井上和彦(声優) ・【時代を創った声】
アニメサイボーグ 009の主役島村ジョー役や、キャンディーキャンディーのアンソニー役などで知られていますが、最初はプロボウラーを目指していたそうで、何故声優に成ったのか、どんな苦労が有ったのかなどについて伺います。
アニメサイボーグ 009 TVアニメとしては2作目 1979年からの放送。
24,5歳の頃でした。
石ノ森 章太郎原作。
「UFOロボ グレンダイザー」と云うアニメーションが有りその主人公をやらせてもらって、その終わりごろアニメサイボーグ 009をやる事に成っていて、急遽呼ばれて行ってオーディションを受けました。
セリフの時はよくなかったが、監督から「名前は」と聞かれて、「井上和彦です」と答えたら、島村ジョーはその声だよと言われて、受かってしまいました。
アニメサイボーグ 009は忘れることのできない作品でした。
テストの時にアドリブで「加速装置」と思わず言ってから、台本に加速装置と書かれるようになりました。
心の声と言ったものをつい言ってしまいますが、ふざけるなと言われてしまいます。
高校時代ボウリングがはやっていて、プロを目指してやってみたいと思ってました。
ボウリング場に行って、就職し、40ゲーム位やっていました。
アベレージが180位でないとプロに成れない状況でした。(一応そのレベルには行きました)
どうってことのないことでしたが、対人関係がうまくいかず退職しました。(半年)
2カ月ぐらき引きこもってしまいましたが、友人が声優の学校に行くので一緒に来てほしいということで、結局一緒に試験を受けることになり、受かることができました。
(友達は落ちてしまった)
1年間 週5日いって、1年の後半の1日は先生が永井一郎さんでした。
卒業するときにプロダクションに入れてもらいました。
仕事をぽつぽつ頂くようになって、芝居ができないとだめだと言われて、見学をさせてもらったりしました。
効果音を表舞台でやることになり、それが初舞台となりました。
神谷明さんがやっている芝居に代役をやったり、段々舞台に出るようになりました。
アルバイトも掛け持ちをして並行してやっていました。
「キャンディ・キャンディ」をやっていたときもアルバイトをやっていました。
「マジンガーZ」(1973年)の兵士役では、たまたま見学に行ったら、せっかくだからやらしてもらいなよと言われて、それがデビューと言うことになりました。
「UFOロボ グレンダイザー」では来なくていいよと言われたが、河原で3時間ぐらい毎日練習して、頑張りました。(3,4カ月)
翌年からレギュラーで使ってもらいました。
「一休さん」、「キャンディ・キャンディ」(丘の上の王子様 / アンソニー役)へと繋がっていきます。
「美味しんぼ」(1988年)の主人公・山岡士郎役でやっと少しわかりかけて来ました。
二日酔い出てくる場面が多く、二日酔いの声を出す時のONとOFFの切り替え、力を抜かなければいけないと云う役作りをしたのがあの役が初めてでした。
力を抜いた状態でぼそっと喋ると言うことは今まで無かった。
永井一郎さん、僕にとってもお父さんみたいな存在ですが、事務所をうつるときに裏切る形になり暫く口を聞いていただけない時期が有りました。(5~6年)
会うたびに「おはようごじます」と挨拶していましたがそっけない感じでしたが、いつか見てろと思っていました。
「コクーン」と言う作品で、一生懸命やって、終わった時にスタジオの所に永井さんがいて、「おつかれさまでした」といったら、「よかったぞ」といってさっと帰っていきました。
初めて認めてもらったと、暫くぼろぼろ涙を流しました。
晩年は永井さんの家に遊びに行かせてもらって、一緒に飲んで明け方の3時ぐらいまで永井さんの家で飲ませてもらって、色んな話をしました。
事あるごとに応援していただきました。
永井さんは、細かいことは自分で気づいて自分なりの芝居を見付けなさいみたいな、クリスマスツリーの一番上で輝いている存在です。
20年以上教えているが、それぞれが一生懸命なんですけれど、一生懸命がちょっと違うような気がします。
人と比べないで、自分なりの一生懸命さが出来ればいいんじゃないかと思います。
最近の若い人は出るのも大変ですが、自分でやりたいと思ったら夢に向かってどれだけ一生懸命にできるか、出来るだけ頑張ればいいと思う。
努力するという体質を持っていれば、どんな仕事に就いたところで努力する人に成っているので、例え声優で芽が出なかったとしても他に仕事に就いたときに、何かしら自分に向いている仕事に絶対に付けると思います。
努力体質の人になったらいいと思います。
私は生涯現役でやりたいと思います。