2018年9月25日火曜日

岸本葉子(エッセイスト)          ・10年後もはつらつと

岸本葉子(エッセイスト)            ・10年後もはつらつと
大学卒業後会社務めや中国留学を経て、エッセイストとして活躍、一人暮らしや食、旅などを題材にした柔らかく知的なエッセーが多くの人たちの共感を呼んでいます。
NHKEテレのNHK俳句にも出演し、俳句にも表現を広げています。
4年前に岸本さんは認知症の父親を5年間の在宅介護の末に看取りました。
岸本さん自身の年齢が60歳に近付き、老いを少しづつ意識し始めてからは、父親の介護から学んだことを生かして、10年後も溌剌と生きるための老い仕度を始めています。

エッセーが体験、見聞きした事を元に感じた事、考えたことを書くもので、段々テーマも年齢につれて、最近では老いが気になるようになりました。
不安と恵みという意識、老い=不安は多々あります。
一方で長く生きられたことも当たり前ではないんだなと思うと、老後の時間を不安一色に染めないで、有難く楽しむ姿勢も忘れずにいたいと思っています。
父は母を亡くして暫く生きていましたが、昼間放っておけないことが出てきて、2009年から兄弟で交替交代で介護するようにしました。(5年間)
最後に一般病院に入院して亡くなりました。
平日の昼間は姉が看て、平日の夜は兄が看て、私が週末の昼夜を担当しました。
それまでに色々症状がありましたが、一番驚いたのは父が心臓の病気を持っていましたが、付添で行ったら医師からどうして治療放棄をしていたのか言われて、数年間通院していなかったと言うことで、薬も飲んでいなくて通院もしていなかったということが判りました。

介護の局面は5年間で変わって行きます。
最後は下の世話等、安全と衛生を保つことに集約していきますが、その前には色んな段階があります。
夜寝る前にトイレに行こうと促しても行かないが、寝て30分後には必ず起きだして父はトイレに行くので、一緒に介添えしなくてはいけない。
時間軸が真っ直ぐあって、それに沿って行動を割り振っていると思うが、父は時間の軸に沿って行動を組み立てることができない、日々、瞬間瞬間を生きているのかなあと思いました。
後で父の日記が出てきて、判らなくなってみんなに迷惑を掛けたくない、ということが書いてあり驚きました。(介護の最初の頃)
父の介護が始まる前、7,8年前に私は虫垂癌を患いました。
周りにも少し癌が広がってる状況でした。
再発がなさそうだという時期になるころ、父の介護が始まりました。
長い先が予測できなくて、それを元に行動を割り振れない何かもどかしさがありました。
不安感、自分は役に立たなくなってゆくのではないかとか、孤独感、疎外感は認知症と共通しているなあと思いました。

認知症の本を読んで心に響くことが書いてありました。
脳の機能の低下には根本的な治療は無いが、自尊心が傷ついたり、孤独、疎外感を覚えるそうした精神的な局面は、心情に寄り添うことで改善できると書いてあり、がんと重なっていると思いました。
父は大きな問題を黙ってしょい込んでいると思うと、それは大きな転換点でした。
認知症を患っている人の根本にあるのは、不安であると書いてありました。
私の癌の治療後の心象風景は、灰色の湿原が広がっていて、目に見えない落とし穴が一杯あって、よく見えないが湿原の中をたった一人でさまよいながら歩いて行くしかない、そういった感じでした。
きっと父も同様なのかなあと思いました。
心に父との共通項があると、事柄の受け止め方も全く変わって行くものだなあと思いました。
父は90歳で亡くなりました。
親が教えてくれることは大きいなあと思いました。
歳をとると言う事は私にとっては未知の体験が、こういうことだと言う事を身を持って知らせてくれたと思います。
兄弟との仲も結びなおしてくれました。

40歳で病気をして、40代の後半から介護をして、気が付くと50歳という年齢を過ぎていました。
父が亡くなって1年半が自分の住まいのリフォームでした。
トイレと寝室が近くしようと思いました。
介護をして貰うにはトイレは広い方がいい。
壁を取り除いてトイレ、洗面所、脱衣所を兼ねるようにしました。
できるだけ長く自立して暮らせたら、気分が上がる空間で暮らせるなと思ったんです。
そうすると筋肉に行く訳です。
父はもう少し筋肉があれば、トイレへ一人でいって用を足せる期間が、長かったのではないかと思いました。
私は介護が終わってから、ジム通いをするようにしました。
家でも片足立ちを1分するだけで、骨への刺激は50分のウオーキングに匹敵すると本で読んだことがあります。(筋肉ではなく骨)
バランスクッションの上に、片足立ちをすると大変鍛えられる。

夢中になれることを持つということは、非常に大事だと思います。
私の場合は俳句が生涯の趣味になりそうだと思いました。
今年で俳句を作る様になって10年になります。(お金はかからない)
句会などで交流もできる。
仕事が無くなったあとも、続けて行ける趣味だと思いました。
夢中になれることをもっている人は、老いにも強いと癌の医師から言われました。
(老い=病気と置き替えることもできる)
前は目標をたてて、そこに向かって計画的に努力してゆくことは、生きる姿の基本にありましたが、病気を経験して、父の認知症の姿を見て、時間軸に沿って目標を設定して計画を立てて努力して行く生き方は、全てではないということが判りました。
一人でいる状況は自分にとって快適であるなと思っていました。
一人で快適に生きてゆくためには、どれほど多くの周りの人の有形無形の支えがあるか、ということも痛感しました。
その時の思い付いた備えはしつつも、今は今として最大限享受することが無いと、今の時間がもったいない、今を楽しむことも大切かと思います。