「春なのだ、しかし何と沢山な沢山な人々が悲しげに歩いていることか」 ゴッホ
「ひまわり」、「夜のカフェテラス」、「糸杉」 など沢山の作品がある。
ゴッホは日本びいき、浮世絵などに興味を持つ。
1853年オランダ生まれ(黒船到来の年)、南フランスで沢山の名画を描いた。
画家として活躍したのは10年間。
画家を目指したのは27歳と遅い。
37歳で亡くなっている。
生きている間は一点しか売れなかったという。
弟テオが画商をしていて仕送りをして貰って生活していた。
ゴッホは手紙を多く書いていて、弟に対してが特に多い。
ゴッホは確認されているだけで800通以上になる。
ゴッホが亡くなり、弟も亡くなり弟テオの妻ヨーが3巻の『ファン・ゴッホ書簡集』を出版し、書簡集が評判になり有名になる。
「春なのだ、しかし何と沢山な沢山な人々が悲しげに歩いていることか」
この手紙を書いた時期は悲しい状況だった。
若いころで初期の名作「ジャガイモを食べる人々」を書いた後ぐらい。
食費を切り詰めて体が衰弱して歯が欠けたりした時期だった。
自分がそのような状況であるならば、楽しそうに歩いている姿を本来妬ましいはずだが、他の人が悲しいであろうことに目を向けている。(共感)
25歳のころに伝道師になろうとして修行するが、熱心すぎて貧しい人にあげてしまい自分は裸同然で歩いたりして、持っているものをあげてしまい、やり過ぎると言うことで追い出されてしまう。
ゴッホの特徴はいつも熱心すぎて常にうまくいかない。
小林秀雄はゴッホは炎の人で「いつも沸騰している精神」と言っている。
「怠惰と性格の無気力、本性の下劣さなどからくるのらくら者がいる。
君が僕をその手の人間だと判断したければしたらいい。
他方、それとは違うのらくら者、不本意ののらくら者がいる。
こちらは心の中では活動への大きな欲求にさいなまれながらも何もしていない。
それは彼が何一つすることが不可能な状態にあるからだ。」(弟テオへの手紙)
不本意なのらくら者、自分は内に秘めたものは有るんだけれどでもできない、社会の中でそうなってしまうこともある。
ゴッホは中学校中退しているが、勉強ができなかった訳ではない。
英語、ドイツ語、フランス語などを使いこなしている。
手紙も文学性も高い。
親は大学まで行かせる予定だったが、自分で中退してしまっている。
性格的な問題でおそらく学校が合わなかったと思われる。
学歴がなく無職になって、金銭的に弟の世話になる。
「人は往々にしてなんとも得体のしれぬ恐ろしい籠、実に実に恐ろしい檻の中の囚人となって何もできない手詰まり状態に置かれてしまう。
われわれを閉じ込めるものが何か、壁の中に囲い込むものが何か、埋葬してしまうらしいものは何か、人は必ずしもそれを言うことができない、が、それでも何か得体のしれない柵を格子を壁を感じ取っている。
そこで人は自問する。
ああ、こんなことが長く続くのか、いつまでも永久にこうなのか。」
檻とか籠とかをかならずしも、それを言葉に表すことができないと言っている。
私(頭木)が「自分で何を悩んでいるかわからない」と言ったら、大笑いされて「自分で何を悩んでいるか判らないということはあり得ない」と一笑されて、悩みははっきりしているもんだと受け付けられなかった。
悩みは正体不明な悩みもあることは感じる。
悩みの言語化、数値化を求められるが、言語化、数値化をしないと解決策も出てこない、それが出来ないという事は良くないとされて、なんともいえないもやもやしたものは除外されて考えられる。
言葉にできないものって、それだけでも攻撃されてしまう事がある。
ゴッホは炎の人でいつも沸騰しているから、あっちにぶつかりこっちにぶつかり籠を感じると思います。
「籠の鳥も春が来ると、自分が役立つはずの何かがあると強く感ずる。
何かやるべきことがあると強く感ずるが、それをやることはできない。
何なのか、それはどうもよく思い出せない。
そして頭を籠にぶつける、でも籠はびくともせず鳥は苦悩で頭が変になる。」(弟への手紙)
*歌「ビンセント」 アメリカのシンガーソングライターのドン・マクリーンがゴッホに捧げる曲を書いている。 歌詞はゴッホに呼び掛ける様に歌っている。
「僕はとても憂鬱な気持ちでよくあの女と子供達のことを考える。
なんとか暮らしていけたらいいのだが。
それは彼女自身の責任だと人は言えよう。
確かにそうではあろう、ただ彼女の不幸は彼女の責任を越えて大きくなるのではないかと僕は心配している。」 (1883年 ゴッホ30歳の時に弟へあてた手紙)
ゴッホは炎の人でいつも沸騰しているから、あっちにぶつかりこっちにぶつかり籠を感じると思います。
「籠の鳥も春が来ると、自分が役立つはずの何かがあると強く感ずる。
何かやるべきことがあると強く感ずるが、それをやることはできない。
