関谷忠一(とちぎ自然塾塾長) ・自然に生き、生かされて
68歳、大学を卒業後念願が叶って、鮎釣りのトーナメントプロになりました。
4年目に、大会で優勝しています。
その後は優勝から遠ざかって、悩む日々が続いたということです。
そんな中、鬼怒川の川岸を歩いていたある日、プロの大会の勝ち負けにこだわるより自然とともに生きる道があるのではないかと言う考えが浮かんで、その後とちぎ自然塾などをスタートさせました。
今では塾生は300人ほどに増えて、魚釣り、里山の散策、バードウオッチングなど豊かなアウトドアライフを共に楽しんでいます。
関谷さんが考えてきた自然に生き、生かされる道とはどのようなものなのか、関谷さんや塾生が得たものはなんなのか伺いました。
この時期中禅寺湖にボートを浮かべて、わかさぎ釣りをしながら紅葉を眺める活動をしています。
山の幸を取ってきて料理して食べることもやっています。
父は技術屋で変電所を転々としましたので、地域地域の自然を見せてもらいました。
父親から色々自然の遊びを教えてもらいました。
父親から鮎釣りを教えてもらったのが、鮎釣りの世界に入って行ったきっかけだったと思います。
幼稚園の年長で鮎を初めて釣りましたが、その時の事は鮮明に覚えています。
小学校の3年生の時に鮒釣りに父といった時に、からませてしまったが、「釣りをやるやつは自分がそれが出来なかったらやめてしまえ」と厳しく言われて、今でも忘れません。
釣りは「見る釣り」「見られる釣り」「見せる釣り」がある。
「見る釣り」は相手の釣りを盗め、そして「見られる釣り」になりなさい、最後は「見せる釣り」すなわち教えられる釣りになりなさいと言うことです。
高校生になってからは学校をサボって、鮎の解禁の日には川の方に行っていました。
大学生になると足が強かったので、皆さんがいけない様な激しい釣りをしました。
妻を連れて釣りに行くと一生懸命釣りに没頭をするので真っ赤になって怒りましたが、活動を認めてくれてはいます。
「貴方、家庭と、仕事と釣りと何を選ぶの」と言われた時に、「釣り」と答えたら、妻も釣りに対する敵視が始まったのかもしれません。
大学卒業後商社に入って営業の仕事をしました。
営業は外回りで車で動くたびに川、橋、山等があり、こんな仕事を選んで良かったなあと思いました。
相手のお客さんと釣りの話も出来て営業成績も良かったです。
釣りがしたくて会社を辞めることになりました。(ヘッドハンティングといった感じ)
販売店の社長でした。
仕事の合間に釣りができるようになりました。
釣り具のメーカーさんから質問を受けるようにはなっていました。
30代半ばの頃、日本プロ友釣り協会が出来て全国から腕自慢が集まり、参加することになりました。
1時間ごとにエリアを交換してどちらが多く釣ったかという試合をしました。
色んな地域の川でやって行きました。
その時は40人ぐらいいました(現在は100名程度)
最初のころは試合にはなりませんでした。
プロは失敗をうまくカバーする、カバーの仕方を知っている、それがプロだと思いました。
或る時、このまま行くと勝てるチャンスが出るかもしれないと思いました。(動じることも無くなった)
プロになって4年目で大会で優勝しました。(釣りの神様がいると思いました)
雷雲が現れて、危険だと言うことでテントなどを撤去した方がいいのではないかと、運営側に忠告しました。(気持の余裕もあった)
水位が10cm増えてきて、釣ろうとしている鮎はどっかに退避しているはずだと思いました。
1時間後には絶対どこかに来て僕のつりざおにかかってくれるはずだと感じ、次から次にかかってきました、そして優勝しました。
その後そう甘くは無かった。
自然との向き合い方を、どこかで何か表現していかなくてはいけないと思いました。
鬼怒川の河原でうとうとしていたら、「いつまで勝った負けたとやっているんではなくて、自然とのかかわり方、自然の中で思ったことを次の世代に残せるような活動をしてみたらいいのではないのか」と微かに聞こえたような気がした。
父と一緒にいった大芦川は、昔そのままの綺麗な川、自然があった。
古民家があり、ああいう場所で自然の学校をやったらきっと皆さんが喜んでもらえるのではないかとちょっと漏らしたら、貸してくれることになりました。
娘が幼稚園の先生で家を一緒に見てもらった気に入りました。
トーナメントプロを辞めて、釣りの普及には携わっていきたいと思いました。
野山の修行も始めました。
古民家に寝泊まりして自然を五感で感じようとしました。
キノコ採り、山菜の名人の人から山に一緒に入って、色々なことを教えてもらいました。
夜中には何か判らないがギシギシ音がしたり、戸が開いたりしましたが、怖いことがありましたが、段々克服していきました。
皆さんにテーマを共有して次の世代に伝えて行く活動、自然との共生を考えてそれを実践して行こうと言う事を始めました。
柏の葉は枯れても落ちないで、次の芽が出て来るまで堪えている。
何故5月5日の柏の葉で餅を包んで食べるのか、「子供の成長、新芽が出て来るのを待って親は散ってゆくんだぞ、だから5月5日に子供の成長を願って柏餅を食べるんだよ」と教わりました。
薬草など沢山教わりました、それを情報交換して行く。
自然塾は僕が教わるためにできたような感じすらします。
子供達は色々教えてくれます。
野生の三つ葉での香りをかがせると、なんだっけなあと言いながらお母さんが作ってくれる茶碗蒸しの香りがすると言うんですね、何て素晴らしい感性をもった子だと思いました。
川の魚を見た時の、子供の表現は凄いと思いました。
最初の子供たちの目と帰るときの目の力が違います。
その子供達とハイタッチして帰るんですが、活動のなかの一番楽しい時なんだと感じます。
「大芦川自然クラブ」「とちぎ自然塾」「シニア自然塾」等があります。
「大芦川自然クラブ」はみんなで楽しんで行こうということで時には食事、お酒を飲んだりして親睦を温めていこうと言うことです。
「とちぎ自然塾」はお互いに学んで、自然への奉仕もしていこうとしています。
「シニア自然塾」はシニア同士が集い、繋がり、四季の自然を楽しむコミュニティです。