2018年9月27日木曜日

関口祐加(映画監督)          ・待ち受ける"死"に向けて

関口祐加(映画監督)          ・待ち受ける"死"に向けて
2009年に横浜市の実家で認知症になった母を介護し、映画「毎日がアルツハイマー」を撮りました。
そして今年、「毎日がアルツハイマー」の3作目「毎日がアルツハイマー〜ファイナル」を完成させました。
テーマは「最後に死ぬ時」です。
母の介護に向き合ってきた関口さん自身も大きな手術を受けました。
母の認知症と向き合って今年で9年目、死は必ず訪れる、穏やかな死を迎えるにはどうしたらいいのか、母をこれからどう介護して、自分はどう生きて行ったらよいのか、などについて伺います。

3作目を完成しましたが、私の中では3作目が一番気に入っています。
2作目を作った時にパーソン・センタード・ケアと出会って、その後で医学監修していただいている荒井先生などに、「君のライフワークはお母さんを撮ることだから」と言われたが、パーソン・センタード・ケアを知ってしまった私にはハウ・ツーになってしまうと思ったので、それは映画としては面白くないので、深いテーマが無いのかなあと煮詰まっている時に、私の足がどんどん悪くなって、車いす移動するぐらいになってしまいました。
先天性股関節変形症だった。(生まれた時に脱臼して生まれてきたらしい) 要介護2
手術しなければいけない状況になってしまった。
7週間入院しました、(初めて母から離れることになる)これが楽しかった。
同室になった山田さんと出会いって、3作目の方向性が決まりました。
私自身がどうなるかわからないと言った処に行ってと言うのが「毎日がアルツハイマー〜ファイナル」だった。
山田さんは明るく冗談を言って、何より自分の様子を見せられる。

癌で亡くなって行く時に大きな問題が3つある。
①心の不安、死んでいくわけだから。
②呼吸が苦しくなる。
③痛みのコントロールが段々難しくなってゆく。
そんな問題があるから人工的に本人を昏睡状態にしてあげる、そんなことがあるんだと思いました。
「そんなことは世界中どこでもやっている」と言われて、えっと衝撃を受けました
日本では30代の医者はオープンにしているが、日本語で言うと終末期の鎮静死ですね。
安楽死は薬を入れたとたんに絶命するが、鎮静死は薬を徐々に入れて行くので、患者の体力によって時間が違ってくる。
その時に安楽死とどう違うのと思ってしまいます。
その手法は日本ではグレーゾーンです。
家族には受け入れられないということもあり、そういう人には眠りながら死んでいったという美しいストーリーにしておいて、判る人には家族にきちっと言います。
日本ではグレーゾーンなので、そういうのがあると言うことが判らない、そういうことが難しいと思っていますが、それが今回衝撃的でした。

映画の1と2は私は介護する、看取りをする側でしたが、今回は自分のこととして捉えてくださるので、自分はどうしたらいいんだろう、どうされたいんだろうと、それはいいことではないかと思います。
介護は9年目になりますが、介護よりも映画を作る方が大変です。(笑い)
介護は自分が出来ないことは助けてもらう、その思想でズーっときているので、どうにもならない大変さは一回も無いです。
介護は愛ではなくて、理性が必要であると思います。(冷静に)
母は要介護4です。
母の兄弟は6人でしたが、映画を作った途端(認知症となった内容)一切連絡が来なくなりました。
本音で生きている人は少ないと思う、良妻賢母をかなぐりすてる、そこが魅力的です。
認知症の前の虚構の母は、母も辛かったと思う。

大学卒業後オーストラリアに行き、29年間親と離れていた。(年一回位は帰国)
母が認知症の症状が出てきて、戻ってきました。
日本は先祖のご縁があって生まれた国ですが、オーストラリアは自分が選んでいきたいと思った国なので、仕事を見付け映画監督になったので、オーストラリアを捨てる気持ちはまったくなかった。
オーストラリアで国際関係論の修士課程を取って、日本で大学の教授になるということが母の夢でもあった。
国際関係論の修士課程がつまらなくて、友人が私のクラスに来ればと誘われ、文化人類学で映像を見てディスカッションすると言う面白いことを体験、そこで映像に目覚めてしまいました。
映画監督になろうと思ったが、母は激高しました。(23歳の頃)
1989年に「戦場の女たち」で映画監督デビュー。
1992年 「When Mrs. Hegarty Comes to Japan」(日本未公開)を監督。
2007年 「THE ダイエット!」
2012年 「毎日がアルツハイマー」 1本目
2014年 毎日がアルツハイマー」 2本目
2018年 「毎日がアルツハイマー〜ファイナル」 3本目

何故そうするのか、そうする為の理屈を考えると言う事は父からの影響が強いです。
自分で考える力を養っていかないといけないと言う事を、父方はずーっとしていました。
自分を信じる力がすごく強くなりました。
小さい時の教育は大切です。
大変ということはあるが、自分で出来ないという思いは人生で一回も思ったことはないです、その基盤を作ってくれたのは祖母だと思います。
死を意識した終わりからの介護、ゆるい管理の仕方、がちがちの管理をしない、何故か、死んでいくんだから。
介護に焦点を当てるのではなく、いい死をどうやって迎えさせてあげられるのか、ということが、私にとっても後悔しない介護だと思うんです。

今、今日後悔しないで生きているかどうか、終わりから考えてどうするか、特に介護は大切だと思います。
緩やかな介護は突然死に導くのではないかと思う。
栄養師はいないし、薬は少なくするし、本人に好きなものを食べさせてあげる。
出きることは自分でやる、本人がやる気になるのが大切だから尊重してあげる。
本人をいい気持にさせてあげる、そうするとめぐりめぐって私のため、そこなんです。
笑いを提供する、ここが大きい。(創意工夫する)
自主幇助、選択肢を持つことで使わないという選択ができる。
安楽死は私はいやなんです。
オランダは合法、そうすると医者が安楽死に慣れてしまう、それが厭です。
安楽死は医師が全て準備して、薬で絶命できる。
自主幇助は最後の決断は自分がする、医者ではない。
治癒できない病気を持っているということと、一番大切なのは頭がクリアということです。
自主幇助は、映画の中でも言っているが、家族ともオープンにして話合わないといけないと思う。
一番いいのは死んでゆく本人が一番納得できる死に方がいいと、私は思っています。
ヒューマニティーを持った医者がいいと思います。(人間関係を持つ)
認知症ケア・アカデミィー・ジャパンを作りたいと思っています。