1944年生まれ 日本経済新聞社に就職 33年間務めて新聞社を辞めて、祖父、父が経営していた丹波新聞社の社長を継ぐ
丹波新聞社は京都府と兵庫県にまたがる昔の丹波の国の兵庫県側の狭い範囲の地方紙です
府県単位の地方新聞社は多くありますが、丹波新聞の様に限られた地域で戦前より80年以上続く新聞は全国でも珍しいそうです
小田さんは帰郷して3年、5階建ての新社屋を建設、展示場、ホール、教室なども備え、丹波新聞は地域の文化の拠点でもあり、郷土出身者の拠り所にも成っています
丹波市、篠山市にまたがった領域 1万3000部 販売 1924年に「丹陽新聞」の名で政党地方支部の機関紙として創刊したが、3年で駄目になり、 祖父が買収して 立ち上げた
日曜日と木曜日で月に8回から9回発刊 3代目が私で4代目が社員はえぬきの人が成っている
長く続いた新聞の背景→祖父から丹波新聞は大事なので継ぐようにと可なり言われた
祖父が喜んでくれた
祖父は全国から新聞を取り寄せて、購読していてそれを読むようにしていた
1966年日本経済新聞 入社 96年退社 社会部 地方部が多かった
ローカルの経験が良い勉強になった
丹波新聞を読みなおした 平成8年9月から丹波新聞のかつての記事を連載で載せるようになった(昭和9年の9月の記事から)
母子家庭に対し援助が村で有り、それに対する令状記事(わらじ10足をお礼に収め子供が大きくなったら返却します)
エストニア 国と小学校と文通していてその辺の記事
昭和11年 アメリカからの少女からの返信 自然の美しさをたたえてくれた手紙(民間の友好)
子供が投稿する文芸欄がある
「40ぐらいの朝鮮人の労働者が大きなこおりを持って押されながらやってきた
その前には40ぐらいの紳士風の男の人がいた
行李はどうした為か、急に電車が動いたためか、紳士風の人の背中に突き当たった 紳士風の人の顔は真っ赤になっていた
このぼんくらめ 朝鮮人 終わりの一言 何とひどい言葉だろう 私は吃驚した・・・
他国に日本人も行けばあんなに侮辱されるのだろうかと思った」
これは高等小学校の女子学生の作文であるが 電車の中の情景と思われるが 同情したと描かれているが当時としては今とは全然違う人権が尊重されていない
時代ですけれども、こういう感覚と言うのは非常に感動しましたね
掲載したものには全部名前を記載してあり、欲しい人がいれば全文コピーを差し上げますと、記事を出したら 下さいとの反響が多く寄せられた
当時の皇太子の誕生日、誕生時間に一番近い人には、記念品を差し上げますとの、企画をしたら 多くの応募があった
一番近かったのは1分違いで 12月23日午前6時39分に当時の皇太子はお生まれになった様で 1分違いの40分に生まれた方がいた
昭和15年ぐらになると戦死者の一覧で覆われるようになり気持ちが暗くなった
16年10月で言論統制の為に休刊になる
最後は神戸新聞一社になる 軍部に多少協力していた為に小さな会社としては残ったのかもしれないが休刊を余儀なくされる
最近のトピックスは→基本方針 地域活性化 人口も減る 産業も無くなってきている
公立病院の医師不足の問題 貝原病院 多い時で40人ぐらいの医師が居たが、18人に減ってきてしまった
小児科 1人 2人になってしまい その医師もやめるかも知れないとの話もある
一所懸命やっている実体を知らせなければならない
感謝の気持ちを表わそうと(やってもらって当たり前みたいな姿勢は止めよう) 深夜で有れちょっとでも熱があれば病院に飛びこむが、そう言った利用の仕方は止めようと、掛り付けの病院を確保していきなり大きな病院には行かないような利用方法を考えようと ちょっとしたことは家庭内で対処できるように、マニュアル本を用意して、自力で対応で来るようにしようと そう言った記事を掲載したところ 市民が非常に反響を呼んで 広がってゆき 医師の方も市民はこの様に理解してくれているのだと思うように成って 18人だった医師も30人ぐらいまでに増えてきている
当時の桝添厚生大臣も来てくれて 当時のマスコミにも取り上げて貰って丹波新聞も名が全国に広がりました
知事、市長もけむたがれる記事も出したりしているが動いてくれたりしてくれている
「ありがとう」 の言葉の浸透運動
4月に宮城、福島(地方支局長を務めた時代に居た)行って来た 渡町 中学校が全壊
フルマラソンに出る 鉄人 トライアスロン 39歳の時に出る 水泳が2.9km 自転車が105km マラソンが40km 鳥取県の米子 朝の8時スタート 250人 180人完走
15時間ビリから3番目 高石智也7位に入っている
現在足を痛めてしまいウオーキングから再開している
地域が元気になってほしい 山と田んぼなのでこれを生かして 欲しい
肉の小売りをやっていたが、川上の牧場経営までやる様になった人がいる
300頭 ぐらいになっている グランプリ獲得
丹波カルチャーセンターをやっている 俳句の有名な人を沢山輩出している 細見 綾子 片山桃史 西山泊雲 西山小鼓子 野村泊月 田捨女
毎年5月に句会を開催 撰者 宇多 喜代子 坪内 稔典