2012年3月11日日曜日

山折哲男(宗教学者)       ・自然災害と日本人

山折哲男(宗教学者) ・自然災害と日本人
中学、高校は花巻に住んでいた  実家の近くに宮澤賢治の家が近くにある
子供の頃から宮沢賢治の作品、人生からおおくを学んできました 
歳を重ねるに従って、宮澤賢治の世界も変わってきました
3/11以前の宮澤賢治では考えなかった宮澤賢治のある側面 宮澤賢治の作品のある重要な特徴
にふっと気が付きました
それは宮澤賢治が生まれた年があの明治の三陸津波が発生した時でした 
そして亡くなった年、昭和8年が今度は昭和の三陸津波が発生した年でした。

賢治と言う人は大災害の年に生まれ、大震災の年に亡くなったんだと改めて判りました 
賢治の生きた時代 東北は疲弊していました 
干ばつ、冷害、飢饉、そういう東北の疲弊した状況を背景に あの宮澤賢治の文学世界、そして彼の
特異な生きかたというものが生み出されたのだなあと、今度の災害がしたたかに私に教えてくれました
4月の16,17,18日仙台、石巻、三陸海岸、気仙沼に行きました 瓦礫の山でした  
破壊の爪痕がいたるところに展開していました
その光景を眼前にして殆ど声を出す事ができませんでした  これは地獄だと思いました
その3日間晴れていて、海が凪いでいて 遠くの方に美しい島々が見えました 
私は其の時に自然が持っている二つの相いれない矛盾する姿に直面
したような気持ちになりました
  
恐ろしい破壊力を持っている自然、なによりも美しいなによりも替えがたい優しい自然の姿です
現地の人は絶望的とも言うべき状況の中で苦しんで、悲しんでおられる  
しかしそういう方々の心の平安が回復されるためには、この美しい自然の姿
この柔らかな優しい自然の輝きが必要になるのかもしれない そう思いました
この日本列島に住む人々はこの恐ろしい自然の破壊力と、何物にも代えがたい美しい自然と 
その2つの特徴を持つ自然とずーっと付き合い続けてきたんだ
時に破壊的な暴力に襲われ、そして敗れ、挫折し、苦しみと悲しみに見舞われ、しかし、
したたかに生き抜いてきた そういう先人たちの人生が
歴史がふっと浮かびあがってきたんです

今回が初めてではない 自然の2面性と付き合い続けてきて、我々は多くの知恵と生きるための
工夫を積み重ねてきたのではないだろうか
それがおそらくこれからの我々の生きてゆくうえでの励ましになり、希望になるのかも知れない
遺族の方々が遺体を前にして茫然と涙している姿を観て私も涙しました 
そしてふっと 万葉集の或る短歌を思いだしました
「海ゆかば、みずくかばね 山ゆかば 草むすかばね  ・・・」  海には無数の屍がなげだされ
 山に行けば草のしたに 無数の屍が矢張り投げ出されている・・・
そういう光景を歌った歌です  大伴家持の歌
第二次世界大戦のときに学校で謳わされた 戦後禁じられた歌だった  のぶとき清 作曲 
歌にはかばねという言葉しか出てきません 

しかし 当時 万葉時代の日本人は死者を悼み、
その魂を鎮めるために歌を作り この「海ゆかば・・」という歌も
そういう考えに基づいて歌を作られたんだろうと思います
大伴家持は戦争の為に、若者たちがこの国土を守るために死んでいった無数の屍を鎮魂するため
にこの歌を作った
かばねと言う言葉しか使っておりませんけれども、本意はその歌で謳おうとした事柄は死者の魂が
その屍から遊離して、自然に鎮まる
美しい海のかなたに鎮まっている 山や森の中に魂が鎮まってゆく  
そういう思いを込めてこの歌を作ったんだと思いますね
挽歌が沢山謳われている  現代の日本人に取って死んだ方々の魂がこの自然の山野に鎮まる 
大海原のかなたに鎮まると言う事を
万葉人と同じように信ずることができるか 
 
