西川右近(日本舞踊家 西川流総師) ・"芸どころ名古屋"をふたたび
1939年名古屋市生まれ、79歳、3歳で初舞台、芸歴は70年以上。
2014年まで31年間西川流の家元を務めて来る。
その経験、日本舞踊の枠にとどまらない多彩な活動について伺います。
日本舞踊は色々な流儀がある。
日本舞踊協会に所属しているだけで200以上あります。
江戸時代まで遡っていくと3つ位の流派なんです。
お茶、お能のように一つの哲学をつくった人がいないから沢山の流派が出来ているが、比較的古い歴史があるのが西川流です。
初代西川西川鯉三郎という人は元々は江戸にいたが、名古屋に行った時が江戸の終わりの頃です。
東京では弟子が継ぐことになった時に、一番、二番目に古い方が亡くなってしまった。
一番若い人が花柳流の流祖になっている。
三番目の人が名古屋に行って西川流となり家元西川流となっています。
現在弟子は全国4800人ぐらいいますが、そこで弟子を持っていたり把握はできないです。
私自身は東京、金沢、大阪など色々行っています。
家元時代は全国を駆け巡っていましたが、3年前から息子が家元になったので、少なくなってきました。
初舞台は3歳といわれるが、お猿さんの恰好をしているのは覚えている。
父と母は6代目菊五郎師匠の弟子でした。
名古屋に西川流を継ぐ人がいなくて師匠に言われて名古屋に行きました。
4,5歳で戦争の慰問隊として一緒に連れていかされました。
6歳で初めて、父が名古屋をどりを県からの要請で踊った時に一緒に踊りました。(昭和20年9月)
劇場の窓ガラスが割れるほどの大入り満員でした。(心の癒し)
焼け野原にバラックが建ち屋根が出来てきて、人間の復興の力を子供心に凄いと思いました。
二回目御園座でやったのが戦後3年目でした。
今の名古屋をどりよりもその頃の名古屋をどりの方がお客様から切望されていたと思います。
疎開先のおばあちゃんが畑から内緒だよと言ってトウモロコシを持ってきて、醤油を付けて焼いて食べさせてくれたのが生涯で一番おいしかったと思います。
先代の尾上松緑師匠には部屋子のように可愛がってもらいました。
よく御園座へ行って遊んでいました。
劇場での折り箱の寿司を握るお手伝いなどもしました。
或る時6世藤間勘十郎師匠(後の2代目藤間勘祖)を見た瞬間に判らないが、踊りをやりたいと思いました。(15,6歳の頃)
それまではおだてられて踊らされていた。
自分の手本を発見して、いっぺんに踊りが好きになってしまいました。
名古屋をどり 舞踊の大衆化に重きを置いていい先生と出会って舞踊劇を作って、それが川端康成先生、北条秀司先生、吉川英治先生、船橋先生など数えたらきりがないです。
そういった先生方と出会ったのも踊りを好きになった要因かもしれません。
川端康成先生の弟子になりたいと言った時もありました。
僕たちは切符を売りたいと言ったが、北条秀司先生からは稽古稽古と言われました。
「稽古が十分してあってお客がいない舞台と、お客が一杯いて稽古がしていない舞台とお前たちどっちがいいんだ」と言われました。(本当にいい勉強になりました。)
私の人生は自分の努力というよりも、良い方に恵まれたということが一番大きいと思います。
出演者も長谷川和夫さん、美空ひばりさん、市川 笑三郎さん、アグネス・ラムさん、佐久間良子さん、山本富士子さんなど色んな方がゲスト出演させて頂きました。
美空ひばりさんからは「どうして私を呼んでくれないの」と言われたが、「呼ぶほどのギャラが払えないし忙しいそうなので」といったら、「それが水臭いというのよ」といって出て下さいました。
出ていただいたが、当日はお母さんが手術をする日でした。
3日間来てくれましたが。舞台を終わるとさっと帰って行って母の所に行っていたようですが、我々には悟られないようにふるまっていました。
舞踊劇の執筆など30数本、エッセー、時代小説など書いています。
対談、ラジオのパーソナリティーなどもやってきました。
ラジオドラマ、TVの仕事にも関わりました。
TVドラマが始まって2年間ぐらいやった所から「中学生日記」が始まりました。
日本舞踊を取り入れたエクササイズ。
病気をして筋力が衰えたが踊りの稽古をしたら筋力が戻ってきて、身体に効く事があるのではと思って、平成14年ぐらいから湯浅景元先生(元中京大学教授)に踊りが運動になるかを聞いたら、興味があるので日本の踊りをスポーツ化したサイエンスにしようと言うことで、機器を取り付けたりして血圧、脈拍など色んなデータを取りました。
動きが緩やかなので高齢者の介護予防、幼稚園などに取り入れてもらっています。
平成19,21年にかけて厚生労働省のモデル事業にもなりました。
筋力を鍛えることと、コミュニティーを作ること、ミスしたりして笑って運動するそれが大事だと思います。
イベントをプロデュース、対談(鳳蘭さん、原辰徳さん、市川 笑三郎さんなど)とか。
人に会うことは勉強になるが、その人の凄さを知らずに終わってしまうのはもったいない。
ものを見るとつい興味がわく、妻を8年間在宅介護して亡くなってしまったが、在宅介護も興味が起こります。
どうやると被介護者が楽しい毎日を送れるかを演出して行くか、踊りは演出家なので、こうやると喜ぶみたいだと興味が湧いてくる。
気づく、それが面白い。
2018年中日劇場が閉館、5年ぶりに御園座が生まれ変わる。
坪内逍遥先生の少年期に見た歌舞伎の印象の本があるが、昔名古屋は芸どころと言われていたと書かれていて、今後名古屋はどうなっていくんだろうと書かれている。
名古屋にしかないというものを作らないといけないと思います。