効果音、音楽を入れる 1954年~58年映画技師として活躍してきた 285本になる
原稿の全体を眺め、完成本は4稿目からですね 音の構成を考える
現実音 音楽 効果音をどこに入れるかを考えて設定する
クランクインに入る セットでやっているとノイズ、場所、環境は二の次になるので こういう音が入るよと監督、役者に伝えておく
喋り方からその環境でやっておかないとリアリティーが無くなってしまう できるだけシンクロでやる 芝居にも影響する アフレコ(アフターレコード)では駄目
モニターを見ながら絵に合った音を出して作ってしまう アップの音とロングの音は違う
音質が違う 遠くの方で言っているのと近くで喋っているのはちがう
ファイナルダビング 最後の音の仕上げに入る
現実音(台詞)、音楽、効果音 をそれをダビングに向かってそれぞれの音を作る
台本に基づいた音を作ってゆく
音楽家、監督、私と 3人で話し合いながら音楽の入れ場所を決めてゆく
1946年に大映京都に入る
伯父が大映京都の撮影所で働いていて、募集がありそこに受けた 縁故関係でが多かった
片岡千恵蔵、市川歌右衛門、月形龍之介等が居た時代 映画には余り興味は無かった
録音部が、かちんこをやっていた
(東京では助監督がやっていたが) 緊張した
時代劇は下からのライト(行燈とかろうそくとか)だったので上にマイクを設置することができた
日活に移動(昭和29年) スタッフ演出関係は若手が集まり混成部隊であった
「愛と死の谷間」で一本立ちする
石原裕次郎の映画に多くかかわる 「太陽の季節」の映画化 みずのえ滝子に紹介された (学生だった)
印象は背の高い、足の長い 育ちの良い子だなと思った
「太陽の季節」は長門宏之が主演だった 狂った果実は一緒にはやってない
「鷲と鷹」「俺は待ってるぜ」「錆びたナイフ」
それまでに無い日本俳優のスタイルだった
主題歌を歌ってヒットする
エコーを入れた方がいと判断して作った方が雰囲気が出ると思ってその様に作った
アクション映画が多い メリハリある音を全部作った 映画に合った音を作って行った
パンチ 切る音 (現実とは違う音ではあるが)
ずば抜けた大スターは当時居なかったので、足音を出す役を俳優がやってくれたりした