2018年6月30日土曜日

山極壽一(京都大学総長)         ・ゴリラに学ぶ"人間らしさ"

山極壽一(京都大学総長)         ・ゴリラに学ぶ"人間らしさ"
昭和27年東京生まれ、66歳、京都大学、大学院で京大が世界をリードしてきた霊長類を学びました。
研究者として主にゴリラをアフリカなど野外で研究され、進化の過程で700万年前人間の祖先と別れたゴリラを通して、生活や社会の由来を探求してこられました。
4年前に京大総長に選らばれた際には山極さんを慕う多くの研究者が山極さんに研究の第一戦を離れられると、霊長類学が停滞してしまうと、総長就任には反対の声が上がりました。
それほど日本の霊長類学にとっては余人には代えがたい存在となっています。

ゴリラは深夜には寝ていますが、聞き耳を立てています。
ひょっとするとラジオの「深夜便」を聞いているかもしれません。(笑い)
40年位ゴリラの研究してきましたが、朝暗いうちにキャンプを出て陽が昇るころにゴリラのベッドに到着します。
眠たい顔で起きた時に挨拶に行ってゴリラと一緒に過ごします。
私一人なので人間の言葉を喋る必要はありません
日柄、ゴリラの様子を見ながらその行動をフィールドノートに書いています、これが私の調査の真髄です。
ゴリラは怖いと思っている人が多いが、いかめしい顔をしてドラミングの行動を知っているからだと思います。
ドラミングの行動は19世紀の中盤に欧米人に発見された時に、探検家を震え上がらせた行動で、それを見て探検家たちはゴリラは野蛮で凶暴、戦い好きな野獣だと表現してしまって、100年ずーっと続いて動物園でも鎖に繋がれて孤独な生活を送らされてきましたが、それは大きな誤解だった。

私の師匠の米国人女性博士ダイアン・フォッシーさん、彼女が1967年からアフリカのルワンダやウガンダにまたがるヴィルンガ火山群(4000m級の山々が連なる)に単身いって、自分がゴリラの群れの中に入って、自分がゴリラになってゴリラの観察をしてみると、ドラミングって攻撃的なものではない、色んな意味で使われる行動だと発見しました。
わたしも同様にゴリラの群れにはいっていって観察して、ゴリラは攻撃的ではないと思うようになりました。
ドラミングはジャンケンのパーの形で胸を打ちます。
ゴリラの胸は息を吸うと太鼓の様な役目をします。
パーで叩くことによって大きな音が出て、2km四方に渡って響き自分の集団ではない他の集団のゴリラにも聞こえるようになります、遠距離間のコミュニケーションです。
近くにいるゴリラにとって見ては自己主張のディスプレイなんです。
ドラミングは9つ中の動作の一つに過ぎません。
相撲の動作と同じようなものだと思っています。
まず尊居、身体を揺らして、ホウホウと口を尖らして声を出して、草を掴んでバッとして、二足でたちあがってパカパカパカとして横向きに走って当たりの木を掴んで、大地をバンと叩いて終わります、それが一連の動作になります。
二足で立って胸を打つ姿勢が美しい。
人間に当てはめた時にこれだと思いました、歌舞伎の見得なんです、おなじ構えだと思いました。

ゴリラと人間と全く見たことも会ったことも無い二つの生き物が、同じ様な姿勢を完成させたということは、社会が男に求めている期待と言うのは、よく似ているのではないかと思い当たりました。
戦うものではなくて自分に周囲の注目をひきつけて、自己主張する、それが美しくないといけない迫力がないといけない。
集団と集団同士が出会った時に、リーダーが出てきてお互いがディスプレイ合戦をする訳です。
そこでは戦わない。
オスは共にメンツを保ったままひき分けることができる。
戦ったら勝敗が付くし大けがをするのでそんなことはしたくない。
そのためにああいうディスプレイが発達した。
闘いを避け威厳を保つための姿勢なんです。
人間も実は勝敗を付けたいんじゃない、負けたくない、そういう気持ちが人間の社会でもゴリラと同じように作っているのではないかということです。
ゴリラには負けましたという姿勢、負けましたという表情も無い。(猿にはある)
日本猿の2頭の処に餌をやると強い猿が餌を奪う。
弱い方は歯を剥いて敵意が無いこと、自分の弱さを相手にひけらかす。
弱い方がひきさがることによってトラブルを解消する。(猿の重要な原理)

