2018年3月20日火曜日

角田太作(国立国語研究所名誉教授)    ・よみがえったワロゴ語

角田太作(国立国語研究所名誉教授)    ・よみがえったワロゴ語
1946年昭和21年群馬県生まれ。
東京大学で言語学を学び、オーストラリアの言語を研究する為に、モナシュ大学の大学院に留学、そして間もなく角田さんはオーストラリアの東北部で話されていたワロゴ語の最後の話し手、アルフ・パーマー (Alf Palmer) さんと出会います。
ワロゴ語を記録するほか、文化、歴史、風習等多岐にわたって調査を行いました。
角田さんは日本に帰ってからも、ワロゴ語の研究を続けていました。
帰国から20年後、オーストラリアから、ワロゴ語の復活をして欲しいとの要請が届き、2002年角田さんは夫婦でオーストラリアに渡って、ワロゴ語の教室を開き、ワロゴ語の復活の道を開きました。

陸上競技をやっていて、オーストラリアに行ってみようと思った。
口実としてはオーストラリアの言語の研究をしますと言うことだった。
奨学金を貰って1971年3月にオーストラリアに入りました。
アルフ・パーマー さんがワロゴと云う言語を知っていて、ワロゴ語を研究することになりました。
アルフ・パーマー さんは1972年の時に90歳だったと思います。
非常に元気でした。
若いころはカウボーイ、舟を作ったりしていたそうです。
言語をよく知っていたし、物語を延々と語ってくれたりしていました。
当時、私はモナシュ大学の修士課程の学生だったので修士論文を書くためのデータを得なければいけなくて、アルフ・パーマー さんの言葉を教えて下さいと言いました。
一生懸命教えてくれて、ワロゴ語は私が死んだら言葉も死んでしまう、私が知っている事は全部教えるからきちんと書いてくれと云いました。
言葉がいかに重要かと云うことを教えてもらいました。

アルフ・パーマー さんは研究者はなにをすべきかを教えてくれた。
おまえは私の言葉を調べて立身出世だけでいいのか、大事な仕事があるんじゃないのか、と云うことを教えてくれたと思います。
研究者は自分の利益、興味だけで研究していればいいのか、もっとほかにやることがあるのではないのか、研究者の役割、研究者の倫理とはなんだ、と云う様な事を教えてくれたと思います。
アルフ・パーマー さんは偉大な先生です。
私は余り英語は喋れなかったので、苦労しました。
言語調査するときに一人しかいないということは本当に難しいです。
一番中心的に調べたのは言語ですが、歴史、文化、昔の物語など、想像上の大きなウナギの話、なども記録しました。
名前の付け方、国によって違うが、神話の登場人物から名前をとったりした人もいました。
魚の取り方ではツタを揉んで水の中に入れると魚の神経をマヒさせる物質が有って、魚が浮き上がってくる、と云う様な事も伺いました。

言葉が無くなると文化まで消えてしまう。
ワロゴ語は文の作り方が世界でも非常に珍しい現象です。
あなた方の言語は宝石ですと言ったら物凄く喜びました。
短文、複文があるが「花子が本を読んだ」は短文、「花子は本を買って読んだ」は複文。
この地域の文の作り方は物凄く変わっているんです。
「花子が太郎を見て家に帰った」では帰ったのは花子だが(ほとんどの言語の場合)、この言語では帰ったのは太郎なんです。
教える時に、まず単語の発音から教えました。
次に短文を教え、簡単な会話も教えました。
その後に複文を教えました。
その後、練習問題を出したら全部正解でした。
あなたのお子さんたちの頭の中には宝石が入っているんですよと、そのことを親に話したら、涙ぐんで喜びました。(当時の事を思い出して涙し、ちょっと間があく)

47,8年前ですが、当時大きなテープレコーダーを持って行って録音しました。
まず最初に単語を聞いてレコーディングしました。
次に短文、次に物語を語ってもらったりしました。
録音は簡単だが、持ち帰って聞きながら文字化して行くが、知らない単語も出てくるし、知らない構文も出てくるし、新たに確認したりして、30分のテープを文字化するのに10時間ぐらいかかりました。
チェックも繰り返して行ったりして、6時間40分の録音したものは3カ月ぐらいかかり、非常につらかったが、文字化して良かったと思います。
学問的に見ても非常に貴重なものだと思います。
歴史的、文化的に見ても非常に貴重なものだと思います。
本は約800ページに成ります。
第一章ではこの地域の簡単な歴史、神話、文化的背景、地名を紹介。
第二章は音に関すること、母音、子音、音節など。
第三章は単語の作り方。
第四章は単文、疑問文、命令文、複文など。
第五章は付録として文化的、歴史的に面白い物語、部族間の喧嘩など。

この本はドイツで発行されました。
オーストラリアには8年間いました。
その後日本に帰って来て、大学で教べんをとりました。
オーストラリアから祖先の言葉を学びたいという知らせが来て、2000年に現地に行って2002年からレッスンを始めました。
日常生活は英語なのでワロゴ語とは全然違います。
角田三枝先生(妻)は同分野の研究者で修士号と博士号を持っていて、私が現地に行くときに一緒に来てくれて、レッスンの事など助言してくれました。
スケッチブックに絵を妻が書いてくれて、教材として使い子供たちは非常に喜びました。
単語1500の英語の辞書も作りましたが、写真、絵などがあると良いと思います。
なかなか現地にいけないが、私が教えたワロゴ語の正しい文を作った人が出て来ました。
(アルフ・パーマー さんの孫)
アルフ・パーマー さんの息子にノリス・パーマーさん(もう亡くなってしまっている)がいたが、その人のワロゴ語の名前を付けると言うことを或る子が自分から言い出した事もありました。
日本の高校の英語の教科書に、私がワロゴ語をアルフ・パーマー さんから学んだこととかを紹介していて、現地に行ってレッスンしたことなど、何故言語が大事なのかなどが書かれています。
世界各地で祖先の言葉を学ぼうという運動が起こっており、日本でもアイヌ語、琉球語などを学ぼうと云うことが起こっていて、言葉は祖先と自分たちを結びつける道具である、アイデンティティーの一部、伝統的な知識を伝える道具であるという事だと思います。
日本の文化でも英語に訳しても伝わらないことがいろいろあると思う。