2018年6月13日水曜日

立川談春(噺家)               ・落語の格闘家

立川談春(噺家)           ・落語の格闘家   
談春さんの大ホールでの独演会は常に満員で、チケットが取りにくい噺家さんの一人です。
1966年東京生まれ、高校を中退して立川談志さんに入門。
1997年に真打ちに昇進、来年で噺家生活35年になります。
噺家として林家彦六賞や国立演芸場花形演芸会大賞など、受賞の他に師匠の立川談志さんとの関係などをつづったエッセー「赤めだか」が講談社エッセー賞を受賞しました。
俳優としても才能豊かな面を見せています。
談春さんは2010年から精力的な活動をして新しい世界を広げようと活動しています。

師匠が忙しかったので前座のころが一番忙しかったです。
チケットの取り辛さ。
落語は何処でチケットを買っていいのか売り出しの場所はどこなのか 横断的な組織が無い、落語は個人芸なので人の為に汗を流す人がいないと出来ないので、見に行こうと思った時に取り辛いということはあると思います。
落語はあまり大きなホール、マイクをつかって聞いても面白くないと言うことでぬくもりのあるホールでやる、呼べる人数からすると小さめなホールでやるので取り辛いということはある。
落語ってこういうもんだと言う思いこみすらお客さんに無くなりました。
聞いていると喋っていることが絵に浮かぶ、何であろうと興味を持ってくれて、面白いからと思って観客動員数が増えてきた。
落語家は1000人を越えました。ぼくがはいったときは300人ちょっとでした。
落ちるところまでとことん落ちたからだと思います。
かたくなに変えないでやっていることを振り向いてくれた幸運が、今の落語の観客動員数の増加の一番の理由だと思います。
談志が独演会をやる、古今亭志ん朝が独演会をやって300人のホールが満員になる、やっぱり凄いと言っていた時代で、今は1000人のホールを満員にしても落語界で何のニュースにもならない。

1966年生まれ、51歳。
17歳で入門したが、ボートレーサーになりたかった。
戸田に競艇場があり、小学生の時に見に行って、かっこいい選手に出会って、中学卒業したらボートレーサーになろうと思いました。
腕さえあればいいじゃないかという思い込みは早いうちからありました。
相撲、競馬が好きだった。
相撲は中入り後の取り組み内容などを全部覚えて銭湯で大人に向かって喋っていました。
段々期待されるようになりました。
競馬は馬の名前を覚えて自分なりの実況していました。
テープレコーダーを買ってもらって、競馬のアナウンサーの実況を録音して覚えていました。
そういったことが落語をやる時に有利だったと思います。
落語は聴いて覚えました、聞く量が圧倒的に多かった。(他の人は喋って覚える)
師匠の噺を完璧に覚えてやろうと思いました。
しかし完璧に似ませんでした。
リズム、息継ぎを真似ようとしました。
2011年11月に立川談志師匠が75歳で亡くなる。
71歳位にどうしたんだろうと思っていたら、亡くなってしまいました。
改めて物凄い人の弟子になったと思いました。
半分までのところまでいけるかどうかとか、生きている時とは違う複雑な思いがあります。
師匠は落語に関してはピュアでした。
落語を何としても次の世代にも娯楽として届けたいという強烈な意志があり、それがゆえの行動だったが、行動の仕方が大多数の落語家さんにはなかなか理解されない。
その組織にいて改革が進まなければいらつく。
真打ち昇進試験というきっかけがあって出た。
全く勝算があって出たのではなくて、いい度胸だと思います。

「赤めだか」福田和也さん(文芸評論家)から書いてくれと言われて、書き始めました。
辞めたくて、本にすれば辞めるのも可能だと言うことで本にしたら講談社エッセー賞をもらうことになりました。(10年前)
それが3,4年前にドラマになりました。
真打ちは落語家の最高の位だが、真打ちは落語協会、芸術協会なり組織が決めるが、談志は立川流なので談志が決める訳ですが、1年半後輩の立川 志らくに真打ちを抜かれました。
そこで序列が変わってしまった。
抜かれて、どうしたら世間的にチャラに出来るのか、抜かれて怒らない奴なんだ、というイメージが僕に付いて、その後頑張って無いじゃないかと、酷い事を談志はするなと思ったが、やっぱり談志の眼は正しかったとなりそうになっているのをどうするんだと言った時に家の師匠を驚かすのにはどうしたらいいかと言ったら、柳家小さん師匠の所から出て行った談志師匠に対して、柳家小さん師匠は破門にした。(内容がいまいち判らない)
柳家小さん師匠が真打ちトライアルの会に来ていただいたことは世間的には柳家小さんもOKとしているということ。
弟子としては傲慢だが談志に対する当て付けでした。
柳家小さん師匠は出てくれるということになって、それならば談志師匠も挨拶に行くと言うことになりました。
俺はとんでも無い事をしているということと、落語における師弟(柳家小さんと談志)というものを最後に書き記したのを感動してくださった。
師弟、理不尽と矛盾しかないと思うことが多いが、或る年齢になってからでないと判らない、血が繋がっていない師弟だからこその情緒があるのではないか。
立川談志の実像はよっぽど気を付けないと、とても怖いことだと思っています。
TVドラマ、映画など出演して勉強になりました。
スタッフの頑張りには吃驚、貴重な経験でした。
大きなホールでやるとなると落語本来を伝えるやり方では次にお客さんが来てくれないという感性が働きますが、落語の匂いは残したい。