ゴリラは負けまいと言う姿勢がゴリラの社会を作っていて、勝とうとする姿勢ではない。
日本猿は勝とする社会、必ず勝つものがいて、負けた方は恨みを抱いたり反感を持ったりするので離れていくか、復讐されるかもしれない。
勝ち続ければ勝ち続けるほど孤独になって行く。
ゴリラ社会は勝とうとしない、負けまいとするだけ、威張る姿勢は出てこない、自己主張をしなければいけない。
良い塩梅で相手、周りが判るように自己主張をしなければいけないというのがゴリラの社会です。
仲間を失うことも無い。
我々人間はそっちの方にルーツを持っている。
ゴリラ、猿も笑います。
ゴリラは笑い声を立てます。(腹を震わせて笑います)
人間は口先で笑いますが、あれはだめです。(笑い)
腹を抱えて笑うという事をしないといけない、それがゴリラから受け継いできた人間らしい笑いなんです。

人間にも元々は言葉はなかった。
長い進化の過程を言葉なしで過ごしてきた、我々人間の感情は言葉のない時代に作られたと思います。
言葉より大切なものが我々のコミュニケーションにはずーっとある訳です。
顔の表情、仕草、構えなど、私はそれをゴリラから学びました。
人間の脳は1400cc、ゴリラの脳は500cc以下、人間の脳が大きくなったのは言葉(知性)から来たと思われるが、言葉のルーツはせいぜい7万年前位からということが判ってきました。
チンパンジーの祖先と約700万年前に別れて人間は独自の進化を始めました。
先ず二足歩行だが、その頃チンパンジーとは変わらない脳を持っていた。
それが500万年間続くわけで、その間脳は大きくならず、200万年前にようやく600ccを越えて、150万年掛けて今の脳の大きさになりました。
人間の脳が大きくなったのは言葉をしゃべりはじめたからではないんです。
脳が大きくなった結果として言葉を喋るようになったということです。

脳を大きくした理由とは。
イギリスのロビン・ダンバーという人類学者、面白いことを発見した。
どういう行動、特長が脳を大きくすることに役立っているのか、食べるものなどいろいろ調べてみたが関係なかった、結果は集団の大きさだった。
脳の中の新皮質といわれる部分が大きくなると脳全体が大きくなる。
新皮質が脳に占める割合が高いほど集団の平均サイズが大きい事が判った。
人間も言葉を喋っていない時代(200万年前から40万年前にかけて)集団が徐々に大きくなっていって、脳が増大したということが推測できるようになりました。
猿は集団の中でだれが強く、誰が弱いか常に頭に入れておかないと適当な振る舞いはできない。
仲間の数が増えると複雑になり記憶する量が増える、それが脳を大きくする原因だったと思われる。(ダンバー説)
ダンバーは人間の脳の大きさを推定して、脳に匹敵する当時の人間の集団の平均値を求めた。
脳が大きくなっていない時代の脳、350万年前では500cc以下、ゴリラの集団サイズに匹敵する、10~20人位。
600ccを越えた頃の集団は30人位。
1400ccではどの位の集団で生きるのに適しているか計算してみると150人位。

1万5000年前に我々は農耕牧畜を始めました。
それまでは狩猟採集、自然の恵みだけで過ごしてきた。
現在でもそういった生活は生きていて移動生活をしているが、150人ぐらいの集団になっている。
人間の脳の大きさはずーっと狩猟採集生活に適するような形として作られてきて、40万年前には完成されてしまっていて、それから劇的にコミュニケーションの様式がかわったとしても脳は大きくなっていないということかもしれません。
脳の大きさが決まってしまってきているということは非常に重要で、人間が信頼できる人々の数はせいぜい150人ぐらいということかも知れないということです。
我々はインターネット、スマホなどで膨大な数の人とやりとりしているが、そのなかで本当に信頼できる人達はどのくらいなのか、何千人、何万人に到っているのだろうか。
顔の浮かぶ人、何か体験として身体に埋め込まれた人達、自分が困った時になにも疑わずに相談できる人は150人を越えない数なのではないかと思えるわけです。
言葉によって我々の心が作られているような気がするが、実はそうではなくて身体が反応するということが人間的な特徴なのではないかと思える訳です。