魂の行方に対する想像力をいまだに持ち続けていられるかどうか、眼前に突き付けられた様な気がした
これは被災地の方々だけの問題ではないのかもしれない  現代の日本人の問題かもしれない
今度の災害で自分の肉親が波に襲われ そして自分一人が生き残る 
その不条理をどのような言葉で説明したらいいのか
万葉人は歌を作って鎮魂するという信仰の中で生きてきました  
その信仰が限りなく希薄になっているのが、近代かもしれない
今度の災害で人々の絆の問題が大きくクローズアップされました  
再確認されるような意味も持っていたのですけれども
しかしこれまで人と人の繋がり 人と人との絆と言う事だけに関心を集中させてきたのではないか 
そういう反省が私にはありました

それも大事ではあるけれども、もう一つ重要な問題が 亡くなった方と、生き残った我々との間の絆 
これがまだ回復されていないのかもしれない
そういう不安感であります   今度の災害を通して日本全体として或は日本近代社会全体の
問題として改めて考えて行かなくてはいけない問題だと思います
被災地における穏やかな被災者の表情と言うのは、阪神淡路大震災の時も同じでした  
中越地震の時も表情が穏やかでした
アメリカのハリケーンで被災した人達は怒りと悲しみと苦しみを全面的に表出して、泣き叫んでいる 
日本の被災者の穏やかな表情はどうしてなのだろうかと、疑問を持つようになった 
その背後には日本人固有の世界観 自然観 そしておそらく信仰というようなものが、
深くかかわっているだろう と段々思うようになった

寺田虎彦氏の書物 地震学の世界に入って行った人  
夏目漱石の愛弟子 素晴らしいエッセーを書く人 
昭和10年 関東大震災のあとを書きとめた 日本人の自然観 関心を持った二つがある
一つは 日本列島の自然と西ヨーロッパの自然を比較している処が有る 西ヨーロッパと言っている
地域はイギリスとフランスです
自然が本当に安定している なぜならば地震が無いからだと言っている  
従って自然を客観的に観察し、データを取り 分析をし、自然を活用し 利用し 自然を克服することができる
自然が安定しているがゆえに、自然に対して或る意味では攻撃的にふるまう事ができた 
 その中から自然科学が誕生したんだと
それに比べて 日本列島は太古の昔から地震列島である
 
非常に自然が不安定 その不安定な自然と何千年となくん万年とずーっと付き合ってきたのが
日本列島に住む人々なんだと 色んな災害に出会う 
その経験を通してそこから我々の生活を如何に守るか との知恵と工夫をずーっと積み重ねてきた
自然とともに生き、自然の脅威に身を添わせながら、自分達の生活を防衛してきた 
そういう知恵と工夫を積み重ねた結果 日本列島の学問が生み出された
日本列島に科学というものが やがて近代に成って 作られる様になった  こう言っています
今度の災害で福島の原発事故があった 日本列島に54基の原発が作られていた 事を知らされた 
同時にあのフランスで57基の原発が作られる
地震の無いフランスで57基  毎日のように地震が発生する日本で54基  
寺田虎彦の様な地震学者が今日おいでになっていたとしたら そういう選択は認めなかったんだろうと
私は思います

昭和10年に書かれたこの記録は極めて重要になるだろう と私は思っています
もう一つ 不安定な自然と太古の昔からずーっと付き合ってきた結果、この日本列島に住む人々は
 誠に自然な形で心の内に天然の無常という感覚、
考え方を育ててきたんだと言っている
「無常」とは仏教の言葉だと思っていました  仏教では この地上に永遠なるものは一つも無い 
形あるものは必ず壊れる 人は生きて必ず死ぬ
寺田寅彦はそのことを十分承知の上で 仏教で使っている「無常」という考え方は 仏教の伝えら
れるはるか以前からこの日本列島にはずーっと育くまれて
きた感覚なんだと 感情なんだと いったわけです
   
