2018年3月13日火曜日

鈴木典夫(福島大学教授)         ・震災を乗り越え強くなる“支えあう力”

鈴木典夫(福島大学教授)     ・震災を乗り越え強くなる“支えあう力”
被災地では復興住宅の整備が進み、被災した人々も以前に比べて安定してきました。
しかし、東京電力福島第一原発の事故によって、避難が長期化している福島県では、住み慣れた地域から離れ、仮設住宅での生活を余儀なくされている人が少なく有りません。
そうした中で高齢者の支援は大きな課題です。
福島大学の教授で長年地域福祉に携わってきた鈴木さん(57歳)は、支援にはボランティアの力が欠かせないと話します。
日本全国で災害が発生するたびに発達してきたボランティア文化についての話、地域コミュニティーを支えるためには何が必要なのかについて伺いました。

7年間と言うのは長いというのは有りますが、今後10,20年と言うスパンで続くのかなと思います。
生活者が日常生活を取り戻すのが復興と思っています。
災害と言うことでボランティアを意識したのは、1991年雲仙普賢岳の火砕流災害だと自分の中では思っています。
仮設住宅が出来るんだと判り、それだけ大きな被害だったと思います。
当時、社会福祉協議会の職員として京都市の方に勤務していました。
1995年に阪神淡路大震災、なまでの映像が朝流されて、尋常ではない事が起こったと思いました。
応援体制を直ぐに組まなければいけないということで、私は芦屋市を担当して避難所の運営とかのサポートをしました。
2か月間で100万人の方が応援に駆け付けてくれて、ボランティア元年と言うふうに評価されました。

あれほどのボランティアの人達のマネージメントの経験がなかったので、私たち自身もかなり混乱しました。
震災でやるべきことは対人だけではなくやるべきことはたくさんあります。(物資の仕訳等々)
なるべく人に直に接して応援したいと思う人達が多い。
中に何が入っている判らないものは後回しになってしまう。
阪神淡路大震災の時のような小口物資(タオル、ハブラシ、石鹸、鉛筆などが少量入っている)の混乱は、その後は緩和されていると思います。
その後をみていると、支援物資の心得も変わってきていると思います。
中身に何が入っているか明記されていたり、同一物資は纏めて段ボールに入れてあったりするようになりました。

今は必要なボランティアが整理されてきた面があります。
多様なボランティアが必要だというふうに気付かされている。
仕分けだけを取って見ても、中越地震の時には福島大学の学生と共に山古志村の支援物資(体育館4個分)をひたすら仕分けをしていました。
おむつ一つでも詳細に仕分けをしました。
人に直に接したいと言う思いはあるが、ひたすら仕分をするなかでも人と接する時間は取れるので、それが続いてゆくと仕分けをしながら子供とか高齢者との話をする時間などが取れるようになってきて、信頼と言うものを厚くしていったと思います。
避難所は一つの避難の生活のスタイルになるが、自分たちも何かやろうと言うふうに高まってきたのではないかと思います。
中越地震の時には地元の中学、高校の学生が一緒に入ってくれるとか有りました。
映像で見ましたが、熊本の避難所の中で中学生が作業をしたり、子供達と遊んだりしていて、その姿を見て、災害が起きた時のボランティアの姿は外からの人達だけではなく、うちうちから若い人たちまで浸透していると思ったら、災害時のボランティアは少しづついい方向に定着が進んでいると思いました。

阪神淡路大震災の時は仮設住宅がコミュニティー単位ではなかったので、住む人がなかなか人間関係が作りにくいということもあり、孤立死と言うようなこともありました。
孤立が問題として解消していなくて、現在も続いていてそういうことは見逃してはならない。
30~50人が孤立死をしている。
10,20年のスパンで考えなくてはいけない震災と感じたときに、20年たてば故郷に戻れると言うところでの新しい故郷でのコミュニティー作りの中で孤立が起こる可能性もある。
中越地震では地域ごとに仮設住宅に入った。
東日本大震災でも自治体ごとでもって、その地域の人たちで生活できるように配慮がなされたが、お隣さんがお隣ではなくてコミュニティー単位と言えないと思う。
原発事故の影響で、浜通りの人たちが仮設住宅に暮らす時に、色々な地域分散していって、一旦ばらばらになった状態の時にお隣さん同士ということは非常に困難だった。
コミュニティー単位でという考え方が進んではきたが、それぞれ分散避難する中で東日本大震災ではかなわなかった。
原発事故の影響は大きかった。
7年経過して、仮設住宅からの住み替えが終盤に入った。
復興公営住宅への住み替え、故郷に帰る人も少数だがかなえられるようになってきた。
仮設住宅でのケア、復興公営住宅でのケア、戻れた人たちへのケア、新たな第3地域での生活者に対するケアも必要です。
多様な住まい方のケアが福島での現状だと思います。

福島大学の学生の災害ボランティアセンター(鈴木氏が顧問)、いまでも仮設住宅に住み込んでいる人たちがいます。
2か所の仮設住宅に2人づつ、4人が5ヶ月間暮らして、又別の人が暮らすと言うふうに継続的に住みこみをやってきました。
学生としての日常生活をしながら、「いる」という効果、普段子供からお年寄りまでいる中が一つの共同体というようなところがあるが、仮設住宅は若い人がいない共同体なのでいるだけでも世代間の渡りを付けられる、若い人の声が聞こえる。
コミュニティーの空気が変えられる
始めた時が震災後4年後だったが、すでに25%が空き屋に成っていて寂しさが生まれていた。
時間の過ごし方が画一化してきて、生活のメリハリが出てこなくなり引きこもり、人との会話が無くなってしまう。
学生たちが入ると会話が生まれ始めて、良い方向に動き出す。
双方による気遣いが心のケアに繋がって行く。

住む人がすくなくなってきて、仮設住宅の看取りをして行く。
仮設住宅にいても楽しいこともあったよね、こういうことを住んでいる人たちに残してあげることも大切なことだと思っています。
それが次の住み替えに必ずつながっていくと思います。
発生直後は学生の気持ちは使命感だったと思いますが、使命感型から7年経って今は関心型に成って来ているとは思います。
関心を満たすと離れて行く人も中にはいます。
孤立死、関連死、自死と言う様な事を起こしてはならないという気持ちを継いでいっています。
死を考えると言うことを問いかけている部分が、福島大学の場合は世代が交代しても大切にしていきたい、そういう人材が有るから継いでいるというふうに思います。
震災に限らず少子高齢者社会の中での関係性をどう維持してゆくのか、共通性もありそういったことに反映させることも可能だと思います。
継続してやって行く、連続してやってゆくことが大事だと思います。
長い時間軸を見て孤立死を起こさないという考え方はずーっと持ち続けていきたい。