入り、事態は大きく動いていきます。
半世紀に渡り父と離れ離れの生活を余儀なくされた蜂谷久美子さんに伺いました。

母が亡くなって8年父と一緒に過ごしましたが、日本でも18年間過ごせました。
最新医療の病院で亡くなり、父も本望では無かったかと思います。
思いだすのは自分が良き時代に覚えた歌であるとか、口ずさみました。
一緒にいて私も覚えてしまいました。
口がほとんどきけなくなった状況でも「久美子、久美子」と言って私の手をしっかり握って感謝の気持ちを伝えました。
最後娘と一緒に暮せたことは嬉しかったのではないかと思います。
父については小さい頃の記憶は全く残っていません。(別れたのは1歳の頃)
母に育ててもらって大学にまで行かせてもらいました。
母の口癖は「どんな状況になるか判らないから、一人でも生きれるように資格などを取っておかないといけない」とずーっと言われました。

1995年ソ連が崩壊したが、それまで父はソ連から監視された状態だった。
1995年ごろに日本につてのある人を探して、その人に自分はこうこうですと言うメモを託しました。
その人が日本に帰って来た時に、本籍の滋賀県草津市に持っていかれました。
向こうからうちに連絡がありました。
翌年に私と主人とで会いに行きました。
ハバロフスクから又飛行機に乗り継いでいったら、父が空港に来ていました。
一瞬抱きあい泣きました。
日本語でしっかり話ができ嬉しかったです。
日本語を忘れまいと百人一首、教育勅語、日本の歌などで忘れまいとしたそうです。
深夜放送で「おしん」を欠かさず聞いていたそうです。
いつかは帰りたいという思いが有ったそうです。

裁判が有り、実刑が下り10年の刑が下って強制労働にでるなかで、それが非常に苦しかったようです。
そんな状況の中でよく生きられたなあと思います。
理髪、指圧の仕事を覚えたりしながら、ソ連の人達から信用を少しずつ得ながら生活していたようです。
日本から何年もたってから小包が届いたようで、その中に私たちの写真が入っていて、日本に帰ってるんだと言うことが確認できたようで、本人もいずれ日本に帰りたいと強く思ったようです。
再会したその日の夜には、お土産を渡したり母からの手紙、友達の手紙を渡したりしました。
日本の歌のカセットテープ等も準備していきました。
日本で暮らしていた当時のことなど一晩中話し合いました。

母からの手紙にはずーっと今まで生きてきた状況が書いてあり、最後に一度顔をみせてくださいと最後に書いてありました。
父はロシアで知り合ったクラウディアさんと結婚していました。
35年も一緒に過ごしていました。
父は「ここで最期を迎えさせてもらいたい」という話をするんです。
私達が帰国する前の日に、クラウディアさんが「日本に帰った方がいいんじゃないか」と切り出しました。
クラウディアさんを残しては帰れないとその日は言っていました。
クラウディアさんは「こんな楽しそうな弥三郎さんを見るのは初めてだ」とその日に言っていました。
私達の状況が判るに従って、私だけこんなことを思っていてもだめだと言うようなことを感じられたんでしょうか。

一旦帰国して父の決断を待ちました。
7カ月後父は日本への帰国を決断、改めてロシアに行きました。
クラウディアさんにとっては凄く複雑だったと思います。
明日帰るという夜、二人の話す様子が判りました。
新潟に飛行機が降りるんですが、ずーっと下を見ていました。
本来父は外国人扱いになるはずですが、日本人と同じ出口から出させてもらいまして、感激していました。
母は鳥取で待っていました。
抱き合って泣き出すしかないという感じでした。
81歳と79歳になっていました。
家に帰ってからは結婚する前、結婚後の4年間等の昔話をしていました。
母が亡くなる91歳で亡くなりますが、最初の4年間と最後の10年間一緒に過ごしました。
クラウディアさんとはずーっと文通していました。(1カ月に2~3通位)

クラウディアさんが日本に来た時に母は「クラウディアさんがいてくれたおかげで弥三郎は元気でおれたんです」と気持をしっかり伝えていました、私もそう思います。
クラウディアさんは温厚な情の厚い方です。
戦争によって人生が狂った人は沢山いると思います、そういう様なことを考えた時に、戦争って国と国との争いだけではなくて、人の一生を左右することが沢山ある訳で、むごいもので戦争ってだめですね。
人の運命ってわからないものだと思います。
戦争はむごいものだと思います。
どんな状況の中でも自分を見失わないに様に、生きることが大事なんじゃないかと思います。