太古の昔から天然の無常と言うものが日本人の心の内に育てられてきたんだと
それは日本人の五臓六腑に浸み込んでいると 言っていますね
首から上の頭の中で考えたのではないんだと さっと気が付いたらその様に行動している 
それは何千年と地震列島が被らなければならなかった、様々な災害との付き合いの中から
生み出された、そういう感覚である
地震と言う自然災害と言うのは その内部に宗教的な契機を含んでいる 
そういう災害だと思う様になった
偶然性と不条理が自然の脅威と言う長い間付き合ってきた、この日本列島に住む人々が宗教的
でないなどとは、とても言えない

日本人の宗教心と言うのは この地震と言う自然災害によって、作られ、磨かれ、生活の隅々に
それが及んでいる と考えるべきだと思いますね
被災地の方々が穏やかな表情を佐されている、その背後に寺田寅彦いう無常感というものが
五臓六腑に浸み込んだ考え方が
ああいう 生き方、態度を生み出しているのではないのだろうか そう思うようになりました
よく日本人は無宗教と人が言って来たのですが そんなことは絶対あり得ないと言う事を、
今度の災害は我々に教えてくれたのではないだろうか
そこがまさに我々が生きてゆく為の希望になるかもしれない 
日本の可能性になるかも知れない  そう思うわけであります
日本列島の不安定さにもう一つ 台風があるかと思います

和辻哲郎という哲学者が「風土」と言う書物を書いて台風と言う災害から日本は多くのものを学び、
どうして我々の社会は防衛して行ったらいいのか
日本人の国民性とは一体何か そういう問題意識に基づいて、和辻は思索を深め、書物を書いた
と言う事を思い出しました
彼が着目したのは台風なんですね 世界を3つの文化圏に分けて ヨーロッパ等の牧場文化圏  
中近東の沙漠的文化圏   モンスーン高温多湿文化圏  
日本は北海道の寒帯から沖縄の温帯 熱帯的まで全部含んでいるんですね  
時に大雨を降らしたり、時に大雪を降らしたり 台風が毎年いくつも
季節的、突発的に来る  日本の風土に対応する様な性格 しめやかな激情
(つつましやかな 表に出る事を良しとしない 余り自己主張しない控えめな生きかた)  
 そういうものを良しと知る倫理観  しかし心の中は激情を持っている
  
我慢に我慢を重ねて気持ちが激してくる
淡々とした生きかたを良しとする  奥ゆかしい   ただし いざ 行動を起こす時には戦闘的 
 いざ戦う時には命を掛けて戦う 
いろいろな歴史の中でそう言った戦闘性を裏付けている 特に戦前の日本はあったかもしれない
台風がもたらす風土的な影響によって日本人の精神性というものが色んな形で方向付けられてゆく  
台風に対処する努力と工夫の中で日本人は独特の倫理観と言いますか 
人と人との関係性と言うものを二重、三重に考え続け、作り続けてきた 
台風が地震と違うところは 地震は予知することができませんけれども 台風は或る程度予知する
ことが出来る

方向性と季節性を台風は持っているから  南から来る 夏から秋にかけて来る
或る程度予測できるから人と人とのつながり ネットワークを作る事ができる  
人と人とのネットワークの中心になるのが家族 親子、兄弟、隣人との関係
その輪がどんどん広がってゆく  それが日本人の道徳 倫理、人間関係 の基礎を作り上げたと
 言っているわけですね
台風の災害の特色は 人間に倫理的な生きかたを教え、それを生活防衛の道具と言ったらいい
のか、工夫、知恵と言ったらいいのか
そういうものとして和辻さんは自然現象を考えてた  
ここまで考えると日本人が道徳的でないとは到底いえない

地震と台風に鍛えられ戦い続けてきた日本人が宗教的ではないとは、とても言えない  
倫理的ではないとは、とても言えない
そういう事まで今度の災害は教えてくれたのではないかと 思う
賢治 「グスコーブドリの伝記 自伝的伝記 農民を救うためには火山を爆発させなければならない 
スイッチを押すためには死ななければならない
東北3県には多くの瓦礫があるが、受け入れてくれない
 倫理観 宗教観を前提にすればじぶんも引きうけよう 
分け持とうという動きがもう少し出てきて良いと思う
いずれそうなることを信じている