2018年9月2日日曜日

石丸博也(声優)             ・【時代を創った声】

石丸博也(声優)             ・【時代を創った声】
77歳、高校卒業後劇団ひまわりで演技の勉強をしました。
アニメ マジンガーZでは兜甲児役、吹き替えではジャッキー・チェンの役を40年以上担当しています。

1982年の『スネーキーモンキー 蛇拳』が最初の作品。
ジャッキー・チェンの映画ととも発展してゆく香港とか、景色が判ります。
マジンガーの兜甲児役を付けてくれたのが録音ディレクターの春日正伸さんで怖かった。
最初声優になろうとは思わなかった。
声優の仕事は月1回で給料も安かった。(声優という言葉も無かった。)
小学校、中学校時代勉強をやらなかった。
日記を書けなくて母親から頭を殴られたりしました。
高校卒業後、予備校に行くが、予備校にはいかずに友達が競輪が好きで一緒に学費を使って競輪、競馬などで遊びました。
映画が当時全盛で憧れていました。
それで劇団ひまわりに入って演技の勉強をしていたら面白くなりました。
劇団ひまわりで児童劇をやって、東京都演劇コンクールで最優秀賞を貰いました。(私が主役でした。)
当時はただただ一生懸命やっていたような感じでした。(プロになろうと言うことはあまり考えてはいなかった。)
お金が無かったが、28歳ぐらいで結婚しました。(相手の父親は反対したようですが)

小さな汚いアパートを借りて過ごしますが、ファンが来てくれるが恥ずかしくて逢えなかった。(マジンガーZでは兜甲児役をやっていた。)
テレ症で上手くやろうとか、間違いなくやろうと言う思いが先立ち、つい周りのことを気にしてしまうので、集中力が足りないのでなかなかうまくできなかった。
役に没頭すればやれるはずだと、周りを気にしなくなってから面白くなりました。
ジャッキー・チェンの役をもらった時は、ちゃんとやってやろうと腹の中で思って戦いました。
収録現場では先輩から「トチ丸」と言われていましたが、何くそという思いがありました。
なぜかファンクラブが出来て、その頃アニメの火付けになったと思います。
仙台では盛況のサイン会だったが、九州に行った時にはサイン会が有ったが人がいなかった、そんな時もありました。
声優は表には出ないようにした方がいいというようなことを言われました。

映画は月に一本程度でぶつかると声優の仕事を断ったりしていて、或る人からどっちかにした方がいいと言われました。
自分を成長させないと俳優も声優も上手くならないのではないかと思いました。
人間成長していけば色んな見方が出来るし、色んな考え方を自分の中で成長させていかないと、上手い役者にはなれないのではないかと思いました。
アルバイトの仕事、日常の生活の中でも考えて勉強になりました。
ジャッキーの映画はこんなに長く続くとは思いませんでした。
ジャッキーの演技も変わってきて、景色なども都会化して時代の流れを感じます。
お互いに歳をとってきているので、そういう面では自然体で演じることができて良かったです。
今、兜甲児役やろうとしたら多少若ぶったりして作りますがそうだとだめですね、でもやってみたい気はします。
若い人たちは売れようと思って一生懸命やっているが、売れないからと言ってがっかりするな、売れたからと言ってのぼせるな、だと思います。
一回や二回は誰にでもチャンスはあるので、そのチャンスは必ず逃がさないようにすることが大事だと思います。
それには人と人との出会いと、普段いろいろ観察してどんな役が来ても大丈夫なようにするとか、あと自分を知ること(自分に合ったものはこれだというもの)だと思います。
声のいい悪いは関係無い、上手い下手はあるが。