2018年3月14日水曜日

荒井良二(絵本作家)           ・【人生のみちしるべ】“日常”の旅人(H29/4/12 OA)

荒井良二(絵本作家)    ・【人生のみちしるべ】“日常”の旅人(H29/4/12 OA)
1956年山形県生まれ、61歳。
1990年に絵本作家としてデビュー、2005年児童文学のノーベル賞と言われるスウエーデンの児童少年文学賞アストリッド・リンドグレーン記念文学賞を日本人で初めて受賞しています。
山形出身の荒井さんは2011年の東日本大震災で、作家としての活動に大きな影響を受けました。
誰の為に何を書くのか自問自答の迷いの中に落ち込んでいってしまったと言います。
迷いの中からやっと生み出した絵本で描いたものとは、伺いました。

60歳になってしまいましたが、頭の中は3~5歳ぐらいじゃないですかね。
書いているときとか、そんなふうに感じることが有ります。
二人いるような感じで、冷静な大人もいます。
はみ出してもいいんだと昔に思いました。
締め切りに頑張ってきましたが、ここ5,6年ちょっと変わってきました。
2011年12月出版 『あさになったので まどをあけますよ』
2016年9月出版  『きょうはそらにまるいつき』
この2冊は対になっています。
3・11の大震災で東北の被害が有って、その年はワークショップをやりに行きました。
何回か東北に通ってワークショップをやりました。
旗を作ろうとして「フラッグシップ」という名前にしました。
それをやりながら、この本を書いていました。(『あさになったので まどをあけますよ』)

僕のやっていることって何だろうなと言うことを考えてばっかりしていました。
気持ちが今までとは違う、迷い方と言うか、それが有りました。
これを描いていいのかな、から始まり、誰の為に描いているのかとか、自問自答しながら描いていました。
描くのは早い方なんですが、これからスローになってしまいました。
描けない時は描けなくていいんだと、自分に言い聞かせた記憶が有ります。
この本は通常より何倍もかかっています。
風景を一杯描きたくて、どっかしらに日本を感じさせて、どっか日本じゃないという風景をごちゃ混ぜにして、朝からの連鎖、暗い事とか夜になると怖いと言う子供たちの声を聞いたりして朝を繋げればいいのかなあと思って、朝だけにしようと思いました。
だから淡々としています、窓を開けるだけですから。

「朝になったので窓を開けますよ。 山はやっぱりそこにいて、木はやっぱりここにいる。
だから僕はここが好き。 
朝になったので窓を開けますよ。 町はやっぱり賑やかで、皆やっぱり急いでいる。
だから私はここが好き。
朝になったので窓を開けますよ。 川はやっぱり流れていて、魚はきっと跳ねていて。
だから僕らはここが好き。
君の街は晴れているかな。  
朝になったので窓を開けますよ。 晴れているのに雨が降っている。 やっぱり僕はここが好き。
朝になったので窓を開けますよ。 今日は大好きな木の下が私の部屋。
いつも風が吹いていて。 やっぱり私はここが好き。 
朝になったので窓を開けますよ。 海はやっぱりそこにいて空はやっぱりそこにある。 だから僕はここが好き。  君の街は晴れてるかな。 
朝になったので窓を開けますよ。」

海の絵は物凄く考えました。
窓から見える風景、これが有るから、俺なんだよな、僕なんだよな、と言うのを朝に0.何秒で感じていると思う。
それを描きたかっただけです。
 
『きょうはそらにまるいつき』 こちらは夜の風景です。
『あさになったので まどをあけますよ』と対にという意識は全然ありませんでした。
随分前から夜と月をそのうち作るぞ、と思っていました。
月から何かしら力を貰っているんだろうなと昔から思っていました。
それって大事だなと思っていました。
夕暮れの公園、乳母車の中から赤ちゃんが空を見ている絵。
赤ちゃんは空を月を感じているんじゃないかなと思いました。
バレエから帰る女の子、仕事を終わった洋裁店の親子、人間だけではなくて、公園に集まった猫たち、山の中の熊の親子、海のクジラまで出てきて月を感じる。

「きょうはそらにまるいつき 赤ちゃんが空を見ています。 
きょうはそらにまるいつき  バレエの練習が終わって、女の子がバスで帰ります。
きょうはそらにまるいつき  遠い遠い山のなかです。沢山遊んだ帰り道です。
きょうはそらにまるいつき  新しい運動靴を買って男の子がバスで帰ります。
きょうはそらにまるいつき  猫たちがたくさん集まってきました。
ミシンで洋服を作るお店です。仕事が終わってカーテンを閉めるところです。
きょうはそらにまるいつき 赤ちゃんが空を見ています。 空を見て笑っています。
皆の夜にそれぞれの夜に御褒美のようなお月さま。
ギターの音が聞こえます。 同じ歌を何度も何度も練習しています。
きょうはそらにまるいつき 遠い遠い海でクジラが大きく大きく跳ねました。
きょうはそらにまるいつき ご飯が終わっておじいさんが食器を洗っています。 
おばあさんが食器やコップをかたづけます。 
きょうはそらにまるいつき  赤ちゃんが空を見ています。 
きょうはそらにまるいつき  皆が空を見ています。
きょうはそらにまるいつき  御褒美のようなお月さま。」

月がそこにあると言うことを伝えたいから出来るだけ文章を削って、「今日満月だ」「本当だ」というそれを書きたかった。
絵本を描くとき、子供達を意識して、結果的に意識しないように完成させます。 
子供に見せたいけど、フィニッシュはただ子供向けにだけはフィニッシュさせないと考えています。 
絵本を描き始めると、子供と言うキーワードにぶつかり、大人は評論している。
子供の壁にぶつかって越えることはできないと思って、どうやって乗り越えたらいいんだろうとか、子供を乗り越えることは無理なのではないかと考えたりしました。
子供に寄り添えばいいんじゃないかと考えましたが、今でも回答なんてないです。
最初描けなくて、自分が子供の頃に何が好きだったか、全部文章に書き出しました。

絵本て、名作とかを今読んでみると、良い本だなあと思うが、時代って有るんだなあと言う気がしました。
受け取り方が違ってくる。
子供用に手取り足取り全部話が有って、絵本的事件が有って最後はハッピーエンドで終わるという、いい本だねと言う物の方が今は好きなのかなあと思いました。
名作と言われるものに感情の起伏が無い絵本で、一般の人でこれっていいと思う人でどれぐらいいるのかなあと思ってしまいました。
「ゆきのひ」(エズラ=ジャック=キーツ)とかとってもいい絵本ですが、今こういう本を読み取れる力ってあんまりないんじゃないかなあと思いました。
感動の質が均一化しているみたいな気がする。
自分が感動を引き寄せる力が有るような気がするんですが。
その時代時代に合わせると言うことも大事だが合せないと言うところも大事かなあと思っています。
合せないと言うところが作家性に繋がる大事な部分かと思います。