2018年6月22日金曜日

片桐はいり(俳優)            ・映画は夢、映画館はふるさと

片桐はいり(俳優)            ・映画は夢、映画館はふるさと
東京都出身、成蹊大学在学中から劇団に所蔵して注目されました。
その後、舞台、TV、映画と個性あふれる演技で存在感を発揮しています。
NHKの番組では朝の連続TV小説の「あまちゃん」、最近のドラマでは朗読をテーマにしたこの「声をきみに」に出演しました。

「もぎりよ今夜も有難う」という本を出版。
もぎり=劇場・映画館・競技会場などの入場口や受付で、入場券の半券をもぎ取ることを指す。
著書の最初に「自からの出自を問われたら映画館の出身ですと、胸を張って答えたい」と記載。
映画が好きで映画館にいたのでこの世界に入ったみたいなところが大きいので、映画館出身の俳優だと言ってしまいます。
小さいころから映画が好きで「101匹のわんちゃん」が最初の記憶で、自分でお金を払って最初に行ったのは「ジョーズ」です。
お風呂にも入るのが怖かった。
「キングコング」が一番泣いた映画です。(自分を重ねたのかも)
映画とその日のコンディションによって見る場所を決めたいのですが、座席が指定されてしまう場合もあるので残念な思いもあります。
いつも行く近所の映画館は私の席は決まっています。
中学時代から一人で映画館に入っていました。
最近、神経質になりすぎている人がいるのではないかと思う時があります。
ペットボトルで水を飲んでも、「何飲んでるの!」と言われてしまいました。
昔の映画館はワイワイ言いながら見ていた印象があるので、映画に引き込む力がそれ位なくてどうするとちょっと思ったりします。
最近応援上映がはやってきています。(みんなで声出して応援したり、歌ったり、踊ったりする)

暗い中にいるのが得意で、一人になれるので良いなあと思います。
歩いてすぐのところに映画館があるのでしょっちゅう行っています。
もぎりもやったりします。(お金はもらっていませんが)
お客さんの案内、掃除などもしています。
観る時は2日に一遍ぐらい観ています。(舞台がある時はそうはいきませんが)
スクリーンの大きい所で見るのがいいですね。
映画館は一人でいるんだけれど、一人ではないと言うところがいいです。
大川監督と菊地健雄監督が是非協力して下さると言うことで短編を6本作って順番に半年間に渡って上映する企画があります。
タイトルも「もぎりさん」です。
改装前の映画館で撮って7月13日からキネカ大森映画館で本編の前に観られます。
18歳の頃から銀座の映画館でもぎりをしました。
映画を観たいがために観放題に観させていただきました。
映画館には渥美清さんも来て下さいました。
とらさんの映画で、もぎりの役をやりました。
お客さんが一斉に笑うのでドーンと扉が鳴りました。(劇場が呼吸していました)

大学で劇団に入って、コマーシャル映画に出ることになり、映画にも出ることになりました。
「自由な女神たち」1987年 松坂慶子さんの整形前という設定の映画でした。
その映画のもぎりもやっていましたが、その後映画に出るようになって徐々にもぎりをやらなくなってしまいました。
映画館に来たらなんか印象に残ってもらえればという思いがあり、案内とかでもやっています。
母親の介護をしていて、8時位に眠ってしまうので9時頃から映画を見に行くことをやっていました。
ほぼ10年位は介護をしてきました。
2011年の大震災が有った後、一人で家にいて電気使ったり色々することが落ち着かない時があった時に、映画館とか図書館などの場所は有難いと思いました。
自分が生きている間は映画館はあって欲しいと思います。

NHKのドラマ、朗読をテーマにした「この声をきみに」に出演。
人間って声を出すと気持ちが変わると言うか、気持ちよくなりました。
素敵な本を声を出すといいということを、落ち込んでいた人に勧めたら本当に気持ちが良くなったということでした。

太宰治が映画のことを書いているエッセー。
「もの思う葦」の中に入っている「弱者の糧」一部を朗読。
「映画を好む人には弱虫が多い。 私としても心の弱っている時にふらっと映画館に吸い込まれる。
心の猛っている時には映画なぞ見向きもしない。 時間が惜しい。
何をしても不安でならぬ時は映画館に飛び込むとホッとする。
真っ暗いのでどんなに助かるかわからない。
誰も自分に注意しない。 映画館の一隅に坐っている一刻だけは全く世間と離れている。
あんないいところはない。  私はたいていの映画には泣かされる。
必ず泣くと言っても過言ではない。  愚作だの傑作だのとそんな批判の余裕など持ったことが無い。 観衆とともにゲラゲラ笑い、観衆とともに泣くのである。
5年前船橋の映画館で、「新佐渡情話」と言う時代劇を観たが、ひどく泣いた。
あくる朝、目が覚めてその映画を思い出したら嗚咽が出た。
黒川弥太郎、酒井米子、花井蘭子などの芝居であった。
あくる朝思いだして又泣いたというのは流石にこの映画一つだけである。
どうせ批評家に言わせると大愚作なのだろうが、私は前後不覚に泣いたのである。
あれはよかった。 なんという監督(清瀬英次郎)の作品だか一切判らないが、あの作品の監督には今でもお礼を言いたい気持ちがある。 私は映画を馬鹿にしているのかもしれない。
芸術だとは思っていない、お汁粉だと思っている。 けれども人は芸術よりもお汁粉に感謝したい時もある。  そんな時は随分多い。 やはり5年前船橋に住んでいた時のことであるが、苦し紛れに市川まで何の当ても無く出かけて行って、懐中の本を売りそのお金で映画を見た。  「あにいもうと」というのをやっていた。 この時にも酷く泣いた。
おもんの泣きながらの抗議がたまらなく悲しかった。 私は大きな声をあげて泣いた。
たまらなくなって便所へ逃げて行った。 あれもよかった。
私は外国映画はあまり好まない、会話が少しも判らず、さりとてあの画面の隅にちょいちょい出没する文章をいちいち読み取ることも至難である。
私には文章をゆっくり調べて読む癖があるのでとても読み切れない、実に疲れるのである。・・・・・私が映画館に行く時はよっぽど疲れている時である。
心の弱っている時である。 破れてしまった時である。 真っ暗い所にこっそり坐って誰にも顔を見られない。  少しほっとするのである。 そんな時だからどんな映画でも骨身にしみる」