2012年3月5日月曜日

澤田晋 (ヘリテージマネージャー)      ・震災地神戸に学ぶ街作り

澤田晋 (ヘリテージマネージャー)             震災地神戸に学ぶ街作り  
復興事業が進む中 忘れてはならないのが、かつてはその街に有った歴史や文化財の扱いだと兵庫ヘリテージマネージャの澤田さんは言います
阪神淡路大震災の時に生活第一に復興を進めた神戸では場所によっては古里の場所の姿が消えて、どこか見知らぬ街になってしまい戸惑いを感じた人達がいました  
その経験から自分達の歴史や文化遺産を引き継いでゆくヘリテージマネージャー制度を作ったのです
阪神大震災の1年後の状況は今ではあまり記憶がない    
東日本大震災の状況とでは感覚が違うような気がする
神戸は少しずつ景色が変わってきていたが東北は殆ど変わっていないので精神的に大変だと思う
人とのつながりを含めて復興していってほしい 
元の処に街を復興していいのかどうかを含めて検討しなくてはいけないので神戸復興とは全然違う
神戸において文化財の復旧に技術者が圧倒的に足りなかった
大学で建築を学んできた人達は伝統的な工法などは学んでいないんで、古い建物を修復する人達が非常に少なかった
震災後登録文化財制度が出来た (所有者が残したい意志があれば文化財になる制度 )

登録文化財を修復する人、維持する人も少ないと いずれにしろ人の少なさを感じた
震災から4年目にヘリテージマネージャーを作りたいとの申請があった 
(ヘリテージ=歴史文化遺産 祭り等のソフト的なものをも含めて)
古い建物をなくしてしまって、街の状況が一変したと言う事を見てきた建築士が一杯いた
古いものを如何して残してゆくか それが本当の意味での社会の在り方ではないかと思う 
震災を経験した人達が一杯いた
特に芦屋(高級住宅街)がそうだった  軒並みやられたが復興が早く 
だけどハウジングメーカーの住宅がぱっぱと建ってしまい、芦屋らしさをなくしてしまった
それに対して異議申し立てする様な状況ではなかった (2~3年後は) 
4年経ってくるとこのままでいいのかなという思いが出てくる

東北大震災の場合はそこまでの思いはとても無いような感じだが、一旦落ちつくような状況を作って それからもう一遍街作りを考える
ハードで取っ掛かりが無ければソフトで対応する方法もある  
伝統的なものが何故魅力的なのかと言えば、ハンドメードという大量生産とは違った味わいのあるものがあるのですけれども、味わいのある物の背後に有る人の心に触れる事ができる 
物を介してその奥に有る人の心に触れる事ができる  
物とその背後に有る世界みたいなものを気付かしてくれたのが、ヘリテージマネージャーのような気がするんです
陸前高田市の残った松 人々の心に残ってる 記憶が繋がればいいのではないか

福島の会津若松に行ったことが有るが、そこでは津波も無いし、建物も壊れていないので、私達が進めてきたようなヘリテージマネージャーの動きができており、津波で被災された地域にはまだこの様な動きはとてもできないが、こちらに対しては我々も一緒に援助してゆきたいと思う  
静岡では2006年ぐらいから始まっており、15県ぐらいが検討し始めている  
地域ごとのネットワーク作り  
祭り は広場さえあればできる 準備期間があるので 求心力をもったもの
現時点ではまだ東日本大震災の地域にいって対応する事はまだできない 
ヘリテージマネージャーを希望している人が後を絶たない毎年3倍の応募がる
(ここ10年 段々少なくはなってきているが)
失ってしまってから初めて人間大事なことに気付く事が往々にしてある
地域の事は地域でやると云うスタンスを取っている   
地域の人が一番良く知っているので地域のヘリテージマネージャーが地域の人と一緒になって自分達の解決策を見出してゆくと言う そういう仕組みをつくってゆく事が大事だと思う