2018年3月9日金曜日

今野 聡(ひばりFMメンバー)      ・南相馬 ひばりFMの7年

ひばりFMメンバー    ・南相馬 ひばりFMの7年
東日本大震災からまる7年になります。
南相馬市では一刻も早く水道、電気等、生活情報を市民に伝えようと、震災の翌月の4月に臨時災害FM局を立ち上げました。
最初これに関わったのは一般市民の人達で、避難生活が落ちついて来ますと、ひばりFMという愛称も付き、市民のラジオとして親しまれてきました。
この3月、初期の目的は終えたとして放送を終了することになりました。
南相馬 ひばりFMの中心のメンバーで今野 聡さん、この放送に携わった皆さんに伺います。

市役所の一角で放送を始めてまる7年に成る。
朝9時生放送を始めて朝昼晩とっています。
朝は「おはよう南相馬」 昼は「こんにちわ南相馬」 夜は「お晩です南相馬」
生放送でやっています。
9名のスタッフで、20代から60代、男性女性がおりまして、ほとんどのメンバーがながくやっています。
私は農業研修を受けてこれから農業でやっていけるかなあと思った処で、東日本大震災がきました。
パイプハウスを作る作業を一人でやっていたときに地震が来ました。
避難生活を始めることになりました。
機材操作の募集が有り、いじれるのではないかと思いました。
最初に面接に行ったときに機材操作の人はいるので取材をやって欲しいと言われ、取材スタッフとして入ることになりました。
やっているうちに、自分からも出演することになりました。

ここは7万人だったが、2万人位になってしまっていて、20km圏内は立ち入れないので、この町はどうなっていくんだろうと思って、町で起きていることを取材すると云う事は初めての体験だったし、やり甲斐がありました。
東京の日本国際ボランティアセンターの人(元新聞記者)が支援活動の中で来ていただきました。
2011年の7月にひばりFMに入ってラジオだけではなくて、ツイッターでも発信できればいいと思ってツイッターを始めました。
「相馬野馬追」のお祭りを7月下旬にやっていて、それを芥川賞作家の柳美里さんが見に来て居て、話をする機会があり、南相馬の人と話ができる番組をレギュラーで持ちたいと云うことで、二人と話す「ふたりとひとり」と言う番組が始まりました。
今では290回を越えるようになりました。
2015年4月には御家族で引っ越してこられました。
その後柳美里さんは小高区に引っ越しをされて本屋さんをやっています。
*柳 美里(作家)「福島・南相馬に生きる 」 2017年3月10日放送
http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2017/03/blog-post_10.htmlを参照ください。

番組では色んな人にインタビューします。
被災の体験、今後のことについて、などさまざまです。
2012年6月から南相馬ひばりFMという愛称になりました。
30ぐらい臨時FMが立ちあがり、愛称を付けた方がいいのではないかと言うことで、公募した中から選んだのがひばりFMでした。
「相馬野馬追」祭りのメイン会場が雲雀ケ原という名称の原っぱで、この名称になりました。
*現在の放送の状況を一部放送する。
市民の方の反応はリクエスト曲、街で有ったことなどが来ています。
閉局すると云うことで感想を聞きたいと言うことで情報を取ったのですが、知らないことを一杯知ることが出来たとか、インターネットでも放送していたので南相馬市の状態はどうなのと言うような風評の中で、毎日やっていると言うしっかり伝えられる媒体であっとして大きな功績だったというような意見をいただきました。

ひばりFMを介して相馬市、自分に向き合う貴重な体験だったと思います。
色んな地元の方支援者(国内、海外)が会場に来ていただいたので、それも貴重な体験でした。
放射能に関して医師が解説する番組が有って力を入れてやった感じはあります。
坪倉正治医師が内部被ばくの検査を担当していて、毎週何日か通って診療されていました。
市内で講演もしていて、10分程度のシリーズものにすればいいと思って、放射線に対する疑問、質問に答えていくような形にしました。
80本位取りまして、その番組を聞いて安心したとか、南相馬に帰ろうと思ったとか、そういうところのお手伝いができたと思っています。

あらいずみ?さん:パーソナリティーとして参加。
2カ月で避難先から帰って来て震災等の助けになる様な事をやりたいと思うようなことがあり、手伝ってくれる人を募集しているからということを父から聞き来てみました。
最初何も分からなかったんですが、着て直ぐ坐って話をしてくれと言われて「えっ」と思ったのですが、何とかやり始めました。
マイクを通して自分の考えを言わなければいけないわけで、メールが来たりするようになって聞いてくれる人がいると言う反応が有った時に、やっている意味があるのかなと感じました。
自然災害の危険はなくなったわけではないので地元でも生かせる情報を発信できたらなと思ってやってきました。
この町で当たり前の生活ができたらいいなと思います。

佐藤孝一さん:パーソナリティー兼番組制作。
東京都葛飾区の出身です。
ボランティアで南相馬市に来たことがきっかけで、移住しました。
ゲストハウスを開業して鹿島区で運営していましたが、ひばりFMの「移住者のゆるゆる行くよ」と言う番組に出演することがきっかけで働くようになりました。
もっと南相馬市の事を知って発信したいと思ったので、少しずつ出来てきたのかなあと思って出演、業務をして良い経験をして感謝の気持ちでいっぱいです。

吉野よう子さん:パーソナリティーとして参加。
短くて長かった、長くて短かったような感じで皆さんに助けられてここまで来ました。
病院関係、買い物が出来るところとか、生で3回ずつ放送していて、思い出がある番組です。

私は7年間スタッフを務めてきて4月以降は何も決めていなくて、復興はまだまだだと思っていて、地域の復興にかわかるような、なにかをしていきたいと思っています。
経済的な関係で、コミュニティーFMを設立と言うふうにはいきませんでした。
3月25日が最後の放送なのでそれまで力を注いで行きたいと思います。