食物を分けあって食べる、共食という行為、人間が二足歩行した時に顕著になり始めた行動だと思います。
他の霊長類は運んで分けあって食べると言うことはしない。(人間だけがする)
人間を信用すると言う事、他の種は自分しか信用しない。
信用しているから他の人間のものも食べる、現代はシステム化して当たり前だと思っているが、当たり前ではない。
我々は信用の上に社会を築いている。
信用できる人の数はわれわれの身体では150人を越えないという事を覚えておいてください。
二足歩行によって手が自由になり、色んな副産物が生まれました。
人間は成長の遅い子供を持ちながら(類人猿から引き継いだ遺産)、肉食獣に囲まれて生き延びるために人為的に多産に、毎年子供を産むようになった。
オランウータンは7年間乳を吸って育つ、ゴリラは3~4年、チンパンジーは5年。
離乳した時には永久歯が生えて大人と同じ食べ物が食べられる。
人間は本来6年乳を吸ってもいいが、1年で離乳するようになってしまった。
そして直ぐ子供が産めるようになり多産の道をあゆんできた。
子育てに老年期の人が大いに手を貸してくれたからこそ、沢山の子供達が生き延びることができた。
今は少子高齢化社会になり人類の進化にとっては全く新しい出来事で、これからそれに向けて社会を変えていかなくてはいけない。

何故人間は高齢になるズーっと前に子供を産むのをやめてしまうのか、何故難産になってきたのか。
200万年前の脳が大きくなり初めて、予め脳の大きな子を生むのか、小さな頭の子を産んで生後脳を大きくするのか、選択せざるを得なくなった。
二足歩行をしてしまったので骨盤の形が変形してしまった。
産道を大きくさせずに小さな子を産んで急速にその脳を発達させる道を選んだ。
ゴリラの赤ちゃんの脳は人間の脳と変わらない大きさで生まれて来る。
ゴリラの赤ちゃんの脳は5年間で2倍になる。
人間の赤ちゃんの脳は1年間で2倍になります。
ゴリラの赤ちゃんはガリガリで1.6kg位です。
人間は3kg位で体脂肪率が全然ゴリラと違って、ゴリラの体脂肪率は5%以下、人間の赤ちゃんは15~25%あります。
脳を急速に育てるためです。(脳は脂肪)
離乳が早い分、体脂肪が補ってくれる。

人間の赤ちゃんが共同保育されるように生まれてくる。
ゴリラの赤ちゃんは全然泣かないで抱かれて育っていきます。
人間の赤ちゃんは本当にうるさい、お母さんが赤ちゃんを手放すから泣くわけで、自己主張、自分の機嫌の悪さをを判ってもらえないから、誰にでも判るように泣くわけです。
あやす時に赤ちゃんにかけるトーンは民族文化を越えて人類同じ性質を持っていると言われます。
あやす時にトーンが普段より高く、繰り返しが多いという特徴を持っている。
だれにも習わなくても出来る。
その声に安心して赤ちゃんはにっこりほほ笑む、これがみんなだまされる、赤ちゃんに奉仕する。
人間の赤ちゃんは周りの人を自分を育ててくれるように、ひき込む特徴を持って生れて来る、それがゴリラの赤ちゃんと違う。
人間は食べる行為を変え、子供を脂肪に包まれた頭でっかちになるような赤ちゃんを大勢作らなくてはいけなくなったゆえに、共同で保育をせざるを得なくなって、それが人間の社会を大きくした原因だと思います。
おたがいが影響し合って社会脳として脳が大きくなったと思います。
言葉ではない身体のコミュニケーションで我々は社会をもう一度作り直さないといけない、そういう身体を我々はしているという事を頭に入れて下さい、これはゴリラからの提言です。