何なのか、それはどうもよく思い出せない。
そして頭を籠にぶつける、でも籠はびくともせず鳥は苦悩で頭が変になる。」(弟への手紙)
*歌「ビンセント」 アメリカのシンガーソングライターのドン・マクリーンがゴッホに捧げる曲を書いている。 歌詞はゴッホに呼び掛ける様に歌っている。
「僕はとても憂鬱な気持ちでよくあの女と子供達のことを考える。
なんとか暮らしていけたらいいのだが。
それは彼女自身の責任だと人は言えよう。
確かにそうではあろう、ただ彼女の不幸は彼女の責任を越えて大きくなるのではないかと僕は心配している。」 (1883年 ゴッホ30歳の時に弟へあてた手紙)
あの女=ゴッホが真剣に結婚しようと考えた女性。
ゴッホは彼女を娼婦と書いていて、子供がいてしかも妊娠中だった。
彼女に会ってゴッホは放っておけなくなった。
周囲から結婚を反対されて、彼女に問題があることは知っていたが、でもゴッホは「彼女の不幸は彼女の責任を越えて大きくなるのではないかと僕は心配している。」と言っているのが素晴らしいと思う。
不摂生で病気になったとしても、自業自得だと言う人もいるが、仮に100%不摂生で病気になったとしても、自業自得だったとしても、病気の苦しみは大き過ぎると思う。
ゴッホはそれを感じている。
周囲が強烈に引き裂こうとするので別れることになるが、ゴッホは彼女が出産して落ち着くまで見届けています。 安産にならなくて手術になって大変だったので、ゴッホがいなかったらどうなっていたのか判らない。
「僕の判断する限りでは世間には僕の様に何事も思うようにいかず、働き通した末何処に助け様も無い状態に追い込まれる人々が他にもいるのだ。」 (ゴーギャンへの手紙)
見えている人たちはなんとかやっている人達で、収入はあるし動けてるし、ものは持てるが、そういうことができない人達は出歩かないので目に見えない。
そういうのをゴッホは感じ取っている。
「絵で生計をたてられるようになったら、どんなに幸せかと思う。
あんなにたくさん油絵を描いて、一枚も売れないとなると実に情けない。」 (ゴッホ)
10年間に2000点を描いているが、弟が画商をやっているが売れない、苦しい。
どうしようもない所に追い込まれている人がいる、そういう所に目を向けようとしているところがいいなあと思います。
ついにゴッホは自殺してしまうが、最近は自殺ではなかったかもしれないという説が出てきている。
2011年に他殺説を発表した。
「ファン・ゴッホの生涯」という分厚い本。(ピューリッツァー賞受賞コンビによる奇跡的ゴッホ伝。)
この中で他殺説が紹介されている。
自殺に関しては不可解なことが色々あった。
ピストル自殺で自分で撃ったということだが、自分で撃った割には角度がおかしい。
絵を描きに出かけていたが、画材などが全部消えている。 謎の自殺だった。
他殺説がかなり有力な説として出てきている。
この本によると、当時ゴッホをいじめていた村の16歳の少年がいた。
そのうちの一人はピストルを持っていて、ゴッホをからかっているうちに銃が暴発して、ゴッホに当たってしまったのではないかというのが新しい説です。
ゴッホは家に戻って「治療してくれ」と言っているが、それも納得する。
でもゴッホは「自分で自分を傷つけた」とはっきり言っている。
だから自殺だと言われている。
ゴッホの人柄を考えると、少年には未来があるので少年をかばって、自分が撃ったことにしたということにすれば納得がいく訳です。
調べに来た警官に「だれも責めないでください、自分を殺したかったのは僕なんです」と言っている。
自殺と考えるとちょっと変で、誰かをかばったとしたら言葉として自然です。
もしそうだとすると自分をいじめた少年までかばって、人の為にかばいながら死んだゴッホらしいと思います。
「絵を描くのは悲しみに傷ついた心に慰めを与える芸術を作ることです。」(ゴーギャンへの手紙)
悲しみに傷ついた心に慰めを与える芸術、これこそゴッホが生涯を通じて目指していたことではないかと思う。
「芸術の中には何と多くの美しいものがあることか、人が見たものを記憶にとどめておくことができる限り、決してむなしいとか本当に孤独だとか言うことはない。
決して独りぼっちにはならない。」 (弟への手紙)
独りぼっちで、虚しくて、孤独な人がいて、でも芸術を見れば不幸が慰められるという事を言っている。 そのための芸術を作るという事が自分にとっては絵を描くことだと、それがゴッホが目指したことだと思うし、ゴッホの魅力はそういうところにあると思います。
ヴェートーベンもゴッホも同じ様な境地にたどり着いているが、コースが逆で、芸術から入った人、人を助けたいという気持ちから入った人、両者が芸術は悲しみに傷ついた心を慰める事が出来るんだという境地に、別ルートからたどり着く、そこが面白い。